斎藤義龍は斎藤道三の跡を継いで美濃の国主になります。

しかし、父親の道三と対立して最終的には長良川の戦いで道三を攻め滅ぼしています。

 

道三は義龍のことを「無能」と称していたようですが、義龍は本当に無能だったのでしょうか?

そして、道三の嫡男なら待ってれば大名になれたのに、なぜわざわざ道三と対立したのでしょうか?

 

そこには義龍の隠された悲しい過去が絡んでいます。

義龍はどういう暗い過去を背負っていたのか?

 

美濃一国だけではなく隣国尾張の織田信長までも巻き込んで行く斎藤親子の確執に迫っていきましょう。

 

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斎藤義龍ってどんな人?

斎藤義龍の肖像画

【出身国】美濃(現在の岐阜県)

【生没年】1527年~1561年 享年33歳

【同学年】柳生宗厳、酒井忠次

 

【ざっくりまとめるとこんな感じ】

  • マムシと呼ばれた斎藤道三の長男で美濃の戦国大名
  • 織田信長が結婚したのは道三の娘の帰蝶なので、織田信長にとっては義理の兄
  • 父である斎藤道三からはあまり可愛がられておらず、道三は義龍のことを「無能」と評価していた。
  • 最後は道三と対立し、自らの弟を殺害し、道三を長良川の戦いで攻め滅ぼす。

 

斎藤義龍は1527年に斎藤道三の長男として生まれます。

母は側室の深芳野。

幼名は豊太丸、また利尚、高政と名前を変えていますがここでは義龍で統一します。

 

肖像画を見ても分かるように、特筆すべき特徴は身体的な大きさ。

義龍は現在の基準でも大柄だったようで、その背の高さは六尺五寸(197cm)だったと言われています。

 

幼少期のころのことはよくわかっていませんが、親子の仲が良くなかったというのは間違いないようです。

というのも斎藤道三は斎藤義龍よりもほかの息子たちを可愛がっており、斎藤義龍を疎んじ始めます。

 

それはなぜなのか?

いくつかの説があるのですが、その内の一つをご紹介します。

 

ぱねぇっす信長、それに比べてうちの息子は……(超絶意訳)

前述のとおり、斎藤道三は娘の帰蝶と織田信長を政略結婚させて背後の安全を確保しています。

というのも当時斎藤道三は美濃一国を統一したとは言え当時斎藤家のご近所は敵だらけでした。

 

尾張には猛将として知られる織田信長の父織田信秀がおり、稲葉山城に何度も攻撃を仕掛けていました。

また、西に目を向ければ近江の六角や浅井などが雁首を並べて美濃国を虎視眈々と狙っていたのです。

 

道三はその敵の勢力の一つ織田信秀と婚姻関係を結ぶことでお互いの領土の安全を確保したわけです。

しかし婚姻を結ぶにあたって不安要素もありました。

それが帰蝶と結婚する織田信長のことです。

 

織田信秀は名将と呼ばれるに相応しい人物でしたが、信長はうつけ者(まぬけ)として知られる人物だったからです。

 

道三は「信秀は確かに強いけどもし信秀が死んでその息子がバカ殿だったら背中を預けるにはちょっとなぁ」などということが気になっていました。

 

そんな中、愛知県の正徳寺で道三と信長が実際に会って話す機会が来ます。

信長の本性が見たいと思った道三が道の途中に隠れて正徳寺にやってくる信長の様子をうかがっていると、信長は馬の上で着物を着崩しただらしない格好のまま・・。

 

これを見た道三は呆れてしまったといいます。

しかし正徳寺に現れた時の信長は、馬上のうつけの姿とはうって変わってバッチリとした正装。

 

それに兵士たちは当時最新鋭の武器であった大量の鉄砲で武装し、しっかりと訓練されていました。

 

聞いていた姿からの転身ぶりに斎藤道三はすっかり度肝を抜かれ、「されば無念なることに候、山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候」(いや~信長ぱねぇわ。悔しいけどうちの息子・義龍はあいつの部下になることだろうよ)と述べます。

 

普段だっさいスウェット着てる人がいきなりおしゃれするとギャップで可愛く見えるのと同じような感じでしょうかねw

 

信長びいきが義龍の嫉妬心に火をつけた?

