青い鳥居の意味とは何か??

青い鳥居の意味
青い鳥居は、水の神様を祀っている神社に多く「海の安全」や「清浄」の意味が込められていることが多いです。
そもそも鳥居に色を塗る決まりや、祀られている神様によって鳥居の色を別けるルールは存在しません。
昔は別の色であったのに、その時代の政治的影響で色を変えるなど、鳥居の色がコロコロ変わっている神社が多々あります。
そのため、鳥居の色の意味も、良く分かっていないことが多いです。
【青い鳥居の意味】青以外にも、これだけの色の鳥居がある
「赤、黒、白、ピンク、黄色/金色」と鳥居の色は青以外に、いろいろあります。
以下で解説します。
赤い鳥居
赤い鳥居は最も有名だと思います。
赤い鳥居は「魔除け」や「邪気払い」などの意味があり、穀物や農業の神として知られる「お稲荷さま」を祀った神社に、この「赤い鳥居と狐の像」がセットで置かれていることが多いです。
狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食する動物として、農民からは愛されていましたし、赤い鳥居の塗料は、もともとは水銀が使われていて虫よけ効果がありました。
このように赤い鳥居は、昔の日本人の生命線である、農業と密接な関係があったりします。
黒い鳥居
黒い鳥居は、樹皮がついたままの黒木鳥居(くろきとりい)と呼ばれる、日本最古の形式の鳥居が有名です。
特に有名なのは京都の野宮神社(のみやじんじゃ)と東京の日枝神社(ひえじんじゃ)です。
白と黒の太極図で有名な陰陽では、天地を以下のように表現します。
- 天=赤(黒)
- 地=白
通常「天が白」だと思うかもしれませんが、陰陽思想では天に対して地の方を「ずっと広い存在」として捉えます。
陰陽の天地の考え方は、日本国旗が非常に分かりやすいです。白背景に赤い丸、それが「日の丸」です。
このように黒い鳥居は陰陽の考え方にちなみ、神の住む天の意味が込められています。
また黒い鳥居を北側に配置している神社が良くあるのですが、これも陰陽思想の四神と結びついており、以下のような色の意味があります。
- 東:青龍=青色
- 南:朱雀=赤色
- 西:白虎=白色
- 北:玄武=黒色
四神の玄武は天の北方を守護する水神であり、冥界(めいかい)と現世を往来して、冥界での神託を現世に持ち帰ることができると信じられています。
このように、黒い鳥居は「神の住む天界と繋ぐ」といった、歴史的にも深い意味のある鳥居と言えるでしょう。
白い鳥居
古来より白色は神聖な色として、使われてきました。
神社の内側には神域があるので、白い鳥居は不浄なものが入り込むことを防ぐ結界としての役割が意識されています。
白い鳥居で有名なのは、島根県の出雲大社(いずもたいしゃ)や神奈川県箱根の白龍神社(はくりゅうじんじゃ)です。
ピンクの鳥居
日本には、ピンク色の鳥居もあります。
とくに有名なのは北海道の山津見神社の鳥居で、芝桜の名所にちなみ鳥居もピンク色にされています。
黄色/金色の鳥居
黄色や金色の鳥居には、歴史的に深い意味がありそうですが、観光的な意味が込められた鳥居が多いです。
例えば茨城県「ほしいも神社」の黄金の鳥居は、茨城の名産品である干し芋に使われる「紅はるか」をイメージして建てられました。
また愛知県の猿投神社(さなげじんじゃ)の黄色い鳥居は、以前にダンプカーで鳥居を引っかけて壊してしまったので、朝日の色にちなんで黄色にしたようです。
このように素朴な理由や観光的な理由から、黄色や金色の鳥居が建てられていることが多いです。
【青い鳥居の意味】青い鳥居の神社いろいろ
非常に少ないですが、青い鳥居の神社はいくつかあります。
【福島県】小名浜諏訪神社(おなはますわじんじゃ)
小名浜諏訪神社(おはなますわじんじゃ)とは、福島県に鎮座する式外(しきげ)の青い鳥居のある古社です。
1201年に岩城氏の源流にあたる磐崎将監(いわさきしょうげん)が現在の長野県に鎮座する諏訪大社(すわたいしゃ)より分霊を向かい入れて創建されました。
小名浜諏訪神社は1385年に現在の地に遷座されます。当時の小名浜の生活産業基盤は農業が中心でしたが、この頃に漁業や塩焼き海産物製造等の水産業が発展し、地域の産業構造に変革が起こり海や浜を中心とする産業が発展したようです。
このような理由から「漁業、海事、港湾関係者」からの崇敬が多く、小名浜諏訪神社は海の守護神を象徴し鳥居を青に染め上げているようです。
「式外」とは何か?
