斎藤利三はなぜ明智光秀の腹心になった?稲葉一鉄との軋轢を紹介!
斎藤利三は明智光秀の家臣として本能寺の変に参加。
山崎の合戦にも出陣して秀吉軍と戦っています。
光秀が最も頼りにした家臣の一人で、明智軍の中では中心的な役割を果たしています。
大奥で有名な「春日局」の父親としても有名な武将ですね。
斎藤利三ってどんな人物?利三を知る6つのポイント
【生没年】 1534年(天文3年)~1582年(天正10年)
【簡単にまとめるとこんな人】
- 明智光秀の腹心の部下
- 丹波平定に関わり、功を上げたため、黒井城一万石を与えられる
- 有能すぎるため信長と光秀のいさかいの火種になったこともある
- 明智光秀と共に本能寺の変を決行する
- 山崎の戦に敗北し、六条河原で斬首。本能寺にて晒し首になる
- 娘は徳川家光の乳母となる春日局
明智光秀の腹心として知られる斎藤利三。
彼がそう呼ばれるまで光秀に忠義を尽くしたのには、いくつかの理由があります。
幕府の奉公衆であった利三は上京後、摂津国の武将・松山重治(まつやましげはる)に、その後斎藤義龍(さいとうよしたつ)に仕えます。
しかし舅である稲葉一鉄が義龍のもとを離れ織田家に従属したため、利三もこれに従って一鉄の家臣となります。
これは現代に例えると、舅と婿の親子二代が勤めていた会社から「せーの」で退職し、別の大手会社(織田家)に就職してしまうようなイメージ。
これだとなんとなく利三が頼りないお婿さんという印象を受けますが、実はこの稲葉一鉄は美濃三人衆と呼ばれる武将の一人で「頑固一徹」と呼び名がつくほどの最強の頑固おやじだったのです。
こんなおっかない舅さんに「ついてこい!」と言われたら従うしかない利三の気持ちもなんとなく分かりますね。
しかしその後、利三はこの一鉄とも仲違いし、彼のもとから去ってしまいます。
そんな時、利三に手を差し伸べたのが明智光秀です。
丹波平定に関わり、黒井城一万石を与えられる
利三はその後、秀光のもとでめきめきと実力を発揮していきます。
そして光秀の大仕事の一つ、丹波平定に関わり、平定後には黒井城一万石を与えられました。
黒井城といえば丹波の赤鬼と言われた赤井直正が秀光に徹底抵抗し、苦労の末にようやく手に入れた城。
それを与えたことで光秀は利三の功を確かな形でねぎらい、利三もまたそれを誇りに思い、光秀のもとでいっそ真摯な働きをみせるようになったわけです。
有能すぎた利三。信長と秀光の争いの火種になる
喧嘩別れしたとはいえ、稲葉家を去った利三が光秀のもとでがんがん功を上げるのは稲葉家からすればまったく面白くありません。
そこで稲葉一鉄は信長にぐちをいいます。
それを受けた信長は、秀光に「利三を斎藤家に返すように」と言いますが、なんと光秀、それを跳ねのけてしまうのです。
「私がいい家臣を持つことは、ひいては信長様のためにもなるのです」
その言い分が気に食わなかった信長は光秀を厳しく処罰し、なんと利三にも切腹を言いつけてしまいます。
(これが本能寺の変の直前だったため、光秀が謀反を決心したきっかけの一つにもなっているのではないかと語られています)
ともかく、利三にしてみればとんだとばっちり。
たまったもんじゃありません。
明智光秀とともに本能寺の変を決行する
利三は光秀が本能寺の変を決行することを打ち明けた、信頼のおける家臣達のうちの一人です。
はじめ利三は謀反が無謀であることを光秀に説きますが、結局最後は光秀に押し切られてしまいます。
光秀からはいくつもの恩を受けていた利三はここで離脱するわけにもいかず、こうして首謀者の一人となったのです。
山崎の戦に敗北し、六条河原で最期を迎える
信長を秀光が討ったあと、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が戻ってくるのがすさまじく早く、利三は光秀に「守りに徹しましょう」と慎重になるように言いました。
しかしここでもまた光秀は譲らず、先鋒(戦で最も誉れある役どころ)を任された利三は「主君殺しの天罰は逃れ難いか……負けの兆しが見れるな」とつぶやき、戦場へ向かったといいます。
結果、光秀の天下は「三日天下」と言われるほどすぐに幕を閉じました。
山崎の戦に敗れた明智勢は敗走。
利三も逃亡しますが、とうとう秀吉の手のものに捕らえられて六条河原で斬首。
首は本能寺に晒されました。
これが明智光秀に仕えた斎藤利三の最期です。
斎藤利三について知れるおすすめの本
何人もの主人に仕え、明智光秀という男に忠誠を誓い、その働きをおおいに助けた斎藤利三。
歴史に名高く知られてはいませんが、彼もまた立派な立役者だったと言えるでしょう。
斎藤利三について更に知りたいと思ったらぜひ
「明智光秀と斎藤利三」(著:山本泰生)も読んでみてください!
斎藤利三が主軸となって登場する数少ない歴史小説です。
手に汗握る謀反者達の活劇が面白いですよ。
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