秋元神社・不思議なパワースポットに迫る!

【秋元神社・不思議】パワースポットとしての秋元神社
秋元神社は不思議なパワースポットとして有名です。
秋元神社は「英彦山修験(ひこさんしゅげん)、霧島修験(きりしましゅげん)、星宿信仰(せいしゅくしんこう)」等が混交する諸塚山信仰(もろつかやましんこう)の拠点であったと伝えられます。
秋元神社は全国の神社の中でも珍しく、拝殿が鬼門(北東)の方向を向いており「邪悪な気を抑え込んでいる」と言われています。
実際に「秋元神社の裏の山から、強力な気が流れているよ」なんて言う人もおり、強力なパワースポットとして有名です。
ちなみに「秋元神社の拝殿から鬼門の方向に線を伸ばすと日本本州を貫く直線となり、伊勢神宮と向き合う形になっている」といった説もあります。
今回はこの不思議な秋元神社に迫ってみたいと思います。
ぜひ最後まで読んでください。
英彦山(ひこさん)とは何か?
英彦山(ひこさん)は、旧豊前国(きゅうぶぜんのくに)である田川郡添田町(たがわぐんそえだまち)と大分県中津市山国町(おおいたけんなかつしやまくにまち)にまたがる標高1,199mの山です。
霧島山(きりしまやま)とは何か?
霧島山は、九州南部の宮崎県と鹿児島県県境付近に広がる火山群の総称であり「霧島連山、霧島連峰、霧島山地、霧島火山群」とも呼ばれます。
星宿(せいしゅく)とは何か?
星宿(せいしゅく)とは、古代中国の天文学による分類で、天球上の太陽の通り道である「黄道」に沿った二十八の星座をまとめた二十八宿のことです。
修験(しゅげん)とは何か?
修験(しゅげん)とは、山野や霊山、霊地で苦行を積み、霊験のある法力を身につけることです。
諸塚山(もろつきやま)とは?
諸塚山(もろつきやま)とは、古くから神山として旧高千穂郷(きゅうたかちほごう)の信仰の対象となっていた山です。
鬼門(きもん)とは?
鬼門(きもん)とは、北東の方角のことです。その名の通り「鬼(邪気)の出入りする方角」を意味しています。
都や幕府の鬼門にあたる方向には「鬼門除け」として大きなお寺が建てられることが多く、平安京の鬼門には比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)が置かれています。
【秋元神社・不思議】秋元神社の概要
- 名前:秋元神社(あきもとじんじゃ)
- 住所:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字向山6781
- ご祭神:国常立命(くにとこたちのみこと)国狭槌命(くにさづちのみこと)豊斟渟命(とよくむぬのみこと)
秋元神社は、高千穂町向山秋元地区、高千穂盆地の西方、諸塚山(もろつかやま)の東側のふもとに位置する美しい集落「秋元集落」の中にあります。
秋元神社はそんな集落の山の奥にあり、車一台通れるくらいの幅の狭い山道を通るなど、現地まで行くのが、なかなか大変です。
「山奥の秘境」と呼ぶ人もいるくらいの場所に秋元神社はあるわけですが、その分、境内は木々に囲まれ神秘的な空気に包まれています。
長い石段があり鳥居と拝殿は鬼門(北東)を向いているので、その意味でも非常に不思議な場所で多くの人から注目を集めています。
高千穂とは?
高千穂(たかちほ)とは日本神話に出てくる地名です。天孫降臨(てんそんこうりん)の地とされ、宮崎県の高千穂峰(たかちほみね)と高千穂町(たかちほちょう)のそれぞれに伝承があります。
国常立命(くにとこたちのみこと)国狭槌命(くにさづちのみこと)豊斟渟命(とよくむぬのみこと)は、どんな神か?
- 国常立命(くにとこたちのみこと)
- 国狭槌命(くにさづちのみこと)
- 豊斟渟命(とよくむぬのみこと)
上記三柱は日本神話に登場する神で、世界のはじまりの際に最初に現れた神々とされています。
日本書紀では、世界のはじまりの後、国常立尊(くにとこたちのみこと)国狭槌尊(くちさづちのみこと)が登場し、次に豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)が登場したと書かれており、これらの三柱の神は男神であると記されています。
【秋元神社・不思議】秋元神社の歴史
- 不明:建磐龍命が諸塚の太白山の中腹に創建
- 1683年:現在地に移転・建立
- 1872年:「秋元太子大明神」を「秋元神社」と改称
- 1936年:社殿を改築
- 2009年:社殿を改築
建磐龍命(たけいわたつのみこと)とは誰か?
