真田信繁が死の直前に子供(阿梅・お梅)を託した意外な人物!!

大阪夏の陣での豊臣家の滅亡。

 

その中で徳川家康の本陣に突撃を敢行し、家康をあと一歩というところまで追いつめた真田信繁(幸村)。

 

信繁は、この日を最後と決めて戦に挑みました。

 

しかし、そこで気になるのが残される自分の子供たちの事。

 

そこで真田信繁は意外な人物に自分の子供たちの行く末を託すことにします。

 

スポンサードリンク

今回紹介しているのは真田信繁ときりの子供のお梅について。

 

真田丸に登場する信繁の妻となる梅(黒木華)の逸話は下記になります。

 

関連記事⇒黒木華演じる梅は実在の人物?大河ドラマでの最期の様子!!

 

伊達政宗の家臣

その意外な人物の名前は片倉小十郎重長。

 

奥州の戦国大名・伊達政宗の重臣です。

 

関連記事⇒伊達政宗の名言・五常訓!!

 

父親の片倉小十郎景綱は天然痘が原因で視力が無くなった伊達政宗の目を抉り出した人物として有名です。

 

小十郎というのは片倉家の当主が名乗る名前で、重長もこの名前を受け継いだため、片倉小十郎重長(2代目小十郎)と呼ばれています。

 

片倉小十郎重長は超が付くほどの美男子で、男色家として知られる小早川秀秋が夢中になったという逸話が残っています。

 

それに加えて、戦場に出れば勇猛果敢にで、大坂の陣では大坂方の後藤又兵衛を討ち取り、真田信繁の軍勢ともと死闘を繰り広げています。

 

この真田信繁隊との戦い、一時は片倉小十郎重長の率いる鉄砲隊が真田隊を圧倒していましたが、真田信繁が態勢を立て直すと、逆に片倉隊を押し返すという激戦となっています。

 

結局、後藤又兵衛を失った大坂方は、真田信繁が追撃してくる伊達政宗の兵を食い止めながら一旦大阪城に引き上げます。

 

この時、信繁は『関東軍100万と言えども、男と呼べる者は一人もいない!!』という有名な言葉を残して引き上げるのですが、そうは言いながらも信繁の中には気になる人物がいました。

 

それが片倉小十郎重長です。

 

軍勢を指揮して刃を交えた者同士にしか分からない直感というものなのでしょうか?

 

その日の夜、最後の突撃を前に信繁は重長に宛てて一通の文を書きます。

 

子供を託す

翌日に決死の突撃を決断した信繁から重長に届いた手紙には、「自分の娘(阿梅)を保護してほしい」と記されていたと言います。

 

あろうことか信繁は、敵方の大名・伊達政宗の重臣に自分の子供の命を助けてほしいと願い出たのです。

 

たった今、刃を交えた敵からの意外な申し出。

 

しかも後に『真田日本一の兵』と呼ばれる名将・真田信繁からの嘆願です。

 

重永はこの申し出を光栄に思い、大阪城から脱出してきた真田信繁の三女・阿梅を自分の陣中で匿います。

 

当時12歳だった阿梅(おうめ)は容姿端麗の美少女だったと言われています。

 

愛娘を無事に片倉重長の陣まで送り届けた真田信繁は、翌日、決死の突撃を敢行。

 

徳川家康を追いつめた武将として名誉ある最期を向かえます。

 

関連記事⇒真田信繁(幸村)_真田丸で対峙する2つの赤備え!!

 

阿梅(おうめ)と大八

信繁の遺児を預かった重長ですが、敵方の子供を匿ったとなると、徳川家康から主君である伊達政宗にも在らぬ疑いがかけられてしまう可能性があります。

 

ハッキリ言って阿梅を真田信繁の遺児だと言って、徳川家康の前に引き出すことも重長には出来ました。

 

しかし、伊達政宗と片倉重長は相談の末、阿梅は領内に連れて帰り、そこで養育することを決めています。

 

この時、他の信繁の遺児達も一緒に連れ帰っているのですが、その中には男の子である大八も含まれていました。

 

真田信繁の男児を匿う、当時の情勢を考えれば気軽に出来る事ではありません。

 

案の定、徳川家から真田家の遺児を匿っているのではないかという疑いがかけられますが、重長は大八に片倉姓を名乗らせたり、既に大八は亡くなっていると虚報を流させるなどして、子供たちを庇い続けています。

 

この事からも、託された子供たちを何としても育て上げ、真田信繁の遺志に報いたいという片倉重長の思いが分かります。

 

スポンサードリンク

 

真田信繁の子孫

その後、大八は片倉姓を名乗り伊達家の家臣として暮らしますが、子孫は真田姓に復姓。

 

これが仙台真田家の興りで、真田信繁、大谷吉継の流れをくむ真田家の血統が今も生き続けています。

 

関連記事⇒真田信繁(幸村)に娘を嫁がせた名将・大谷吉継!!

 

そして、12歳で重長に保護された信繁の三女・阿梅は重長の正室が亡くなると、その継室として迎えられています。

 

重長の正室は阿梅をとても可愛がっていて、「自分が亡くなったら阿梅を継室に」と言い残しているようなので、片倉家で阿梅はとても大切に育てられたようです。

 

真田信繁が片倉重長の何を見込んで子供たちを託したのか?

 

そのハッキリとした理由は分かりませんが、片倉重長が信繁の子供たちを大事にしている事を考えると、信繁の父親としての人を見る目も確かだったようです。

 

男の約束を守った『片倉小十郎重長』、かっこよすぎます。

 

もっと詳しい片倉重長についての記事⇒真田幸村(信繁)の子供・阿梅と大八を保護した片倉小十郎重長とは?

 

Sponsored Link


★この記事がお役に立ちましたら応援・シェアをお願いします。

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ  


【~スマホ表示でご覧の方は画面一番下に人気記事ランキングが表示されます~】





4 Responses to “真田信繁が死の直前に子供(阿梅・お梅)を託した意外な人物!!”

  1. 匿名 より:

    真田幸村の娘についての段で、奥州が、欧州になってます。

  2. 匿名 より:

    敵方に大事な子供を託すのは相当の賭けだけど
    それを押し付けられる側の方がずっとずっと大変だよな。
    徳川家との関係を考えれば伊達家取り潰しの口実になるレベルの物凄いリスクしかないのに、
    重臣にそれを許した伊達政宗も大したもんだ。

  3. 匿名 より:

    家康は、石田三成の遺児も命を助けていますし、信繁の正室やその娘たちの命も助けています。
    生かして徳川の天下を脅かすのは豊臣の血筋だけで、それ以外は生かしておいても特に問題はなかったのでしょう。
    むしろ自分ではなく、伊達に託したのを怒ったりしてね。

コメントを残す

このページの先頭へ