戦国最後の戦・大坂夏の陣では、真田信繁を筆頭に豊臣方に付いた人物が数多く戦死していきました。 その中には、信繁の息子・幸昌(大助)のように若年にしてその命を散らせた者もいます。 秀頼の小姓・木村重成もその1 […]
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大坂の陣の最中に遊郭通い?薄田兼相(隼人)が橙武者と呼ばれた理由!
大坂の陣で豊臣家に協力した武士は、真田信繁や長宗我部盛親のように大名格のエリートだった者ばかりではありません。 豊臣家は既に多くの大名から見放されていたことから、地に落ちた浪人や不遇を託っていた大名崩れ、そして若き主君・ […]
野心家の伊達政宗が徳川家光から絶大な信頼を受けていた理由!
奥羽の大名・伊達政宗はよく信長・秀吉・家康と同世代であれば天下を狙えるほどの器であったと称されています。 その評判に違わず、政宗は奥羽統一の若き日から江戸幕府の世となった晩年まで天下を取るという意識を崩すこ […]
関ヶ原の戦いで石田三成がで徳川家康に敗れた敗因は何?
日本の歴史上、最大の天下分け目の戦いである『関ヶ原の戦い』。 石田三成が事実上のトップとなった西軍が挑むのは徳川家康が擁する東軍。 しかし、誰しもが長期戦を予想していた中、本戦はたったの半日で勝負が決してし […]
【現代語訳あり】家康を激怒させた直江兼続の直江状の内容とは?
豊臣秀吉の死後、幼主・豊臣秀頼の後見を任された徳川家康はその立場を利用して露骨に天下への野心を明らかにします。 これに対し、会津にいた五大老の1人・上杉景勝は国許で家老の直江兼続に命じて領内諸城の補修を命じ […]
細川忠興の歪んだ性格と妻・細川ガラシャの最期の様子!!
戦国大名の中には、大名である夫よりも妻の方が知名度が高い人物がいます。 それが、キリシタンの悲劇で有名な細川忠興(ただおき)・玉(ガラシャ)夫妻です。 2人はいずれも名門に生まれ結ばれるべくして結ばれました […]
5分で分る宇喜多秀家!八丈島に流れ着いた福島正則のお酒の逸話!!
豊臣政権下で絶大な権力を握った五大老。 関ヶ原の戦いでは彼らの動きがとても重要な役割を果たしていました。 その中で、五大老の筆頭・徳川家康に真っ向から立ち向かったのが備前の宇喜多秀家です。 彼は五大老の中で […]
真田丸で注目される名僧・板部岡江雪斎(こうせつさい)の功績と評価!!
大河ドラマ『真田丸』では今、真田領を巡って豊臣と北条が雌雄を決する時が近づいています。 結論から言うと、北条は豊臣に屈してついに秀吉の天下統一が果たされることとなるのですが、滅亡した北条に仕えていた者は主を無くした後にど […]
真田安房守や左衛門佐・伊豆守といった戦国武将の官位について!!
歴史ものの話では、しばしば人物の名に役職・官職が付いてくることがあります。 これらを完全に網羅することははっきり言って数十年も研究している学者でさえも難しいことです。 まして普通にエンターテイメントとして見 […]
現代に残る真田幸村(信繁) の子孫!!信繁の妻と子供たちのその後!!
歴史上の人物の有名人の子孫は、現在で一体何人いるのでしょうか? だいたいこういう類の情報は、嫡流ほど早くに断絶して庶流は表舞台から離れていくことで一般人と同等になり普通にいるということが多いです。 現在、正 […]
真田幸村(信繁)の子供・阿梅と大八を保護した片倉小十郎重長とは?
真田信繁が大坂の陣で討ち死にした時、彼にはまだ何人かの子供がいました。 そのうち、長男の真田幸昌(いわゆる真田大助)は信繁と共に討ち死にしましたが、その弟である大八と阿梅、それに大坂の陣から2か月後に生まれる幸信(三好幸 […]
豊臣秀吉が目をかけた真田信繁(幸村)と茶々の本当の関係とは!?
真田昌幸が秀吉に服属することを決めてから、信繁は上杉景勝から豊臣秀吉の人質として大坂城に留め置かれることとなります。 人質といえば何もすることなく軟禁という響きですが、真田は別に滅ぼされたわけでもなく豊臣に恨みを持たれて […]
賤ヶ岳七本槍の平野長泰(近藤芳正)が出世できなかった理由とは?
加藤清正や福島正則と同じく賤ヶ岳七本槍に選ばれながらも出世の度合いとしては大きく差をつけられてしまた平野長泰。 同じく七本槍の1人で真田丸にも出演している片桐且元らもそうですが、加藤清正や福島正則とは知名度にも大きな差が […]
関ヶ原の戦いは石田三成と直江兼続の共同作戦?
天下人・豊臣秀吉が亡くなると、天下は石田三成ら文治派と加藤清正ら武断派の二大勢力を中心とした争いに発展していきます。 そこにつけ込んだ徳川家康が清正らに接近し、政略結婚を行うなど秀吉の遺訓を破ると、家康に蟄居させられてい […]
戦国最強と言われる本多忠勝と三国志の張飛の共通点!!
戦国最強と謳われる徳川の重臣・本多忠勝。 彼は14歳で初陣を飾って以来、生涯無傷という凄まじい逸話が残されてます。 その活躍ぶりに忠勝は織田信長から「今張飛」つまり「三国志の張飛のようだ」と評価されています […]