日本が誇る長編小説『源氏物語』の作者である紫式部。
宮廷につかえる女性ということで、とても上品で気高いイメージがありますが、実際の紫式部はどういう性格だったのでしょうか?
また、身分はどれくらいの人で、同時代に枕草子を執筆した清少納言とはどのような関係だったのでしょうか?
今回は世界に知られる名作「源氏物語」の著者、紫式部の性格や清少納言との関係などを分かりやすく解説します。
紫式部の基本データを分かりやすく解説
【本名】
宮中における正式名称は「藤式部(とうのしきぶ)」。
「藤原」という姓と、父親の役職名「式部丞(しきぶのじょう)」によるものです。
実は彼女の本名はわかっていません。
「紫式部」というのは、『源氏物語』の中にでてくるヒロイン「紫の上」にちなんだニックネームでした。
【生没年】
978年頃~1019年頃(享年 42歳くらい)
【出身階級】
藤原為時(ふじわらのためとき)の娘。
藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)の流れを汲む名門・藤原北家の傍流家系の出身でした。
身分としては、中・下級貴族ですが、学問で知られる家系で、彼女も父親から漢学・音楽・和歌などの英才教育をうけています。
【仕えた主人】
一条天皇の中宮となった藤原彰子のサロンに出仕。
彰子は、時の権力者・藤原道長の娘です。
紫式部の性格
彼女が中宮彰子に仕えていた、1008年7月~1010年正月までの宮廷の様子と彼女の赤裸々な心境を描いた『紫式部日記』があります。
そこには『源氏物語』では知り得ないリアルな式部の性格が表われています。
という訳で、1つ1つの内容を詳しく見ていきましょう。
こじらせ系の内気な性格?
紫式部はもともと内気な性格でした。
権力者・藤原道長と父親からのプレッシャーがなければ、宮仕えなどイヤだったのです。
勤める以前から『源氏物語』作者として知られていた彼女は、同僚の女房たちからは敬遠されがち。
誰にも相手にされず、傷ついた彼女は深く落ち込み、5ヶ月引き籠もった時期もあったほどでした。
そのため仕事を再開した時には、自分のインテリ部分を封印して、鈍いフリをしたそうです。
おかげで親しみやすさが増し、周囲に溶け込めるようになったとか。
「目立ちたくないけれど相手にして欲しい」「愚かなフリはするけれど評価されたい」・・・ちょっとややこしい性格のようですね。
辛口批評家の一面も
日記の後半の「消息文(しょうそこぶみ)」部分では、人物批評も展開されました。
親しい友人であると自称しながら、和泉式部(いずみしきぶ)については、
「言葉遣いに気品があるけど、古い和歌についての知識や和歌の理論がわかっちゃいないわ。こっちが恥ずかしくなるほどすごい歌人とは思えないのよね」
と辛辣です。
赤染衛門(あかぞめえもん)には、
「家柄が優れているわけじゃないけれど、風格があって、私の知る限りでは素晴らしい詠みっぷりだわ」
と高評価。
内気な彼女も筆をとると、がらりと変わってなかなかの批評家ぶりです。
清少納言のライバルだったの?
『枕草子』の作者・清少納言も紫式部と同様に中・下級貴族の出身です。
紫式部が学問で名を馳せた家に生まれ育ったのと似て、清少納言も和歌の名門家系の出なのです。
ライバルだったと言われますが、実際に2人が宮中で顔を合わせて火花を散らすことはありませんでした。
仕えた時期がずれていたのです。
互いの主人である一条天皇の中宮・彰子と皇后・定子は、対立関係にあったのですが、紫式部が女房として活躍したのは、清少納言が宮廷を去ったあとでした。
紫式部は例の『紫式部日記』の中で、清少納言を手厳しく批判しています。
「清少納言という人は、得意がって偉そうな人。頭がいいフリをして漢字を書き散らしてるけど、よく見りゃ稚拙。優れたフリをする人は、この先ロクなことにならないわ」。
少なくとも、紫式部は清少納言を意識していたようですね。
藤原道長との恋の噂もあった?
紫式部の書く『源氏物語』が公家社会の中で話題となったので、藤原道長が自分の娘・彰子のサロンにぜひと式部をスカウトしました。
それが彼女の宮仕えのきっかけです。
つまり、道長は式部のボスであり、パトロン。
そんな彼に意味あり気な歌を贈られたこと、夜に訪ねて来られたこと、そのどちらに対しても式部がつれない態度だったことが『紫式部日記』の記録にあります。
しかし、貴族の家系図『尊卑分脈』の中には、紫式部が「道長妾」だという記録もあります。
「妾」というのは愛人のこと。
道長の一方的な恋?
当時の最高権力者とトップ女流文学者の間に何が起こっていたのでしょう?
紫式部が書いた『源氏物語』ってどんな話?
