真田幸村は織田信長と人気を二分する戦国時代の有名武将。

好きな戦国武将ランキングでは必ずと言っていいほど上位に入ります。

 

では、実際の真田幸村はどんな武将だったのでしょうか?

今回は真田幸村の性格や逸話を分かりやすく紹介していきたいと思います。

 

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真田幸村(信繁)を簡単に解説

真信繁村は武田信玄に仕えた謀将・真田昌幸の次男として生まれます。

 

豊臣秀吉の小田原攻めに従軍したのが初陣と言われていて、その後の関ヶ原の戦いの際に起こった第二次上田城の戦いでは父昌幸と共に徳川軍を撃退。

関ヶ原の戦いで西軍が負けると、昌幸と共に和歌山県の九度山に配流となり、貧窮した不自由な生活を14年間送る事になります。

 

そんな極貧生活の中、豊臣秀頼に招かれ大阪の陣に参戦。

 

Sanada-Yukimura

 

劣勢の状況から徳川家康をあと一歩のところまで追い詰め自害を決意させたとも言われますが、最後まで追込む事が出来ずに討ち死にしたと伝わります。

 

真田幸村?真田信繁?本当の名前はどっち?

実は真田幸村と呼ばれる人物は、当時の書物などには記載が見られず歴史上には登場しません。

なので真田幸村ではなく、真田信繁(のぶしげ)が本当の名前だと言われています。

 

これは幸村の父親である真田昌幸が武田信玄の弟であり信玄の右腕として人望が厚かった武田信繁かの名前から取ったものだと言われています。

幸村という名前は江戸時代に流行った軍記物語で使われ、それが庶民に読まれたために幸村という名前が広がったようです。

 

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兄が語った真田幸村の性格

信繁の兄である真田信之は幸村の性格を「柔和で忍耐強く、物静かで、言葉少なく、怒り腹立つことがなかった。」と語っています。

そして、「幸村は国を支配する本当の侍で、自分達は見かけを取りつくろい、肩をいからせている道具持ちという程の差がある」と、信繁の武将としての器の大きさを賞賛しています。

 

こういった普段は物静かで穏和な大器の人物が、戦になると鬼神のような働きを見せるというギャップが人気の秘密なのかもしれませんね。

 

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現代に残る真田雪村の手紙の内容とは?

真田信繁が不遇の時代を過ごした九度山謹慎中に書いた手紙が残っています。

 

そこには、

 

「歳をとり、病気になって、歯も抜け、髭も黒いところが無くなった」

「九度山の冬は不自由で寂しい、歳を取って残念」

 

と書かれていて、希望を見出せずただ時間が経っていく事を嘆く信繁のボヤキが目立ちます。

 

しかし、大阪の陣という武将として活躍の舞台を得てから姉の松と義兄・小山田誠茂に書いた手紙には、

 

「決死の覚悟なのでもうお会いすることはないでしょう」

「定めなき浮世(この世)のことですから、一日先のことは分かりません。私たちのことは浮世にいるものと思わないで下さい」

 

と並々ならぬ覚悟で戦いに挑む武将の心情が表れています。

 

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穏和な性格だったとはいえ、信繁も根っからの戦国武将だったようです。

そして、この手紙に書いたように信繁は獅子奮迅の働きで徳川家康を死の直前まで追い詰めますが、あと一歩のところで本懐を遂げることができませんでした。

 

こうした苦難を乗り越えて時の権力者に立ち向かっていった姿に人々は魅せられるのでしょうね。

花も実も兼ね備えた真田信繁の人気の理由が分かる気がします。

 

 

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真田家の家紋「六文銭」の意味

真田信繁が今も人気を誇る理由。

それは、勝ち目がないと分かっていながら徳川家康に戦いを挑んだという部分に魅せられる人が多いからかもしれません。

 

しかし、信繁の人気の理由には、六文銭の旗印を掲げ、赤備えを率いて戦ったというビジュアルの部分にもあるような気がします。

真田家の旗印は六文銭(六連銭)という家紋。

 

真田信繁の旗印六文銭の家紋

 

これは三途の川の渡し賃(三途の川を渡るのに必要とされるお金)と言われていて、この旗を掲げて戦う事で真田の兵たちに死をも恐れない覚悟が生まれていたと言います。

このように、三途の川の渡し賃を旗印にした真っ赤な軍団が戦場を駆け抜けると思うと、真田信繁の人気が出るのも分かるような気がします。

 

(大坂の陣では六文銭の旗印を使っていないという説もあります。)

 

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