『キングダム』には李信をはじめ、多くの実在した将軍をモデルとしたキャラクターが登場します。
既に多くのキャラクターが死亡しその出番を終えていますが、秦軍最強の将軍・王騎もその1人です。
主人公・信を初め登場人物は殆どが作者によってアレンジされた姿となっていますが、これは秦の将軍の記録はほとんど記録が残されていないため。
作者が『史記』の僅かな記述からキャラクターを推測して描いているからです。
では、王騎のモデルとなった人物は本当はどういった将軍だったのでしょうか?
今回は秦vs韓の戦いで壮絶な戦死を遂げた王騎の『史記』での姿について見てみましょう。
王騎将軍は実在した?モデルとなった史実での王騎
そもそも王騎は実在したの?
はい、結論から言いますと『史記』にはきちっと王騎の名前が始皇帝の本紀に記されています。
しかし、王翦や李斯のように個人の列伝が用意されていないためその彼の詳しい経歴は全くと言っていいほどわかりません。
『王騎』の名前は、紀元前257年の昭襄王(しょうじょうおう、贏政の曾祖父)による趙の邯鄲包囲戦の際に初登場します(当時贏政は2歳で趙にいた)。
次に名が登場するのは荘襄王(そうじょうおう、贏政の父)の時代に韓を攻めて太原郡を設置した時です。
そして父の死によって贏政が秦王となると、王騎は蒙驁(もうごう、蒙恬の祖父)・麃公(ひょうこう)と共に将軍に任じられました。
これは紀元前246年の事。
しかし、紀元前244年には韓を攻めて間もなく亡くなってしまいました。
韓は後に戦国七雄の中で一番最初に秦に滅ぼされてしまいますが、それは紀元前230年の事。
それよりもかなり早く亡くなっていますね。
一方、『キングダム』では少なくとも信が秦軍に加わった時点で秦の六大将軍の中でも最強の実力者として描かれています。
贏政の3代前から仕えているのですから、確実に贏政よりも年上で戦歴も物語上では若手である信(李信)や王賁よりも遥かに勝っているでしょう。
しかしそんな人物も贏政の即位から間もなく亡くなってしまいました。
当時の記録を見てみると、この頃秦と境を接していたのは隣国の韓、そして因縁深い趙でした。
韓は戦国七雄で最弱ではありましたが当時の秦にはまだ滅ぼすだけの力はなく、趙は晋陽(現在の山西省)を有するなど騎馬民族の戦法を取り入れており北方の雄でした。
晋陽は父の時代に奪取したとはいえ、贏政の即位から間もなく反乱が起きるなど秦の立場はまだまだ絶対とは言い難い状態でした。
王騎らが将軍に任じられたのは、経験豊富な彼らの力が若年の贏政にとってはどうしても必要だったからに違いありません。
しかし、王騎は早い段階で亡くなりました。
贏政にとってはとても大きな痛手だったでしょう。
王騎と同一人物かもしれない王齕(おうこつ)
実は、王騎と同一人物なのではないかという人物がこれよりも前に存在しました。
その名も『王齕(おうこつ)』、彼の記述は贏政が生まれる1年前、紀元前260年から始まりますが、ちょうど王騎が現れた頃にぷつっとその記録が途絶えてしまいます。
遅くとも5世紀後半くらいには、王騎と王齕は同一人物なのではないか?という疑問が学者の中で唱えられていましたが、当然現在までその真偽は定かではありません。
王齕は昭襄王末期の一大事である長平の戦い(紀元前260年)の際に白起の副将として『史記』に初登場します。
その後も白起に代わって趙討伐の指揮を執るなどして秦軍を支える柱として活躍しています(なお、贏政が生まれたのはこの頃で命の危険さえありました)。
ところが、紀元前257年になると趙を攻め落とせないことが次第にはっきりしてきたため、秦は一旦趙討伐を諦めざるを得ませんでした。
その後は蒙驁が魏を攻めるのと連動して王齕は上党を攻め、太原郡を設置しました。
太原郡設置の功績はちょうど王騎の功績と重複します。
『史記』の注釈である『史記集解』では、≪王騎の「騎」の字は「齕」とも書く≫と解釈しており、功績の重複と活躍年代を合わせて彼らを同一人物だと半ば断定的に記しております。
長平の戦い当時の白起といえば、秦では無比の将軍です。
その副将かつ代理を行っていたとすれば、王齕は贏政の即位当時既にかなり位の高い将軍だったのでしょう(最も、最高位は実力とはあまり関係ない外戚関係やコネの要素も入るので一概に最高位に就いたとは言い難いです。そもそも最高位の将軍は普通外地に遠征なんてしません)。
三大将軍の早すぎる退場
ところで、王騎と同時に将軍に任命された蒙驁・麃公も王騎の死から数年余りで史書から姿を消してしまいます。
蒙驁は王騎の死から4年後に魏を攻めている際に戦死しました。
彼は元は斉の人間でしたが何かの理由で秦に入り将軍となりました。
その後は将軍として対魏・韓で活躍しましたが、贏政の即位後まもなく亡くなってしまいました。
麃公は紀元前244年に韓を攻めて3万の首級を獲りましたが、記述はそれだけでぷっつりと途絶えてしまいました。
偶然と言えば偶然かもしれませんが、彼らは揃いも揃ってあっという間に姿を消してしまいます。
それから間もなく秦では嫪毐(ろうあい)の反乱が起き、秦では他国出身の人物を重用するような考えが広まり始めます(李斯や韓非などがその典型例)。
いわば世代交代のように新人物が台頭を始めるのです。
他国出身の人物の考えを取り入れた時に、贏政の中に「天下統一」という考えが浮かび始めました。
厳密には昭襄王の頃から秦は天下を狙える位置にいましたが、その後は国の中枢の混乱でしばらくはそういう状況ではなくなりました。
しかし、彼らが姿を消した後の秦はいよいよ天下統一に向けて歩き始めるのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
最近は歴史ものの漫画ではちょっとマイナーな人物を取り扱うことが段々と主流になりつつあります。
漫画大国・日本ならではの技巧を凝らした発想ですね。
歴史愛好家のレベルもどんどん上がっているからこそ、要求も高くなっているのでしょう。
私が思うに、歴史愛好家の中では長く活躍した人よりも彗星のごとく現れて消えた人の方が最終的に人気が高いような気がします。
戦国時代の森蘭丸や井伊直虎、幕末なら坂本龍馬や岡田以蔵なんかがそうですね。
王騎も『史記』の中では本当に僅かな期間で消えてしまいましたが、それだけ創作の余地があるといえばそうかもしれませんね。
『キングダム』では最強の将軍でしたが、これから王騎のような史実ではほんの数行で消えるような人物がどのように史実と絡んでいくのか、楽しみですね。
【関連記事】
【関連記事】
秦の始皇帝(キングダムの政)って何が凄いの?功績と伝説を解説!
ものすごくわかりやす