阿蘇(あそ)における伝承では、建磐龍命(たけいわのみこと)は初代天皇である神武天皇の孫とされています。
【秋元神社・不思議】秋元神社のご利益
秋元神社のご利益は以下の通りです。
- 厄除け
- 家内安全
- 商売繁盛
- 五穀豊穣
- 無病息災
- 国土の安定
なぜなら国常立命(くにとこたちのみこと)国狭槌命(くにさづちのみこと)豊斟渟命(とよくむぬのみこと)を、お祀りしてるからです。
【秋元神社・不思議】秋元神社の見どころ
秋元神社の見どころを以下で解説します。
妙見滝と妙見神社
秋元集落の中心部から秋元神社に向かう道路沿いに、妙見神社(みょうけんじんじゃ)があります。
妙見神社(みょうけんじんじゃ)は妙見滝(みょうけんたき)と呼ばれる小さな滝が流れる妙見淵(みょうけんふち)に位置します。
ご神体は女神である妙見菩薩(みょうけんぼさつ)です。
水神様として祀られ、社(やしろ)はなく、火山灰や火山砂、火山礫(かざんれき)などの火山噴出物が固まってできた岩石である凝灰岩(ぎょうかいがん)の小さな祠(ほこら)が上流に向かって建てられています。
昔から赤ちゃんが産まれるお母さんは、遠路はるばる妙見神社(みょうけんじんじゃ)を訪れ、十二筋の糸を通した底なしの杓(しゃく)を供えて安産を祈願したといわれています。
御神水の湧き水
秋元神社の社殿裏側には御神水があります。
ポリタンクを用意して、ご神水をもらいにくる参拝客の方も多いようです。
ちなみに高千穂の町には「いなば酒店」というお店があり、秋元神社の御神水で入れたコーヒーを販売しています。
この「いなば酒店」は酒店なので、コーヒーだけではなく宮崎の良質なお酒が数多く揃っています。
その中でも年間2000本限定のもち米焼酎「生涯不良」は、角川書店の創業者一族である角川春樹(かどかわはるき)さんも愛飲しているようです。
桂の巨樹と湧水
桂の巨樹と湧水(かつらのきょじゅ)とは、秋元集落の「上の切」から諸塚村六峰街道(もろつかむらろっぽうかいどう)へと登る道の途中にあります。
宮崎県巨樹100選にも選ばれた、樹齢500年の木で幹周り13mの大樹の下は涼しい木陰で、山からの湧き水を引いた竹の樋もあり、休憩のスポットにもなっています。
イチョウの木
秋元神社の拝殿横には大きなイチョウの木があり、これは秋元神社のご神木です。
このご神木には強いパワーが宿っているようで「触れたらピリピリ感じた」という人もいるようです。
太子ヶ岩
拝殿の奥には太子ヶ岩(たいしがいわ)と呼ばれる巨大な洞窟があります。
その岩場の一角には「秋元太子」が篭って修行したと伝えられる岩窟・太子窟(たいしがいわや)があるそうです。
秋元太子とは秋元太子大明神とも呼ばれ諸塚山(もろつかやま)の精霊神であり「秋元神楽」に降臨するとされる神です。
そのような伝承があることから、山伏などが修験のために篭っていたようです。
山伏とは?
