前回の記事で神武天皇は天照大神の「孫」の「ひ孫」だったと解説しました。「孫」の「ひ孫」ということは、結構遠くて天照大神から初代天皇の神武までの間に4代いるってことになります。この間の4代について知ってる人はあまりいないように思います。建国神話について、天孫降臨?神様がどっかから降りてきたくらいに知ってる人が多数だと思うので、今回は実際に天孫降臨をした神様を解説していきたいと思います。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、日本神話における重要な神であり天孫降臨を果たしたことで知られています。この人が天孫降臨をしたわけですね。天孫降臨とは、天照大神(あまてらすおおみかみ)が治める天上の世界である高天原(たかまがはら)から、初めて神が地上に降り立った瞬間を指します。瓊瓊杵尊は、この歴史的かつ神話的な出来事の中心人物として、地上に秩序と繁栄をもたらすために選ばれました。
天上と地上をつなぐ「最初の神」としての瓊瓊杵尊
瓊瓊杵尊が地上に降り立つ以前、天上の神々は高天原でのみ生活し、地上の世界とは距離を置いていました。しかし、地上の世界が混乱に陥り、秩序が失われていることが天照大神の目に留まりました。地上を正しく治めるためには、神の力を持つ者が降り立ち、秩序をもたらす必要があると考えられたのです。
この使命を託されたのが、天照大神の孫である瓊瓊杵尊でした。彼は、天照大神から三種の神器の一つである「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と共に、地上に降りるよう命じられました。これが、後に日本の建国神話の基盤となる天孫降臨の始まりです。
高千穂に降り立った瓊瓊杵尊:天孫降臨の地
瓊瓊杵尊が地上に降り立った場所は、諸説ありますが、現在の宮崎県高千穂町もその一つとされています。この地は「天孫降臨の地」として広く知られており、日本神話における最も重要な聖地の一つです。高千穂は、険しい山々と美しい自然に囲まれた土地であり、神々が降臨するにふさわしい神秘的な場所として古くから崇められてきました。
瓊瓊杵尊はこの地に降り立ち、まず地上の秩序を確立するための活動を始めました。地上における彼の役割は非常に大きく、瓊瓊杵尊は地上の神々や人々と交流し、彼らに指導を与えながら、混乱を鎮め、平和と繁栄をもたらしました。彼が降り立った高千穂の地は、今日でも多くの人々が訪れる神聖な場所であり、天孫降臨の神話を感じることができる場所です。
木花開耶姫との出会いと地上での新たな生活
地上での生活を始めた瓊瓊杵尊は、やがて美しい神である木花開耶姫(このはなさくやひめ)と出会います。木花開耶姫は、山の神である大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘であり、彼女との結婚によって、瓊瓊杵尊の地上での生活はさらに安定したものとなりました。
二人の間には三人の子供が生まれ、その子供たちは後に日本を治める天皇の祖先となります。特に、息子である彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、後の天皇家の基盤を築く重要な人物となりました。瓊瓊杵尊が果たした天孫降臨は、単なる神話上の出来事にとどまらず、日本の歴史と文化の基礎を形作る重要な転換点となったのです。
瓊瓊杵尊が切り開いた地上の新時代
瓊瓊杵尊の天孫降臨は、それまで天上にのみ存在していた神々が地上で生活を始める新たな時代の幕開けとなりました。瓊瓊杵尊の降臨後、彼の子孫たちは日本を統治し、天皇家の始まりを築きました。瓊瓊杵尊が果たしたこの役割は、日本の歴史において非常に重要であり、彼の子孫たちが日本を治めることは、神聖で正当なものであるとされました。
この天孫降臨は、日本の建国神話の核心であり、天皇家の正統性を支える重要な要素として語り継がれています。瓊瓊杵尊の存在は、後の日本の発展に深く影響を与え、日本の文化や伝統においてもその痕跡を見ることができます。
瓊瓊杵尊の足跡を辿る旅
瓊瓊杵尊の物語を知ることで、私たちは日本の歴史や文化に対する理解を深めることができます。彼を祀る神社や関連する古墳を訪れることで、彼の偉大な足跡を感じることができるでしょう。
瓊瓊杵尊を祀る神社と古墳の情報
霧島神宮(きりしまじんぐう)
- 所在地: 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
- 概要: 瓊瓊杵尊を主祭神として祀る神社。霧島山中に位置し、天孫降臨の伝説に深く結びついています。
高千穂神社(たかちほじんじゃ)
- 所在地: 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037
- 概要: 瓊瓊杵尊が天孫降臨を果たしたとされる高千穂にある神社。天孫降臨にまつわる神事が行われる。
甘樫丘(あまかしのおか)
- 所在地: 奈良県橿原市
- 概要: 瓊瓊杵尊にゆかりのある古墳があるとされる場所。奈良盆地を一望できる歴史的なスポット。