松平容保ってどんな人?時代に翻弄された新撰組の親分の評価とは?
松平容保は新選組などを配下に持ち、京都の治安維持に勤めた会津藩の藩主。
美濃国(いまの岐阜県南部あたり)の高須藩主・松平義建(まつだいらよしたつ)の息子として生まれました。
1846年に叔父さんにあたる会津藩主の松平容敬(まつだいらかたたか)の元へ養子にいき、1852年に叔父さんの跡を継いで会津藩主になっています。
容保は幼い頃からイケメンとして知られ、江戸から養子に来た時は会津藩中が騒ぐほどだったそうです。
今回は幕末の美男子としてもよく紹介される松平容保に迫ってみましょう。
松平容保って何をした人?京都守護職編
松平容保は会津藩家訓に基づいた教育を受けて育ち、特に皇室崇拝、幕府への絶対従順は容保の考え方に大きく影響しています。
16歳で会津藩主となる容保ですが、その頃、時代は激動の幕末へと差し掛かっていました。
1860年3月3日。
大老井伊直弼という幕府のなかでもとても偉い人が殺されてしまう事件が起こります(桜田門外の変)。
この時、井伊を護衛していたのが水戸藩士達でしたが、井伊が殺されてしまった為その責任を問われます。
「容保は会津だから水戸と関係ないじゃん・・・!」
と思われるかもしれませんが家系を遡ると容保は水戸藩の血を継いでいます。
この為、水戸藩と幕府の間の調停役として若いながらも頑張って事態の収束に力を尽くし活躍します。
そんな大事件もあり、世の中の情勢が悪化していくなかで、薩摩藩(いまの鹿児島県あたり)国父と呼ばれた島津久光(しまづひさみつ)による改革が行われました(文久の改革)。
簡単に言ってしまうとこの改革は人の配置を変えたり時代にあった新しい職をつくった改革です。
容保は26歳にしてこの改革により大抜擢されます。
それが京都守護職(きょうとしゅごしょく)です。
読んで字のごとく、京都を守る役目を授かります。
「一見華やかで大役で容保大出世じゃん!やったね!」と思われるかもしれません。
ですがこれ、完全に貧乏くじを引かされています。
何故かというとその頃の京都はとても治安が悪く何があってもおかしくない。
そんな中で守護職なんて責任、誰も取りたがらなかったんですね。
もちろん、容保もこの職に就く事を最初は病気をしていたりもしたので頑なに拒否していました。
しかし幕府側も誰かにこの職に就いてもらわなければならないので、毎日、容保のもとを訪れてお願いをします。
最終的には昔の藩主保科正之が遺した幕府への忠誠を持ちだされ容保は結局これを引き受けます。
『京都守護職&会津藩主』
これが幕末における容保の立場になりました。
そして、この職で一番しなければならないことは、幕府を潰そうとする倒幕派の人達の粛清です。
当時の京都には
「幕府はもういらなくない?」
「そろそろ新しい政府つくるべきじゃない?」
というような考え方の人がいました。
容保はこういう人達に対し武力を持って取締りを行いました。
容保は新選組や見廻組を動かしながら京都の守護にあたっていました。
京都を守るという役目はなかなか大変でしたが、孝明天皇(こうめいてんのう)から直接歌を贈ってもらうなど、天皇の容保に対する信頼はバツグンでした。
しかし、時代は非情に流れていき、大政奉還が行なわれます。
大政奉還というのは「政治をする権利を幕府が朝廷に返上する」というもの。
これによって容保は京都守護職を解かれます。
そして、幕府の為にがんばってきた容保は、朝敵(朝廷の敵)として新政府から追われる立場になってしまいます。
会津戦争から晩年まで編
「会津藩は新政府に従いますよ~」と恭順の姿勢をみせたのに、依然新政府は容保を朝敵とみなし続けました。
鳥羽・伏見から起こった幕府軍対新政府軍の戦いは会津や東北、果ては北海道まで及びました。
そのため、容保は会津討伐の動きを見せる新政府軍に対して、徹底抗戦を決意します。
それが会津、鶴ヶ城での籠城戦です。
会津戦争は激しい戦いになり、多くの戦死者を出しています。
そして、新政府軍からの総攻撃を受けた容保はついに降伏してしまいます。
新政府軍の配慮から命だけは助けられた容保は東京に蟄居(外に出ないこと)という処分が下されました。
これが許されると1880年には徳川家康を祭る日光東照宮の宮司になり、肺炎にて57年の生涯を閉じています。
会津藩の什の掟「ならぬものはなりませぬ」
会津には「什の掟(じゅうのおきて)」という決まり事があり、会津の士族の子供達はその掟を基に成長していきます。
容保もきっとこの掟を教わったと思うのでご紹介しますね!
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ (年上の人の言う事に従いなさい)
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ (年上の人にはお辞儀をしなさい)
三、虚言を言ふ事はなりませぬ (うそを言ってはいけません)
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ (卑怯な立ち居振る舞いをしてはいけません)
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ (弱い者いじめはしてはいけません)
六、戸外で物を食べてはなりませぬ (外で食べてはいけません)
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ (外で女性と話してはいけません)
ならぬことはならぬものです(だめなものはだめなのです)
これは幕末の会津藩を題材にした大河ドラマ「八重の桜」で有名になった言葉です。
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