式外(しきげ)とは延喜式神明帳(えんぎしきしんみょうちょう)に記載されてない神社のことです。
延喜式(えんぎしき)とは905年に編纂された法典で、延喜式神明帳(えんぎしきしんみょうちょう)とは、延喜式の9巻や10巻に記された神社の一覧のことです。
延喜式神明帳に神社名の記載があるか否かで、神社の格式や等級を表す社格(しゃかく)が決められていました。
この社格の取り決めは、極めて政治色が強く延喜式神明帳に記載のある神社は、朝廷から重要視され、これらを式内社(しきないしゃ)と呼びました。
一方で朝廷の手の届かない、独自の勢力を持った神社は、式外社(しきげしゃ)と呼ばれました。
この神社の社格制度は、1946年にGHQの神道指令により廃止されていますが、現代でも神社を見分ける、ひとつの指標として気にしている人は数多くいます。
遷座(せんざ)とは何か?
遷座とは、神殿の改修造営に際して神霊を移すことです。
一般の神社では遷座(せんざ)と言い、伊勢神宮のみ遷宮(せんぐう)と言います。
伊勢神宮では、7世紀後半の天武朝以来20年に1度、神社の社殿や神宝などを一定の年限で新しく造り替え、神々に遷って(うつって)もらう式年遷宮(しきねんせんぐう)が行われ現在まで続いています。
伊勢神宮では、まったく同一の敷地が並列しておかれ、旧殿から新殿へと20年ごとに神座の位置が変わり、ご神体を移し終わった旧殿は取り除かれ、その敷地は古殿地(こでんち)と呼ばれます。
また、火災や異常なことがあって行う遷宮を臨時遷宮(りんじせんぐう)と呼び、仮殿(かりでん)を設けるので仮殿遷宮(かりでんせんぐう)とも呼びます。
一般神社の遷座祭には「定期」と「臨時」の二つがあり、定期の場合は式年遷座祭(しきねんせんざさい)といい「7年、13年、20年、30年、50年」等の周期をもって祭儀(さいぎ)を執行します。
「分霊を迎え入れる」とは?
分霊とは「ぶんれい」または「わけみたま」と読みます。
本社で祀られている神様を他所で祀る際、その神の神霊を分けたものを分霊(ぶんれい・わけみたま)と呼ぶのです。
「分霊を迎え入れる」といった言葉は、短くまとめて勧請(かんじょう)と呼ばれることがあります。
神道において神霊は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊には影響がないので、分霊も本社の神霊と同じ働きがあるとされます。
全国に44,000社と最も数の多い神社系統である八幡宮(はちまんぐう)も大分県宇佐市の宇佐神宮(うさじんぐう)が頂点です。
京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)も神奈川県鎌倉の鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)も宇佐神宮から分霊を向かい入れています。
【愛知県】恋の水神社(こいのみずじんじゃ)
恋の水神社(こいのみずじんじゃ)とは、愛知県南知多郡美浜町に鎮座する青い鳥居のある神社です。
恋の水神社は、その名の通り恋愛運の神社ですが、深く悲しい伝承があります。
西暦412年〜453年の允恭天皇(いんきょうてんのう)の時代、天皇の元に「東方に延命の神水がある」といったお告げが大神神社(おおみやじんじゃ)からありました。
そのお告げに従い「藤原仲興」といった男に神水の霊泉を探させると、確かに知多半島(ちたはんとう)にて清水が湧いており万病に効く効果がありました。
このようなスゴイ神水を発見したことから藤原仲興は、その土地の名前を知りたくて村人に聞いたところ、誰もが口をそろえて「知らない」と答えました。
そのため藤原仲興は、その土地を「知らぬ沢」と名付け「尾張なる 野間の知らぬ 沢踏みわけて 君が恋しき 水を汲むかな」といった和歌を読みました。
それ以来、延命の神水は「恋の水」と呼ばれるようになりました。
その後、1191年に藤原成範(ふじわらのしげのり)の娘である桜姫は家臣の青町と恋に落ち、駆け落ちをして幸せに暮らしていましたが、夫である青町が病に倒れてしまいます。
桜姫はそのとき神のお告げで、尾張国知多に万病に効く「恋の水」があることを知り、夫のために探すことを決意します。
