先日萩に旅行に行ってきました。

松下村塾や萩城などの有名なスポットは何度か訪れたことがあるのですが、今回初めて明倫館に行ってみました。

 

よく雑誌などで取り上げられているので何となく雰囲気は知っていましたが、実際に訪れてみると、不思議な空間が広がっていました。

その中でも高杉晋作や桂小五郎が実際に使用したであろう有備館という剣術場が残っている事に驚きました。

 

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萩・明倫館とは

花燃ゆでも有名になりましたが明倫館というのは長州藩の藩校で、今でいう公立中学校のようなものです。

藩校というだけあって、明倫館は身分の高い武士しか学ぶことが許されない場所でした。

 

明治維新の後、明治9年頃に明倫館は取り壊され、その跡地に明倫小学校が建てられます。

現在はこの時建てられた明倫小学校の校舎と、有備館という高杉晋作達の生きた時代に存在していた剣術場が主な遺構として残っています。

 

有備館

まず私が感動したのが有備館。

今までは外観しか見ることができなかったようなのですが、明倫小学校が移転したため、現在では有備館の中に入って見学できるようになっています。

 

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外から見ただけでも歴史を感じる建物ですが、そこに一歩足を踏み入れると、当時の光景が思い浮かぶような雰囲気で感動してしまいます。

 

有備館は中央で2つに分かれていて、現在の入口に向かって右側が槍術場、左側が剣術場となっています。

 

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↑剣術場 ↓槍術場

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有備館は剣術や槍術の稽古をした場所と言われていますが、ガイドの方によると普段の練習をする場所というよりは、試合をするための場所だったそうです。

 

そのため、実際に試合をするスペースと、藩主である毛利敬親らが試合を見るための畳敷きのスペースに分けられています。

この写真は上段から写しているので、時代が時代ならお殿様しか座れない場所に立っているという事になります。

 

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そして、有備館の中央には当時のトイレが残されているのですが、もちろんこのトイレもお殿様専用のトイレ。

 

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実は凄い場所にいるんだなと実感できるリアルな遺構です。

 

そして、有備館は他国から修行に来た者を受け入れる場所でもあったため、武市半平太から久坂玄瑞宛ての書状を預かった坂本龍馬が修行者として萩を訪れ、実際にここで試合をしたとも言われています。

 

確かに剣術修行という名目で萩に来れば、久坂玄瑞に会うのも簡単ですし、何より怪しまれることはありませんよね。

この場所で桂小五郎や高杉晋作らが汗を流したと思うと本当に感慨深いものがあります。

 

当時は明倫館内に剣術、槍術ともに複数の流派の道場を作り、この有備館の試合で競わせることにより他流派に負けないたくないという気持ちを養っていたそうなので、相当熱のこもったものだったに違いありません。

 

毛利敬親の前で剣や槍を振るって試合をする生徒たちはどんな気持ちだったのでしょう?

 

旧明倫小学校

そして有備館の横で一際異質な雰囲気を醸し出しているのが旧明倫小学校の校舎です。

 

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もう完全にジブリの世界の建物なのですが、この校舎が昨年3月まで実際の小学校の校舎として使われていたというから驚きです。

 

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耐震性の問題から新しい校舎を建てて移転したそうですが、こういった歴史のある校舎で学べた子供たちは羨ましい限りですね。

 

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その他の遺構

明倫館跡に残るその他の遺構としては、泳ぎや水中での馬の乗り方を練習した水練池。

 

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かつての明倫館の正門だった南門があります。

 

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この南門は明倫館から本願寺別院に移築されていたものが平成16年に元の場所に戻されたもの。

こういった文化財がいつまでも大切に残されていて、現代でも往時の姿を偲ぶことができるのは嬉しい事ですね。

 

まとめ

旧明倫小学校の校舎や有備館は本当に歴史を感じさせてくれる場所になっています。

写真では伝わりにくい部分があるので、是非とも現地にいって見学してもらいたいと思います。

 

特に有備館の中は日常とかけ離れた景色なので不思議な感覚になると思いますよ。

 



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