山伏(やまぶし)とは、山中で修行をする修験道(しゅげんどう)の行者(ぎょうじゃ)のことで、修験者(しゅげんじゃ)ともいいます。
秋元神楽
秋元神楽は高千穂町の南西部・諸塚山(もろつかやま)の麓(ふもと)にある向山地区・秋元集落に伝わる神楽です。
公民館など公共施設で舞われる神楽が多くなった中で、今なお集落の民家が交代で神楽宿を務めています。
15時頃に秋元神社から神楽がスタートし、翌12時頃まで夜通し神楽が奉納されます。
秋元神楽は、浅ヶ部(あさかべ)神楽の師匠である樋口治吉朗(ひぐちじきちろう)が伝えた三田井系(みたいけい)の神楽で、多くの人を魅了します。
殿の岩
秋元神社へ向かう沿道に、殿の岩(とののいわ)という大きな石があります。看板には以下のように説明されています。
無常を断ずべ<、都を落ちてこの所に居を定む。伴人(ともびと)、麦干して上ノ切に出て、留守中に大玉の夕立来たり、干し麦の踊るを見て殿は、打ち興じ、共に踊り居たり。己(おの)が食の乏しきを心に留めず、稚児のごとき罪問えぬ笑い話を残せり。
昔、無常を感じた武士が都を捨てて落ち延び、ここに住んだと伝えられています。
無常とは「物事は常に変化しており、永遠不変のものはない」といった仏教における中核教義の一つです。
簡単に言えば「富や名声も壊れるものですし、人の命すらも限りがある」といったことを「悟った」ということです。
昔は命の取り合いに明け暮れた武士が、ある日突然「無常」のような悟りを開いて俗世(ぞくせ)を離れるのは良くある話でした。
ちなみに、この「殿の岩」付近では「秦国(しんこく)韓国(かんこく)支那(しな)」のものとされている24種の2000年前の古銭が掘り出されています。
長九郎岩
秋元神社へ向かう道の右側に長九郎岩(ひょうくろいわ)という杉と苔(こけ)に覆われた巨石があります。
長九郎岩(ひょうくろいわ)を説明する看板には以下のように書かれています。
長九郎は武人にて無常を観じ、修行の旅路、この所に居を定めしなり。天然杉の大木に覆われて暗き岩あり渕あり、尋常にては通り難き壮絶極まる寂しき所なりけり。
長九郎は悟らんずんばこの座を立たじとの決意たりけん。
昔毒蛇猛獣の仲間に分け入りて修行したる例は世界各地の歴史に記されいたり。
その昔、長九郎(ちょうくろう)という武人が旅の途中に立ち寄り、ここを修行の地と定めたようです。その頃は天然杉に覆われた暗い岩と水を深くたたえている渕(ふち)があり普通の精神では通れないほど、凄絶極まった寂しい場所だったそうです。
無常(むじょう)を感じて、この地に武人が訪れたことは「殿の岩」と非常に似ていますが、1336年〜1392年の南北朝時代の菊池氏に原因があります。
南北朝時代は天皇家が北朝と南朝に分かれて戦った「争乱の時代」です。
人心も国土も二分された不幸な時代で、王家や豪族に随従した宗教者や芸能者などが各地に多様な文化や芸能を伝えました。
一時、九州を制した南朝・菊池氏でしたが最後は北朝・幕府軍に敗れ、落武者たちは今の熊本県と宮崎県にまたがる九州の山地、脊梁山地(せきりょうさんち)の奥深く逃れたのですが、秋元集落もそのうちの一つだったりします。
秋元川
秋元川(あきもとがわ)とは諸塚山(もろつかやま)を水源とする三本の水流が集まり、村の中央部を貫流して五ヶ瀬川(ごかせがわ)に合流します。
透き通った水の流れる川にはヤマメが棲息し、ウナギが流れを遡って泳ぎ、上質な川海苔(かわのり)が採れることでも有名です。
川沿いには「山の神・水神・稲荷」などの小さな祠(ほこら)が点在しており、土地神や自然神を祀る信仰があったことを示しています。
碧玉
秋元川の川底や水辺に見られる赤や深緑色の石は碧玉(へきぎょく)と呼ばれる硬質の石で、古代の勾玉(まがたま)の原石として用いられた可能性が指摘されています。
勾玉(まがたま)は、先史・古代の日本における装身具の一つで、祭祀(さいし)にも用いられたと言われていますが、詳細は不明です。
- 動物の牙で作った牙玉を基とする説
- 胎児の形を模したとする説
- 魂の姿を象ったとする説
- 巴形を模したとする説
- 月の形を模したとする説
- 形そのものに意味があったとする説
- 破損した耳飾を再利用したとする説
上記のように、勾玉(まがたま)には、いろいろな説がありますが、日本の縄文時代の遺跡から発見されたものが最も古く朝鮮半島にも伝播したと見られています。
拝殿

秋元神社の拝殿は鬼門(北東)を向いており、不思議なパワースポットとして注目されていますが、拝殿の中も非常に不思議で素晴らしい空間です。
「百人一首の詠み人の絵」が飾ってあったり、左右上には木像や天狗のお面が飾ってあります。
秋元神社・不思議なパワースポットに迫る!:まとめ
以上、不思議なパワースポットとして知られる「秋元神社」について紹介しました。
秋元神社はもともと山岳信仰のある地域で、多くの修験者(しゅげんじゃ)が立ち寄る場所でした。噂で語られる以上に、神秘的な場所なので気になる方は、ぜひ足を運ぶべきです。
2024年現在、秋元神社までの県道50号に関しては、工事のため時間規制が行われています。この時間規制は、今のところ2025年3月21日まで行われる予定なので、秋元神社に行く際は注意してください。
アクセス
- 名前:秋元神社(あきもとじんじゃ)
- 住所:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字向山6781
- 場所:高千穂バスセンターから車で約30分
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