桜姫は、やっとのことで「恋の水」の近くまで来たわけですが、道を聞いた村人が貴族を嫌っていたため「恋の水は、ここから35里先だ」とデタラメなことを教えられました。
結果として桜姫は疲労困憊(ひろうこんぱい)の末、その場で力尽き、亡くなってしまいました。
現代の恋の水神社とは、恋愛と神水にちなみ、青い鳥居があり女性に人気ですが「深く悲しい恋の水」に関する伝承があるのです。
【沖縄】石垣宝来宝来神社(いしがきほぎほぎじんじゃ)
石垣宝来宝来神社(いしがきほぎほぎじんじゃ)は沖縄県石垣島にある、宗教法人の認証を受けている日本最南端の青い鳥居のある神社です。
宗教法人石垣宝来宝来神社は、熊本県南阿蘇村の宗教法人宝来宝来神社の分社です。
ご神体の大岩は、金運や宝くじと関係が深く、全国から多くの参拝客が訪れます。
石垣宝来宝来神社の鳥居も「海の安全を守る神を迎え入れる」といった意味で、青い鳥居が建てられています。
【宮崎県】港神社(みなとじんじゃ)
港神社(みなとじんじゃ)は、宮崎県延岡市にある青い鳥居が特徴的な神社です。
1700年に東海神社(とうみじんじゃ)の境外末社(けいがいまっしゃ)として住吉大社の分霊を迎え入れたことが始まりです。
港神社には大小2種類の鳥居があり、ひとつはご神体である黒鉄岩(くろがねいわ)と赤金岩(あかがねいわ)の前に青い鳥居が建っています。
このご神体である黒鉄岩と赤金岩は「港の竜神さん」と呼ばれ「黒金岩に触ると雨が降り、赤金岩に触ると天気になる」といった言い伝えがあります。
今では、このご神体のまわりには注連縄(しめなわ)があり、石を触ったり石と石の間を通ったりするなどは禁止されています。
なんでも大昔から、言いつけを守らなかった人には、病気などの災いが降り注ぐことが多かったようです。
また港神社が鎮座する河口付近は、三角波が頻繁に起きる場所で江戸時代から地元の漁業者には、恐れられてきたようです。
港神社の鳥居はもともとは白木の鳥居だったようですが「海の安全を守る」といった意味を込めて1965年くらいに船底の染料に使われていた青い塗料を利用して、鳥居を青く染め上げるようになったようです。
境外末社(けいがいまっしゃ)とは何か?
境外末社(けいがいまっしゃ)とは神社の境内外に祀られている、お社(おやしろ)のことです。
末社とは本社に属しますが、その支配を受ける小神社です。
つまり境内末社とは、本社境内の外にはありますが、本社の支配を受ける小神社のことを指します。
【宮崎県】速開都比売神社(はやあきつひめじんじゃ)

速開都比売神社(はやあきつめじんじゃ)とは、宮崎県西都市に鎮座する青い鳥居のある神社です。
「水の神・山の神・龍神」が祀られており、神のお告げによりこの地に1973年から約8年をかけて社殿が建立されています。
速開都比売神社への参拝は、一ツ瀬川を渡らなければならず水面から10mくらいの高さに架かっている「湯之内吊橋」を渡る必要があります。
山に囲まれ滝もある、大自然の神秘的な空間を形成しているのが速開都比売神社です。
青い鳥居があるのは本殿の前で、まさに水の神にちなんだ立派な青い鳥居がそこに建っています。
青い鳥居の意味とは何か??:まとめ
以上「青い鳥居の意味」について語り、全国にある「青い鳥居の神社」をいくつか紹介しました。
鳥居の色に関しては、明確なルールはありませんが、青い鳥居に関しては「水の神」と関係していることが非常に多いです。
大昔に「病気が治った」といった神水の伝承があったり、その場所で海難事故が多く被害者の魂を鎮めるために、海の神にちなんだ青い鳥居を建てたりと「意味や理由」はいろいろあります。
特に宮崎県には、青い鳥居の神社が2か所と集中して存在しているので、もっと調査すれば何か隠れた理由がきっとあるハズです。
ぜひ、青い鳥居に興味の湧いた方は現地に行ってみてください。
きっと「新しい発見」や「心に刺さるもの」があると思います。
宮崎県に2つある青い鳥居のうちの一つ、速開都比売神社(はやあきつひめじんじゃ)については、以下の記事で徹底解説しています。ぜひ、こちらの記事も読んでください。
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