吉田松陰が高杉晋作や伊藤博文を育てた松下村塾。
この建物は現存していて、山口県萩市に行けばすぐ近くで見ることができます。
僕は小さい頃から吉田松陰が大好きで何度も松下村塾を訪れているのですが、前もって予習をしておかないと重要なポイントを見落としてしまいます。
今回は松下村塾や松陰神社の見所を写真付きで解説するので、松下村塾を訪れる際には参考にしてください。
まずは松下村塾を簡単に解説
城下町から少し離れた場所にある吉田松陰が主宰した塾の跡。
建物が現存していて、近くには初代総理大臣の伊藤博文の旧宅なども残っています。
最初に松下村塾を開いたのは松陰の叔父さんの玉木文之進。
その後に久保五郎左衛門が名前を受け継ぎ、松陰はその後に松下村塾の主宰となっています。
つまり松陰は、松下村塾の3代目の先生になります。
代表的な塾生(門下生)は下記の通り。
幕末、明治に活躍した人物が、吉田松陰によって育てられました。
松下村塾の見所を写真で紹介
では、松下村塾の見所を紹介していきます。
まずはこちらがよく見る角度からの松下村塾の写真。
修復されているとはいえ、現存している建物なので、ところどころ傷みが目立ちます。
そして松下村塾の入り口。
左側の控えの間と呼ばれる部分は、塾生が増えてきたために増築されたものです。
裏側に回るとこんな感じ。
小さな2階建てのように、屋根裏部屋のようなスペースが存在しています。
このスペースでは授業に使う書物の印刷などをしていたそうです。
吉田松陰が実際に講義を行っていた部屋。
現地に行ってみると、畳や柱の傷み具合が良く分かります。
講義室を少し離れた場所から撮影したもの。
本当に小さな小屋のような建物である事が分かると思います。
松下村塾の横にある松陰の旧宅
松下村塾の隣には吉田松陰とその家族が暮らした旧宅が残っています。
正確に言えば、吉田松陰の父親・杉百合之介の家です。
杉百合之介は長州藩の下級武士で、貧しい生活だったと言われていますが、杉家旧宅は意外に広く、かなりの部屋数があります。
杉家旧宅内部の写真。
下級武士と言っても結構大きな家に住んでいたようです。
内部の様子と屋根裏部屋に上がる階段。
杉家には吉田松陰が密航に失敗して幽閉された部屋も残っています。
写真の中央左の小さな部屋が幽閉室です。
今回ご紹介した松下村塾や杉家旧宅は松陰神社の境内の中にあります。
その他にも松陰神社の境内には至誠館という吉田松陰の資料館があり、ここで松陰の遺品や遺書である留魂録の現物を見ることができます。
次に、松下村塾周辺にある史跡も確認しておきましょう。
松下村塾周辺の見どころ
松下村塾から車で5分くらいの場所に、吉田松陰の誕生地と墓所があります。
松陰はこの場所で生まれ、後に先程の杉家旧宅に引っ越しています。
誕生地には建物は残っていませんが、当時の間取りを再現したパネルなどがあります。
そして吉田松陰誕生地の隣にあるのが、吉田松陰の銅像。
ペリーの黒船を見つめるシーンを表したもので、隣にいて望遠鏡を持っているのは、一緒に密航を企てた金子重助です。
松下村塾から吉田松陰の誕生地に向かうまでにあるのが、伊藤博文の旧宅と、玉木文之進の旧宅です。
伊藤博文の旧宅に関しては別の記事で詳しく紹介します。
関連記事→萩市にある伊藤博文が青春時代を過ごした旧宅を写真で紹介!
萩城下町
高杉晋作旧宅や木戸孝允(桂小五郎)旧宅を抱える萩市の城下町。
その他にも風情のある景色が広がっているので、観光客が少ない時にゆっくり歩いてみるのがおすすめです。
木戸孝允旧宅
木戸孝允旧宅前の通り。
木戸孝允は藩医の家に生まれたお坊ちゃまなので、家はかなり大きいです。
関連記事→桂小五郎の旧宅を写真で紹介!
高杉晋作旧宅
高杉晋作の旧宅がある通り。
晋作の旧宅は武士の家らしく、しっかりとした塀に囲まれています。
高杉晋作の旧宅は現在も人が住まれていますが、一部が開放されています。
城下町の面影を色濃く残す鍵曲り。
萩城跡
萩の城下町からすぐの場所にあるのが萩城跡。
現在は石垣しか残っていませんが、明治まで左側の石垣の上に萩城の天守閣がありました。
石垣の保存状態もよく、海に面した部分には土塀が復元されています。
天守台は近くで見るとなかなか迫力があります。
ここを木戸孝允や高杉晋作が通っていたと思うと、ワクワクします。
こんな感じで、松下村塾の近くには史跡や旧宅が沢山あります。
幕末好きには最高の条件が整っているので、あなたもぜひ萩を訪れてみてください。
関連記事→木戸孝允(桂小五郎)ってどんな人?吉田松陰との関係や最期の様子を紹介!