滝川一益は一説によると、忍者の里として有名な甲賀の出であるとされ、幼い頃から鉄砲の扱いに秀でていたと記録に残っています。

鉄砲上手であった事が織田信長の目に止まり織田家に士官。

 

その後、一益は伊勢攻略戦や長島の一向一揆衆との戦い、石山本願寺の戦いなどで数々の武功を挙げ、柴田勝家や明智光秀、丹羽長秀らと肩を並べる織田家四天王として関東方面軍司令官となります。

 

今回は滝川一益の甲州征伐においての活躍や、その後の恩賞についての逸話を紹介していきたいと思います。

 

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織田四天王までの軌跡

織田信長に士官した後、一益は織田家と松平家の間で行われた会見で同盟の交渉役に命じられ見事に大役を果たします。

その後、伊勢攻略の先鋒に任命され北畠を攻め、安濃津・渋見・木造の三城の守備も難なくこなすと、着実に実績を積み上げていきます。

 

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また1570年に長島の一向一揆衆が蜂起した時には桑名城に立て篭り、粘り強い戦いを繰り広げます。

 

一揆衆の包囲を破った後は尾張を守備しながら北伊勢方面を転戦。

これらの功績が信長に認められ、北伊勢八郡の内五郡を治める織田家の有力家臣となります。

 

その後も各地で転戦を重ね、一乗谷攻略戦や設楽ヶ原の戦い、雑賀衆を討伐した戦い紀州征伐などで勲功を挙げ、織田軍四天王として他国の大名家にも名が知れるようになります。

 

甲州征伐で手柄を上げる

1582年、信長は長年苦しめられてきた武田家征伐を行うべく、嫡男である信忠を信濃へ侵攻させます。

この甲州征伐には滝川一益も主力武将として参戦。

 

信濃に駐留する武田軍を壊滅させると、武田勝頼を天目山に追い詰めて自害させるという抜群の功績を挙げるのですが、この甲州征伐の手柄には少し面白い逸話があります。

 

当時、茶の湯が戦国武将の間でブームになっており、教養として茶の湯を行うのが当たり前となっていました。

もちろん、一益も茶器を持って茶の湯を嗜んでいました。

 

甲州征伐出陣前、一益は安土城に登城した際、信長に「甲州征伐で勲功を上げた際には珠光小茄子(じゅこうなすび)の茶器を所望したい。」と伝えます。

この時信長は何も言わず去ってしまったようですが、一益は抜群の勲功を挙げれば「珠光小茄子(じゅこうなすび)」を恩賞でもらえると思っていました。

 

しかし実際に信長から下賜されたのは、上野一国と信濃の小県・佐久郡という領地で珠光小茄子の茶器をもらうことはできませんでした。

これが一益にとっては相当ショックだったようで、茶の湯の師匠に「信長から小茄子を拝領しようと思っていたが、上野のような遠国に置かれてしまい、茶湯の冥利ももはやつき果てた」と愚痴っています。

 

当時の茶器は名物となれば国1つと同じくらいの価値があるとされるくらい高価なものでした。

それを証明するかのように、実際に滝川一益が欲しかったのは領地よりも名物の茶器だったようです。

 

一般的に見れば大出世を果たした一益ですが、本当に欲しかったのは領地よりも「珠光小茄子の茶器」という、戦国武将らしからぬ逸話です。

 

本能寺の変とその後

一益は本能寺の変で信長親子が急死したとの知らせを聞くと、上州の諸将を集め信長が打ち取られた事実を告げます。

 

その際「我らは上方へ帰り、信長様の敵を討たねばならない。状態が急変した今、もし我を討ち取り北条に降ろうとするものがいれば、直ちに戦いを挑んでくるがいい。我は北条勢と決戦し、是が非でも上方へ向かう所存だ」と述べたと伝えられます。

 

何とも武骨な戦国武将でる滝川一益らしい台詞です。

 

その後、北条勢と神流川で戦って敗北した一益は居城である厩橋城(うまやばしじょう)に帰還。

そして箕輪城で人質を解放した後に上州の諸将と別れの盃を交わし、翌日には織田家の本拠地である伊勢に向かいます。

 

しかし、清州城で信長の後継者を決めるために行われていた清洲会議には参加できず、織田家四天王としての発言力は急速に失墜していきます。

清州会議では明智光秀を討ち取った羽柴秀吉の発言権が力を増し、秀吉が三法師を織田家の正当後継者として擁立。

 

信長の三男である信孝を擁立した柴田勝家と対立し、二人の溝は深まっていきます。

 

秀吉と戦の戦いに敗れる

秀吉と勝家の間で戦が起こると、一益は勝家側に付き北伊勢を攻略。

1583年に賤ヶ岳の戦いが勃発すると、北伊勢に侵攻してきた蒲生氏郷と織田信雄の2万の兵を相手に一益は長島城に立て篭り抗戦します。

 

しかし賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が敗北。

滝川一益も孤軍奮闘を続けていましたが、最後には秀吉に降伏し、所領を没収され越前に蟄居を命じられます。

 

織田家の中で抜群の働きを示し、四天王と呼ばれた滝川一益も、秀吉との対立を機に勢いが下降線をたどる事になりました。

領地よりも茶器を欲していた一益。

 

もしかすると本音では合戦に明け暮れる日々より、茶の湯を楽しむ平穏な日々に憧れていたのかもしれません。

 



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