織田信長がその存在を恐れ、天下を取った徳川家康を完膚なきまでに叩き潰した武田信玄。

川中島の合戦で毘沙門天の化身と言われた上杉謙信と壮絶な戦いを繰り広げたことでも有名です。

 

風林火山と印された孫子の旗を掲げて戦った武田信玄とはどういった人物だったのでしょうか?

今回は武田信玄の残した名言も交えながら紹介していきたいと思います。

 

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軍旗「風林火山」の言葉の意味

武田信玄が合戦に出陣する際に使用した軍旗。

 

そこには孫子の兵法の一節が記されています。

 

疾(はや)きこと風の如く

徐(しず)かなること林の如く

侵掠(しんりゃく)すること火の如く

動かざること山の如し

 

この言葉は『孫子(そんし)』という、中国の兵法書に書かれた、軍隊を動かす時の心得を示したものです。

 

軍勢を動かす時には風のように早く

林のように悠然と敵に備え

攻撃する時は火のような勢いで攻め

動かない時には山のように動かない

 

戦国最強と言われた武田軍団の軍旗に印された文字は、戦場で戦う兵士に向けたメッセージだったのかもしれません。

 

実はこの風林火山、孫子の中には続きがあります。

 

知りがたきこと陰の如く

動くこと雷霆(らいてい)の如く

 

影のように敵に気付かれないように動き

動く時には雷のように突然動く

 

まさに、戦に臨む軍隊の心得と言えます。

 

武田信玄が残した名言

武田信玄が残した名言には有名なものがいくつかあります。

実は武田信玄は戦国最強の軍勢を率いていたと言われますが、若い頃はなかなか家臣団の統率が取れずに苦労していた時期があります。

 

『何もかもが思うようにいかない』

 

これは家臣が自分の言うことを聞いてくれない、家臣を上手く束ねることができないと悩んでいた時期の武田信玄の手紙の一文です。

 

信玄は自分の父親を追放して、若くして武田家の当主になるのですが、それは周りの重臣の力があってのこと。

若くして当主になったというよりは、当主に担ぎ上げられたと言ってもいいのかもしれません。

 

しかし、そんな状況でも家臣をまとめ上げ、最強の軍団に成長させた信玄の名言だからこそ、そこには重みと説得力があるのかもしれません。

 

人は城 人は石垣

人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり

 

この名言は、人材を何よりも重んじた武田信玄の言葉です。

 

武田信玄は領国に自身の城を築かず居館に住み続けました。

(とは言っても居館の背後には要害山城という詰めの城があります)

 

いくら強固な城を築いても、家臣の気持ちがまとまらず、裏切りなどが起これば城など何の意味もなさない。

何よりも家臣の信頼を得ることが大切だという信玄の思いが感じ取れます。

 

武田信玄は家臣を信頼し、戦をする時は相手の領地に出ていって戦をすることを心掛けていたため、自身の身を守る要害堅固な城というのは必要なかったようです。

 

一生懸命だと知恵が出る

そして、もう一つ有名な信玄の名言に、現代の私たちにも通じる言葉があります。

 

一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る

 

今の自分が、一生懸命、中途半端、いい加減のどの部分にいるのか良く分かる、核心を突いた名言ではないでしょうか?

 

愚痴や言い訳が多いという事は、物事に真剣に取り組んでいない証で、覚悟を決めて物事に取り組めば最終的に物事は成就する。

苦悩しながらも、最強の軍団を作り上げた武田信玄の名言です。

 

渋柿は

渋柿は渋柿として使え。継木をして甘くすることなど小細工である。

 

渋柿はそのままでは食べることができないが、汁を絞って柿渋(防腐効果などがある)にすれば様々な用途に使える。

そのものの性質を変えようとするより、素材を活かした活用をするべきである。

 

これは人の使い方を説いたものだと思われます。

人材は適材適所に使う、これが武田信玄の大切にしていたことです。

 

為せば成る 為さねば成らぬ

為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり

(やれば出来る、やらなければ出来ることはない。物事が成就しないのは行動していないだけだ)

 

これは米沢藩の名君として有名な上杉鷹山の名言です。

私も大好きな名言なのですが、実はこの名言、武田信玄の言葉をリメイクしたもののようです。

 

為せば成る 為さねば成らぬ成る業(わざ)を 成らぬと捨つる人のはかなき

(やれば出来る事も、出来ないと言ってやめてしまう人は愚かである)

 

武田信玄の名言には核心を突いたものが多いですね。

 

 

関連記事⇒まさに名君!上杉鷹山の改革を詳しく解説!!

 

戦いは五分の勝ち

戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。

五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生ず。

 

『勝って兜の緒を締めよ』ではないですが、勝つためにではなく、勝ち続けるために必要な心得を説いている名言です。

 

自分が亡くなる時も、その死を隠せと家臣に命じた武田信玄。

 

Takeda_Harunobu

 

このことからも、目先の事だけではなく、常に武田家の先の事を見ていたことが分かります。

戦国の世を生き抜くためには油断してはいけないという、自分への戒めも込めた名言だったのかもしれません。

 

家臣に示した信玄の覚悟

武田信玄は家臣の統率に悩んだ時期に、多くの決まりごと(法度)を作り、家臣に発布しています。

ただ、いくら決まり事を作って、それを強制したからといっても、大将である自分が好き勝手に振舞っていたのでは家臣はついてこないという考えがありました。

 

そこで信玄が法度の最後に書いた言葉。

信玄が定めや法度に、信玄自らが違反しているようなことがあったなれば、投書で訴えてほしい。時と場合によって自らその覚悟をする。

 

人に強制する以上は、自らもその法に縛られる。

信玄の並々ならぬ覚悟がうかがえる一文です。

 



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