『源氏物語』は、平安時代の貴族社会を席巻した一大エンターテイメント小説。
光源氏らの行動に息を飲み、女性の行動の「あはれ(人の心を理解し、人生の真理に「ああ」と感じ入る気持ちのこと)」を知る恋愛物語です。
主人公の名は、光源氏(ひかるげんじ)。
桐壺帝の第二皇子として生まれ、臣籍降下して源氏姓となりました。
文武両道、管弦や舞踏の才能に恵まれた、光るような美男子・光源氏は、まるで少女漫画の王子様のように完璧。
彼の恋愛遍歴のストーリーは、母親の愛情に満たされないまま育った源氏の孤独感と、緻密な物語の構成によって陰影のある壮大なロマンとなっています。
一言でいうと、千年前から多くの人々に愛された「イケメン恋愛物語(平安時代版)」ですね。
『源氏物語』の構成とあらすじ
物語は全部で54帖あり、おおまかに3つに分けられます(分け方には諸説あり)。
【第1部:1~33帖】
源氏の誕生から恋の遍歴、不遇時代を経て准太上天皇(上皇に準じる地位)になるまでの約40年。
【第2部:34~41帖】
源氏の晩年である14年間。
【第3部:42~54帖】
源氏の死後。彼の子供たちの話。
中でも宇治を舞台とする45~54帖は『宇治十帖』と呼ばれる。
人気のある帖はどれ?
源氏物語は登場人物が500名を越える大キャストの作品です。
源氏に関わる多くの女性たちは、みな個性のあるキャラクター。
読者の好みによって「名場面」とされる箇所は分れるでしょう。
ここでは筆者の好みも含めて、特におすすめの3帖をご紹介します。
【4帖・夕顔】
源氏が素性をよく知らない夕顔という女性と恋に落ち、嫉妬に狂った彼の高貴な身分の愛人・六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)の生き霊に夕顔が殺される帖。
【9帖・葵】
ぎこちなかった源氏と正妻・葵の上の間にようやく夫婦の愛情が通い始めた頃、六条御息所の生き霊に取り憑かれた葵の上が、息子・夕霧を出産した後に亡くなる帖。
【34帖・若菜上】
源氏の息子・夕霧と蹴鞠をしていた友人の柏木。
猫がじゃれて、まくり上がった御簾から見えた源氏の新しい正妻・女三の宮に彼が一目惚れする帖。
まだまだ魅力的な場面は沢山ありますが、「どこから読もうかな・・」と思っている方は、まずはこの辺りから読んでみるのがおすすめです。
イチオシの帖について主張し合う『源氏物語』談義も楽しいものです。
『源氏物語』が愛される4つの魅力とは?
時代を問わず、多くの人をこれほどまでに魅了し続ける源氏物語。
私が考えるに、源氏物語が愛されるのには4つのワケがあります。
「あはれ」の文学に深く共感
『源氏物語』は、「あはれ」の文学だと言われます。
「あはれ」とは、人の心を理解し、人生の真理に「ああ」と感じ入る気持ちのこと。
読者は光源氏の恋物語に憧れ、驚きながらも、男女それぞれの立ち場から、登場人物の行動に「ああ」と共感できます。
スキャンダラスだけど下品じゃない
平安貴族の恋愛は男中心。
恋愛も結婚も男が女のもとに通い、男が女に飽きれば捨てられました。
でも、光源氏は相手の女性の数は多いながら、一度関わりを持った女性のことは生涯面倒を見るという、女にとっての理想の男性でした。
冷静になればドロドロでスキャンダラスな不倫物語も、紫式部の筆にかかれば、しっとりとした情愛あふれる物語となるのです。
リアリティのあるフィクション
『源氏物語』は、当時の平安貴族社会に熱狂的に受け入れられました。
女房たちはもちろん、政治の中枢をになう公家たち、藤原道長や天皇、后まで先を争うように回し読み、写本しました。
なぜなら物語の舞台は、まさに彼らの生活の場。
架空の話なのに、隣で起きているようなリアリティのある物語の設定につられて、人々はあれこれ噂し合いました。
その構成の緻密さは、千年読者の目にさらされても耐え得るクオリティなのです。
引き算の美学
『源氏物語』に、ひとつだけ欠けている部分があります。
それは、「光源氏の死」です。
彼の晩年と死後については語られても、臨終の姿は描かれませんでした。
おそらくそれは紫式部の計算であり、作者としての美学です。
全てを描き尽くさずに読者の想像に委ねた「引き算」の効果は、死の生々しさを軽減し、私たちに「永遠の光源氏」を残してくれました。
光源氏のモデルは誰?
気になる光源氏のモデルについては諸説あり、源融(みなもとのとおる)、源高明(みなもとのたかあきら)、藤原道長などが挙げられます。
源融と源高明は共に天皇の皇子。
臣籍に下ったところが光源氏と似ています。
また、道長は、当時の権力者であり、誰もが憧れる存在でしたから、源氏の人物作りの参考にされている可能性はあるでしょう。
【まとめ】要するに、紫式部ってこんな人
社交性に乏しい紫式部にとって、華やかな宮廷生活は必ずしも心地の良い場所ではありませんでした。
内気でどちらかといえばネガティブな性格の紫式部は、内なるエネルギーを全て創作活動に注いだのです。
そして、紫式部が書いた『源氏物語』は、平安時代の貴族社会を席巻した一大エンターテイメント小説。
光源氏らの行動に息を飲み、女性の行動の「あはれ」を知る恋愛物語です。
同時に、当時の日本の貴族社会を知るための歴史的資料としても非常に価値の高いもの。
千年守られてきた壮大な物語は、これからの千年にも伝えて行かなければならない日本が誇るべき古典文学です。
一言でまとめると、『源氏物語』の作者・紫式部は、幼い頃から和歌や漢詩を得意とした繊細な感覚と、鋭い洞察力で貴族社会を見つめた「永遠のこじらせ系文学少女」のようですw