オオクニヌシノミコト(大国主命)。
この名前は多くの皆さんが一度は耳にしたことがある神様の名前だと思います。
「大黒様の言うとおりきれいな水で身を洗い・・・。」という童謡を聞いたことがあるかもしれませんが、因幡の白兎を助けた神様として有名です。
でも、童謡の中では大国主ではなく大黒様となっています。
これは、大国(オオクニ)がダイコクと読めることや、大国主の大きな袋を背負って歩く姿などが大黒様と同一視されて混同されたのだと思います。
では、このオオクニヌシノミコト(大国主命)とはどんな神様なのか?
今回は出雲大社に祀られている神様。
オオクニヌシノミコトについてみていきましょう。
大国主命はスサノオノミコトの子孫で81人兄弟
大国主命は、オオナムチ(大穴牟遅)、アシハラノシコオ(葦原色許男)、オオクニタマ(大国玉)など色々な名前を持っていますが、ここでは分かりやすく”大国主”と呼ぶことにします。
大国主は、三貴子のひとり、スサノオノミコトの六代目の子孫にあたり、80人の兄弟がいます。
そのため、八十神(ヤソガミ)と呼ばれています。
この八十神が因幡の国の女神ヤガミヒメとの結婚を願い、末弟の大国主に荷物を背負わせて会いに行かせます。
この時の荷物を背負った様子が大黒様との混同の原因で、その因幡に向かう途中で白兎を助けることになりました。
そして、八十神はヤガミヒメに求婚しますが、ヤガミヒメは80人の神様ではなく、大国主との結婚を選んだのです。
神様のヤキモチで大国主は二度殺される?
怒った八十神は大国主を殺そうとします。
一度は真っ赤に焼けた大きな岩を崖の上から落としてぺちゃんこに。
しかし、高天原の神様の力でよみがえることができました。
しつこい八十神は生き返った大国主を今度は大木の下敷きにして殺してしまいます。
この時は母親の神通力でよみがえることができました。
このままでは、また八十神に殺されてしまう・・・。
おそれた母親は大国主を木の神様であるオオヤビコ(大屋毘古)にかくまってもらいます。
しかし、八十神の執拗な脅しでオオヤビコは大国主に木の俣をくぐって根の堅洲国に向かうよう促し、そこでスサノオに助けを請うように進めました。
スサノオとその娘スセリヒメとの出会い
根の堅洲国とは、地下の国であり死者の国ともいえます。
この地にたどり着いた大国主は、スセリヒメ(須勢理毘売)と出会い、お互いに一目ぼれをしてしまいます。
大国主はヤガミヒメと結婚していたのですが、男と女なのでこれは仕方がないことかもしれません。
ヤガミヒメはスサノオの娘で、実は大国主はスサノオの六代先の子孫なので、ご先祖様とお付き合いするような感覚ですが、この辺は神様の話なので大目に見ましょう。
スサノオは娘の結婚相手にふさわしい男なのか、様々な試練を課して試そうとします。
大国主はその試練をかいくぐりながら、機会をみてスセリヒメと駆け落ちをして根の堅洲国から逃げ出します。
すると、その時に初めてスサノオから、「地上の国の偉大な主となるために、大国主と名乗れ。」と言われるのです。
実はこの時スサノオから名付けられるまでは、”オオナムチ”という名前だったというのが一般的な説になっています。
豊かな国を作った五穀豊穣の神様
地上に戻った大国主はスサノオの言葉を守り、八十神を征伐し葦原の中つ国の主となります。
この葦原の中つ国が現在の日本の原型とも言えるのです。
その後、大国主は正妻のスセリヒメのほかにも数多くの女性と婚姻し、多くの神様を生み出します。
また、スクナビコナ(少名毘古那)や大物主などの様々な神様の手をかりながらも、大国主は葦原の中つ国を、豊かな実りの美しい国へと作り上げてゆきます。
そのため、豊かな日本の国づくりを行った五穀豊穣の神様と言われます。
高天原への国譲りとアマテラス(天照大御神)との関係
この豊かな葦原の中つ国を高天原から見つめていたアマテラス(天照大御神)は、もともと中つ国は、イザナギ、イザナミが国生みで作り出した土地なので、高天原の神が治めるべきであるとして大国主に国を譲るよう迫ります。
その交渉の使者として使わされたタケミカヅチ(建御雷)は、大国主の息子のコトシロヌシ(言代主)を説き伏せ、タケミナカタ(建御名方)を力でねじ伏せます。
この時の力比べが相撲の起源だとも言われています。
息子二人を降参させられた大国主は、高天原への国譲りを認めることになりました。
その時の条件が天の神様と同じような豪華な神殿を作ってほしいということ。
こうしてつくられた神殿が、現代の出雲大社だとされています。
ちなみに、アマテラス(天照大御神)は大国主命のご先祖様。
父親のスサノオノミコトの姉なので、「大~~~叔母」ということになります。
倭建命は景行天皇の子供・小碓命
以外にも居た。
倭建命がひとりの皇子なら日本各地に古墳が点在して居るのがおかしいからである。
倭建命の物語に須佐之男命や卑弥呼が登場するが生きていた年代が違うから出会う訳が無いからである。
ヤマトタケルのみことやその妻.叔母.家臣などなんと勇敢で壮大か.神話の日本.誇らしく夢の様な時間に心から感謝します.
何でこれだけ傲慢になれるのか.真子さん一族は国民に潤い一つ与えず品のない身内と国民の税金むさぼり似合いもしない貴族生活.数千万かけたエステは旦那さんには受けたの.このような見難い子孫があるはずない