高杉晋作の名言・辞世の句と言われる歌の続きと意味!!
こんにちは、三日月です。
今回は現代の幕末FANの中でも人気の高い、高杉晋作の読んだ歌についてです。
『おもしろき こともなき世を おもしろく』
幕末の風雲児、高杉晋作が読んだ句で、よく使われる名言なのでご存知の方も多いと思います。
晋作の『辞世の句』だとも言われていますが、死の数年前には読まれていたようなので、厳密に言えば辞世の句ではありません。
辞世の句とされる2つの歌の意味
『おもしろき こともなき世を おもしろく』。
『おもしろくないこの世の中をおもしろくしてやる!!!』という豪快で攻撃的な印象を受けますよね?
伊藤博文が『動けば雷電の如く発すれば風雨の如し』と評した高杉晋作らしい句です。
ただ、この言葉は本来、少しニュアンスが違っていた可能性があるのをご存知でしょうか?
『おもしろき こともなき世に おもしろく』
これが本来の高杉晋作の読んだ句だと言われています。
だから何?
と思われるかも知れませんが、実は『を』と『に』では、かなり意味合いが変わってくるのです。
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高杉晋作は豪快な性格?それとも繊細な青年?
実は後者の『おもしろき こともなき世に おもしろく』だと、「面白くもない世の中を面白く生きるにはどうすればいいんだ・・・?」という意味になります。
イケイケだった高杉晋作のイメージが、一気に繊細な悩める若者といったイメージになりませんか?
これだと、豪快というよりは、誰もが抱く思春期の青年の悩みのようです(笑)
実はこの高杉晋作の『おもしろき~』の句には下の句があります。
それは当時、命を狙われた晋作を匿ったり、様々な援助をした幕末の女流歌人・野村望東尼(のむらぼうとうに)が、『すみなすものは 心なりけり』と付け加えたものです。
この句の意味を簡単に訳すと、『心の持ち方次第でおもしろくもつまらなくもなるものだ』といった意味になります。
最初の意味(訳)に付けると意味がちょっと合わなくなってきますが、後者であれば、若く繊細な晋作を見て励まそうとする、野村望東尼の優しさが分かります。
つまり、「自分の気持ちや、考え方次第で、人生は面白くもつまらなくもなるよ。」と諭しているのです。
晋作にイケイケのイメージをもっている方は、なかなか受け入れ難いらしいのですが、私はこちらのほうがシックリきます。
「すみなすものは 心なりけり」この野村望東尼の句もいい歌ですよね。
関連記事⇒野村望東尼_高杉晋作の『おもしろき事もなき世』の辞世を彩る女流歌人!!
まとめ
高杉晋作という人物は、波乱万丈の人生を歩み、派手な行動が目立つため豪快な人物というイメージが強いと思いますが、本質的な性格は、穏やかで非常に繊細な人物だったと私は思っています。
なので私的には「面白くもない世の中を面白く生きるにはどうすればいいんだ?」という意味の歌のほうが、晋作のイメージに合います。
「おもしろき事もなき世(を)、(に) おもしろく」。高杉晋作はどちらの意味でこの句を読んだのでしょうか?
あなたはどちらだと思われますか?
