お市の方の激動の生涯を簡単に解説!長政&勝家との夫婦仲は良かったの?
最近よく聞く言葉に「女性目線の~~」というものがあります。
女性目線の家づくり、女性目線の職場環境、女性目線の防災……などなど。
何にでも付ければいいというものでもないですが、新たな目線が増えるという意味では非常にいい傾向だと思います。
では、その傾向に習って「女性目線の戦国」といったものを考えると、一体どういうものになるのでしょうか?
戦国時代の女性は政略結婚の道具として使われることが多かったのですが、今回ご紹介するお市の方は、まさに「戦国の女性」として政略結婚に人生を翻弄された人物です。
果たしてどんな運命を辿ったのか?
まずは彼女の生い立ちからみていきましょう。
3人のうち2人が天下人の妻!浅井長政と結婚して生んだ3人の姫!
お市の方は天分16年(1547年)に生まれます。
幼少期のことはよくわかってはいませんが、信長の母でもある土田御前の娘だと言われており、聡明でまた戦国一の美女とこの頃から呼ばれていたようです。

転機となったのは永禄10年(1567年)9月。
お市の属する織田信長と浅井長政が手を組んだことにより、市は浅井長政と結婚することになります。
この時、市は21歳頃。
浅井家の家臣の中には朝倉家との同盟関係を理由に結婚に反対する者もいましたが、婚姻自体は着々と進み、市は長政との間に3人の娘をもうけます。

これが後に茶々、初、江となる3人の姫。
のちに、お初以外は天下人の妻になっています。
【茶々】豊臣秀吉の側室(秀頼の母)
【お初】京極高次の正室
【お江】徳川秀忠の正室
このように政略結婚ながらも子供を多くもうけていることから夫婦仲は非常に円満であったと予想できます。
しかし1570年、朝倉を攻めないという約束を破って信長は朝倉攻めを開始。
浅井長政は約束を破った信長の背後から襲い掛かかり、浅井家と織田家は断絶することになります。
[char no="2″ char="三日月"]ちなみに、この時、お市が袋に小豆を入れてその両端を縛って信長に危機を伝えたという逸話があるのですがこれは創作話です。[/char]
織田家との対立で長政との夫婦関係も冷えてしまうかと思いきや、織田家の不破光治が、この両家の同盟関係が終わりを告げたので市を織田家に返してほしいという旨を伝えにくるものの長政はこれを拒否。
それどころか、信長と対立して3年後にも江姫を授かるなどのラブラブっぷりを見せつけていきます。
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清洲会議の後に柴田勝家と再婚!
江姫が生まれたのと同じ年の天正元年(1573年)に信長に攻められた小谷城は落城し、浅井長政、久政親子は自害します。

お市は3人の娘を連れて城を脱出。
浅井家が滅んだ後は清洲城の織田信包(信長の弟)のもとで9年ほど暮らします。
この時の信長の市お役に対する待遇は非常に厚く、常にこの4人のことを気にかけて贅沢をさせていたようです。
また信包も「浅井家の血が途絶えてしまうのは忍びない」とこの4人を大事に世話したようです。
その後、転機が訪れたのは天正10年(1582年)、信長亡き後清洲会議の時。
市は信長亡き後の領土配分や後継を巡って秀吉と対立した、柴田勝家と再婚することになります。
この時、勝家と再婚した理由は定かではありませんが、この結婚は秀吉が仲介したとされるため、清洲会議での柴田勝家の不満を抑えるためだったのではという説があります。
でもこれって今ならとんでもない話ですよね。
だってこれ、要するに「勝家くん、この間の清洲会議ではごめんね。代わりにお市様をお嫁にどう?」ってことですからね。
まるで自分のものでもあるかのような扱いですが、市はこの命令にも粛々と従い、3人の娘とともに柴田勝家の居城、北之庄城へと向かいます。
お市が柴田勝家と結婚(再婚)したのは本能寺の変のわずか4ヶ月後のことでした。
しかしその翌年、天正11年(1583年)柴田勝家は賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗北。
追い詰められた勝家は北之庄城に撤退し、市に娘たちを連れてここを逃げるように促します。
しかし、お市はそれを拒否。
北之庄城で勝家と運命を共にする道を選びます。
勝家もその市の覚悟を受け止め、市を刺殺してから自らも切腹。
市の享年は37歳、勝家の享年は62歳でした。
辞世の句は
「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな」
で勝家がそれに返句する形で
「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」
と読んでいます。
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お市の方の評価
冒頭で戦国時代の女性は主に政略婚の道具になることが多いというふうに書きました。
そういう意味で言うと、お市は非常に戦国の時代の女性らしい女性ということができるかもしれません。
彼女は生涯を通じて2回の結婚をしましたがどちらも自分で決めた結婚ではありませんでした。
しかし彼女が偉いと思うのは、たとえ不本意と思える人生であったとしても境遇を嘆くのではなく、その中でベストを尽くしていたということです。
1度目の結婚は他家との結婚ではありつつも3人の子供をもうける円満な家庭を作っています。
そして、短い夫婦生活ながらも柴田勝家から愛され、共に最期を迎えています。
実際に結婚してる方ならおわかりでしょうが、女性の努力がないと相当難しいことだと思います。
自らの境遇を嘆かずに自分の道を切り開こうとしたお市は、まさに戦国時代の女性を象徴するような存在なのかもしれません。
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お市の方が登場する作品
お市の方が登場するおすすめの映画は『清洲会議』。
三谷幸喜監督の映画で、柴田勝家と羽柴秀吉が会議によって天下の行方を決着するという映画です。
この映画で美しくも強い女性、お市の方を演じるのは鈴木京香さん。
あの手この手で自らの宿敵である秀吉を苦しめようとします。
時に役所広司さん演じる柴田勝家を使い、秀吉を葬り去ろうとするお市の方は従来の儚い戦国の女性というイメージを覆すものになること請け合いです。
お市の方が柴田勝家に嫁ぐまでの経緯が分かりやすく学べるので、お市に興味がある方におすすめです
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