森蘭丸ってどんな人?小姓の仕事内容や主君との修道関係についても解説!
日本史上の美少年といったら「天草四郎」か「森蘭丸」か、といわれるほど広く世に名を知られた織田信長の小姓・森蘭丸。
アニメや小説なんかにもよく登場する人物ですね。
小姓とは武将の秘書的な立場で常に傍らにあり、話し相手になったり身の回りの世話をするなど雑務もこなすポジションです。
いざという時には、主のを守るために刀を振るうために武芸にも優れている必要がありました。
有名なのは織田信長の小姓 森蘭丸や羽柴秀吉の石田三成ではないでしょうか?
その他にも前田利家や直江兼続もそれぞれ織田信長、上杉景勝の小姓でした。
資料には森蘭丸の武勇を称えるものはほとんどありませんが、信長の使者として方々を巡る中、各所からその品行方正さを高く評価されていました。
そこにはやはり、信長の小姓としての高い自負(プライド)があったのでしょう。
彼の逸話のほとんどが信長とのやり取りであることや、時を越えた今でも美〝少年〟として伝わっているその理由の多くは、やはり享年17歳という若さにあります。
本能寺の変で信長と共に討死していなければ、屈指の武将として天下に名を馳せていたかもしれません。
今回はそんな森蘭丸の生涯を、逸話や小話を交えて切り取っていきましょう
小姓との衆道関係(男色)
小姓とは主人の身の回りの世話をしたり、来客の取次をしたりする秘書のような役割。
織田信長の小姓ともなると、とにかく気が利いて細かいところにまで目が行き届くような人物でないと務まりません。
そして、各武将に信長の意志を伝える仕事もあるので、政治や軍事に関しての知識も必要となってきます。
さらに、戦国時代の価値観は現代とは大きく違っていて、衆道(しゅうどう)関係が当たり前のように存在していました。
蘭丸の場合は信長の着替えや、風呂で体を洗う事、その他にも寝所を共をするということもあったようです。
衆道というのは夜のお相手。
分かりやすく言えば男色ですね。
戦国時代は平時に屋敷などに滞在していれば妻や側室と過ごすことができますが、戦になり長期間、戦場に出ることになれば女性は連れていけません。
なので、衆道関係が頻繁に見られるようになったと言われています。
加賀百万石で有名な前田利家も織田信長の小姓であった時期があり、信長と衆道関係だったことを自慢し、周囲の人から羨ましがられたという逸話があります。
森蘭丸ってどんな人だったの?簡単に解説!
そして万見 仙千代亡き後に信長に寵愛を受けたのが森蘭丸。
森蘭丸の正式な名前は森成利で、幼名とされる「蘭丸」も信長公記などを見ると「乱丸」という漢字が正しいようです。
森蘭丸 |
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【出身】尾張国 |
【生没年】1565年~1582年 享年17歳 |
信長の家臣であった森可成の3男として生まれ、弟の坊丸、力丸と共に三兄弟で信長の小姓となっていました。
森蘭丸は美少年で頭が良いだけでなく、事務官僚としての役割を果たし、機転が利いたことなどから信長のお気に入りだったと伝わります。
そのため、信長から城を与えられていたようですが、その城には城代を置き、自身は信長の傍にいました。
信長から開けっ放しにしていた隣の部屋の障子を閉めてくるように言われ、向かったものの障子は閉まっていたため、信長の面子を保つため一度障子を開けてから、周りの者に聞こえるよう音を立てて障子を閉めたという気遣いの逸話が残っています。
ここまでの気遣いができれば、それは可愛がってもらえますよね。
【森蘭丸を知る5つのポイント】
- 武芸の腕があり、気遣いもできる美少年
- 信長の小姓で衆道関係にもあった
- 正直さが認められて信長から刀も授かる
- 本能寺にて信長と共に討ち死に。享年17歳
信長と蘭丸の関係
蘭丸は織田信長の小姓です。
小姓とは今でいう秘書のような役割で、主君の雑用はもちろん、戦についていき最後の盾となりお守りする役目も担っていました。
小姓の多くは元服前の青年が担いますが、これも武士の役職の一つ。
幅広い知識や教養、武芸にも長けていることが求められます。
石田三成や井伊直政なども小姓としての経験を持ち、その後立派に主君を守る武将となっています。
さて、数多くいる小姓の中でも、森蘭丸はことさら信長の寵愛を受けていました。
女性は戦場においては穢れとされ連れていくことができなかったため、蘭丸は信長の夜の相手もしていたといわれています。
今でこそボーイズラブだなんだと言われていますが、当時は「衆道(男色)は武将のたしなみ」といわれるほどごく普通のことだったのです。
本妻に側妻と女性も多く抱えていた信長ですが、お世継ぎを成すためだけの結婚と、死地で背中を預け合った相手と明かす夜とどちらが本物の愛であったかは謎のままです。
信長の3つの自慢の1つに入り、刀も授かる
信長は稀に見る才能や美貌、珍物、名物などに目がありませんでした。
そんな信長の自慢とする3つのものが「一に白斑の鷹、二に青の鳥、三に森蘭丸」と言われています。
これだけでも信長が蘭丸を寵愛していたことは十分に分かりますが、信長はさらに、己が所有していたお気に入りの刀「不動行光」も蘭丸に授けています。
そしてこの一件には面白いエピソードがあるのです。
ある時信長が「この刀の拵えの刻(きざみ)の数をあてたものに、この不動行光をやろう」と言いました。
小姓たちは思い思いの答えを述べますが、蘭丸だけは口を閉ざしたまま何も言いません。
理由を尋ねると、「実は信長様が厠(トイレ)に立たれる際、その刻みの数を数えたことがあります。知っていながら知らぬふりをして言い当てることはできません」と馬鹿正直にそう答えたのです。
信長はこの正直さを賞し、彼にこの不動行光を授けます。
正直者は得をする、とはよく言いますが、蘭丸はどこまでも信長好みの誠実な少年なのでした。
本能寺の変で信長と共に最期を迎える
明智光秀に攻め込まれた本能寺。
明智光秀が織田信長を襲撃した本能寺の変。
この時、攻め寄せた軍勢が明智光秀の軍勢であると信長に報告したのが森蘭丸だったとされています。
本能寺では信長の盾となり最後まで奮戦。
しかし、人数で劣る上に、何の装備も固めていない蘭丸は最後には天野源右衛門という武将に打ち取られてしまいます。

蘭丸は享年17歳(18歳)。
現代で言えば高校生という若者真っ盛りのこの時期に、彼は何を思って信長に仕えていたのでしょう。
幼くして並みならぬ君主を得、その期待にこたえ続けた蘭丸。
一節には、追い込まれて自ら腹を切る信長のために鼓を打ったという話もありますが、さすがにこれは理想が生んだ創作話。
しかし、蘭丸が最後の最後まで信長のために奮戦したことは確かです。
本能寺の変がなければ織田信長軍団の中核を担う人材になっていた蘭丸。
信長に愛された青年武将の早すぎる最期でした。
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