しかしこれあまり義龍の目線から見るとあまり気持ちのいい話ではないですよね。

だって「全くお隣の信長ちゃんはあんなに頭がいいのにうちの義龍ちゃんときたら……」って言われてるようなものですから・・・。

 

「ちくしょう今に見てろよ……」と思うのもわかります。

 

実際に義龍による謀反が起きたのはこの会見の3年後のことでした。

 

それともうひとつ大きな問題が母の問題です。

実は義龍の母深芳野は道三と結婚する前は土岐頼芸の奥さんでした。

 

そうなると、

 

「深芳野さんが頼芸と別れてお父さんと結婚したのっていつだっけ?」

「1526年だね」

「義龍が生まれたのはいつだっけ?」

「……1527年だね」

「もう一つ質問いいかな。義龍のお父さんって誰なのかな?」

「…..。」

という事になってしまうのですが、これは資料的裏付けがないので非常に信ぴょう性に乏しいとされています。

 

ただ、それは大きな問題ではありません。

問題はそれを多くの人が信じたということにあります。

 

というのは先ほど斎藤家には外に敵が多いという話をしましたが、実は斎藤家は外だけでなく内側にも多くの敵を抱えている家でした。

 

そもそも斎藤道三自身がもともとの主君であり美濃の国主であった土岐頼芸という人物を暗殺して大名になった人物。

「俺たちの殿を殺しやがったあいつが今は大名となって俺たちを家来にしてやがる」と道三を恨んでいる人物は部下の中にも大勢いたわけです。

 

そんな中、義龍が実は先代の土岐頼芸の息子かも知れないという噂が流れれば……。

 

義龍と道三の決別!長良川の戦い

そして、その時は突然にやってきました。

事の発端は義龍の家臣・日根野弘就が義龍の弟のうち孫四郎、喜平次を稲葉山城内で斬殺したことでした。

 

それを書状で知った道三はあわてて長良川を超えて大桑城という場所まで逃走します。

そこで兵士を集めようとしますがなかなかうまくいきません。

 

それどころか西美濃三人衆として知られる氏家卜全、安藤守就、稲葉一鉄などの重臣たちは道三を助けるどころか義龍の側につきます。

 

この騒ぎは尾張まで伝わり、織田信長までもが援軍を率いてやってくる事態となりました。

さて、戦い自体は斎藤義龍が17500余名の兵士を集めたのに対し、斎藤道三は2700余名。

 

さらに道三の目に飛び込んできたのは斎藤義龍の隙のない見事な布陣でした。

「あいつ……父にも実力を隠しておったというのか・・・。」

 

能ある鷹は爪を隠す。

実力を隠していたのは信長だけではなかったと気づくにはあまりに遅すぎました。

 

戦いは終始義龍のペースで進み、道三を討ち取ったあと、援軍としてやってきた織田信長を追い返し、さらに明智氏などの道三に味方をした勢力も攻め滅ぼしていきます。

 

斎藤道三の享年は63。

裏切りに生き、裏切りによって得た国と命を裏切りによって失う。

彼はこうして下克上時代と呼ばれる時代を体現する人物として名前を残していくことになるのです。

 

【関連記事】

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義龍の謎の突然死

さて、その後の義龍は宿老たちの合議制の導入、また長年の内乱で混乱していた所領問題の処理などの戦後処理と更なる発展に打ち込んでいくことになります。

さらに隣国浅井家や織田家の侵攻に目を光らせるなど外征より所領を守ることに専念します。

 

しかし1561年、反乱が成功して5年ほどで義龍は急死してしまいます。

享年35歳。

 

死因は未だに謎のままで、詳しいことは分かっていません。

 

斎藤義龍が登場するオススメ作品

2012年3月17日に放映されたドラマスペシャル「濃姫」。

斎藤義龍が登場するドラマはいくつかありますがこれが一番お勧めです。

このドラマは主人公こそ濃姫なのですが義龍の謀反に関して非常に斬新な解釈をしています。

 

その解釈とはすなわち「実は義龍が土岐頼芸の息子なんじゃないかという噂を流したのは斎藤道三本人だ」と。

 

つまり道三はマッチポンプの要領で義龍が自分に謀反を起こすように仕向けてその筋書き通りにやられて死んだというわけです。

そして尚且つ義龍が自分の息子であるとわかっていてそうやったと。

 

そうしておけば義龍は国を専横した梟雄斎藤道三の息子としてではなく、その悪者の斎藤道三から国を取り返した先代国主の落胤として国を治めることができるという配慮からやったことだという筋書きだったわけです。

 

残念ながらこのドラマは今は見ることはできませんが、2020年の大河ドラマ「麒麟が来る」にも義龍は登場します。

 

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気になる方はチェックしてみてください。

 

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