大野治長が豊臣秀頼の本当の父親?茶々(淀殿)の関係とは?

茶々が近江の大名・浅井長政と織田信長の妹・市の長女として誕生したのが1569年。

 

そして、茶々と同じ年に生まれたのが大蔵卿局の長子である大野治長です。

 

2人は同い年であり大蔵卿局は茶々の乳母であったため、同じ女性の下ですくすくと成長していきます。

 

幼いころから一緒に成長してきた2人ですが、実はこの2人は恋仲で、豊臣秀頼は茶々と大野治長の間にできた子供だという噂があるのを知っていますか?

 

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大野治長の出世の謎

大蔵卿局に関しては不明な部分も多いですが、茶々は浅井家と織田家を結ぶ大切な子供なので、それ相応の人物が乳母に選ばれるバズ。

 

そう考えると大蔵卿局は浅井家の重臣に関わりがあるか、織田家の重臣に関わりがあるかのどちらかで、よほど器量よし人物だったと想像できます。

 

そして、この大蔵卿局と茶々、大野治長はその後の運命をずっと共にすることになります。

 

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時が経ち、茶々は豊臣秀吉の側室となります。

 

この間、茶々の傍には常に乳母の大蔵卿局がおり、大野治長も共に付き添っていたと考えられます。

 

大野治長自身が歴史の表舞台に登場するのは1588年以降、つまり茶々が豊臣秀吉の側室となってからです。

 

翌年、治長は20歳の若さで1万石の大名となっています。

 

功績のない大野治長がこうも簡単に1万石の大名になれたのは、当然ながら茶々の口添えでしょう。

 

乳母の大蔵卿局は茶々にとって母親同様であり、その長子の大野治長は兄妹同様です。

 

茶々の機嫌をとりたい豊臣秀吉としては、兄妹同然の大野治長を重く登用することなど悩みもしないで決断したと思われます。

 

秀頼の父親疑惑

1593年に豊臣秀頼が誕生。

 

茶々が24歳のときなので、同い年の大野治長も24歳であったことになります。

 

豊臣秀吉は大の女好きであるにも関わらず、正室の寧々を始め、他の側室との間にも子供はできませんでした。

 

しかしそんな中で、茶々だけが秀吉の子供を身籠ります(諸説あり)。

 

しかも、豊臣秀頼は秀吉が56歳の時の子供です。

 

大の女好きで10人以上の側室がありながら子どものできなかった豊臣秀吉。

 

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その秀吉に50歳を過ぎてから子宝に恵まれると言うのは、当時の人々にも奇異に映ったようで『秀頼は秀吉の子供ではない』という噂が民衆の間にも広がります。

 

この時、秀頼の父親候補として名前が上がったのが大野治長でした。

 

当時はDNA鑑定などで実子なのかどうかを調べる手段はありませんから、母親がこの男性の子だと言えば、誰も否定はできません。

 

真相は歴史の闇の中ですが、仮に茶々が豊臣秀吉の子を産まなければ、大坂城でのその後の権勢はなかったハズ。

 

逆に言えば、豊臣秀吉の子さえ産めば奥における権勢は正室である寧々(北政所)を脅かすものとなります。

 

当時の女性は生家の権力や名声を永遠に背負ってプライドと共に生きていますから、浅井家と織田家の血筋を引く茶々が、一武将の娘に過ぎぬ寧々の下に甘んじなければならないのには我慢できなかったはずです。

 

もしかすると大蔵卿局と示し合わせ、大野治長と密会を重ねて妊娠したということも考えられます。

 

大蔵卿局としては、ここまで非業の人生を歩んできた茶々に日の目を見せたいという気持ちと、二度も主を豊臣秀吉に殺されたことへの復讐と、一石二鳥の妙案だったかもしれません。

 

しかし、それよりも何よりも、幼い頃からずっと一緒に育て来て数々の苦難を共に経験した茶々と治長。

 

多感な20代前半の気心の知れた幼馴染が一緒にいれば、恋愛感が芽生えても何ら不思議なことはありません。

 

現代の感覚からするとこう考えるのが普通のような気がします。

 

実際に毛利家の資料には秀吉が亡くなって1年後くらいに「淀殿と大野治長の密通が発覚して騒ぎになった」と記録があるそうです。

 

ここまできたら完全にクロの気が・・・。

 

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高身長が決め手?

もう1つ、大野治長が秀頼の父親だと言われる理由は身長にあります。

 

秀吉の身長は推定140cm。

 

豊臣秀吉

 

これに対して秀頼の身長は197cmもあったと言われています。

 

豊臣秀頼

 

茶々が割りと大きくてガッチリとした体格というのもありますが、あまりに不自然な気がしませんか?

 

茶々(淀殿)

 

(まあ、秀頼は天下人の子供なのでいいものを食べて育ってはいますが・・)

 

その一方で大野治長は高身長な人物だったと伝わっています。

 

この治長の身長が秀頼の父親説に名前が上がる大きな理由の1つです。

 

正直、私も秀頼が秀吉の子供だとするには状況的に難しいものがあると思います。

 

豊臣秀頼の実の父親は大野治長。

 

茶々と治長の関係を考えればあながち噂とは言い切れないのではないでしょうか?

 

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3 Responses to “大野治長が豊臣秀頼の本当の父親?茶々(淀殿)の関係とは?”

  1. ななな より:

    それはないね。

  2. 匿名 より:

    秀頼の場合、祖父(浅井長政)が巨漢でした。
    秀吉は小柄だったようですが、さすがに身長だけでは根拠として薄弱です。

  3. いやいや より:

    秀吉はさすがにない

    となると、有力候補にはなる。
    そもそも、あの環境で候補は数名しかいない。

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