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ディスカッション
コメント一覧
はじめまして。
歴史ファン、司馬遼太郎ファンのものです。
このようなサイトがあるのを知って、非常に親しみが湧きました。どこから投稿してよいのか不案内なため、不適当であれば指摘下さい。
高杉晋作の辞世、そういう見方もあるんですね。
「花燃ゆ」放送を機に今一度、「世に棲む日日」を読み直しました。
やはり、一番好きな、興味ある人物です。
晋作に限らず、僕は、歴史上の人物の性格・性質を想像するのが大好きです。
司馬遼太郎の作品は、史実に近いものだけを紹介し、変な脚色やフィクション臭さが無いので、小説としては物足りなく感じる面もありますが、その分、読者の自由な想像力が掻き立てられますね。
晋作は、体制の変革期において、本来、保守既得権側の立場にあったものの、自分の意思で体制破壊者に変わっていった人です。この変化の揺れ動きが、並大抵の時代の人生ではありえない劇的なものになってますね。
初期の変化、心の葛藤に方向性を与えたのは、松陰先生ですね。ただ、完全に松陰先生と同じ思想にまで至ったわけではなく、「とにかくこのままではダメだ」という情熱が発火した感じでしょうか。晋作の短い生涯の中で、僕が特に興味あるのは、「舞台への上り下り」です。人生の押し引き、とでも言えるでしょうか。この人、脱藩、牢獄、出家、領内隠棲、九州逐電など幾度となく「表舞台」から下りては上りを繰り返してます。
人間、上りは、周りの推挙が無ければできません。下りるのは、また違った意味の勇気が必要です。
一気にのし上がって上り詰めることより、何度も上り下りして「敗者復活」することの方が、断然困難だと思います。しかも二十歳前後から亡くなる28歳までのわずか8年足らずの短い時間です。
自身を省みたとき、8年で何ができるのだろう、と茫然とするだけです。
で、晋作の性格・性質ですが、一言でいうと「頭の回転の速いひと」だと見ています。
熟考せずとも、”感覚””ひらめき”で「正答」を導き出してしまうんですね。もちろん、基礎情報の収集は、読書や交友などで幅広かったのでしょう。
そして、一番の凄さは、自分の命の使い方を”天命”として悟ったことでしょう。
”自分しかやれる人がいない”
この心情は、自身の「志」というものではなく、天からの「指名」を受けた、というもののように思えます。
”俺が俺が”と押し退けて強引に引っ張っていくタイプではなく、どこか、”ひと(天)がそう言うならやるしかない”、というタイプでしょうか。
でも、やると自分が納得したら、とことんやるんですね。
最後に辞世の句です。
晋作は、自分自身が一個の任務者として使命を全うしようとし、ごく客観的に自分の人生を振り返ろうとしている想い、だと僕は解釈しています。
今風に言うと、幽体離脱する自分を見る、という感じでしょうか。
句の解釈としては、野村望東尼が付け足した意でまとまると思います。ただ、やはり、この政局的時期と辞世の場であるので、”今までどうだったのか”という趣意を想像します。
「おもしろくもないと思っていた世の中だが、俺はおもしろく生きようとしてきた。未だにその結果は見えてこない。本当にこれで良かったのだろうか・・・。」
政局的には、長州征伐が失敗したとはいえ、未だ長州藩の行く末が定まっていなかった時期であり、晋作としては無念だったと思います。よく、ひとの役割が終わって天に召される、と言われますが、それは後世の見方であって、当時の本人も周囲も、”悔やんでも悔やみきれない”最期だったと思います。
ですから、もし、討幕成功の結果を墓下の晋作に時を超えて報告できるのであれば、「おもしろき こともなき世に おもしろく」の下の句には”積年の苦労が報われる日が来ました。やっとおもしろい世がやってきました。”という趣旨を付けたいですね。
肥後竜馬様
コメントありがとうございます。
「未だにその結果は見えてこない。本当にこれで良かったのだろうか・・・。」という訳には、なるほどと思いました。
とても深い洞察ですね。
はじめまして。
私がこの句を知ったときは、
中学生だったと記憶していますが、その時から座右の銘になっています。
そして、その時は上の句が「おもしろきこともなき世を」だったと思いますが、
そのときにも、「おもしろいことがないような世の中でも、おもしろく」という哀愁と決意の両方を感じていました。
すんなりそう感じていたので、
それ以上なぜそう読み取ったのかなどは考えもしなかったのですが、
改めて考えてみると、
「を」か「に」かで心情の違いはあまり感じなく、
「世」を詠むときに、「おもしろきこともなき世」と始まっている時点で、やはり達観した切なさを感じていました。