有馬新七は西郷隆盛や大久保利通が結成した精忠組の中でも過激派として知られる人物。

年齢も西郷より2歳上、大久保よりも5歳上ということで、2人にとっては兄貴分的な存在でした。

 

そして、有馬新七は西郷や大久保たちと異なり、明治を迎える前にこの世を去るのですが、その最期は、同じ精忠組のメンバーである大山格之助や道島五郎兵衛たちとの斬り合いという壮絶なものでした。

 

有馬新七はどんな人物でどういった最期を迎えたのか?

今回は文武両道の薩摩藩士・有馬新七について詳しくみていきましょう。

 

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有馬新七は薩摩藩の郷士という身分(鹿児島城以外の城で仕える家臣)に生まれますが、父親が有馬家の養子となり鹿児島城下に引越します。

父親が養子となった有馬家は『城下士』といって、鹿児島城下に住むことを許された身分。

 

決して高い身分ではありませんが、鹿児島城下に移り住んだことで西郷たちとの出会いがあり、新七の将来が大きく変わります。

 

新七は幼い頃から古典や朱子学を学んだ秀才で、剣術は薩摩で主流だった示現流(自顕流)ではなく、直心影流を学んでいます。

直心影流は勝海舟と同じ流派で、薩摩では新七の他に川路利良も同門です。

 

そして新七がすごいのが、学問と剣術のどちらも他の人よりも優れていたこと。

それを物語るかのように薩摩藩邸の学問所の教授になり、その後には造士館という藩校の先生になっています。

 

性格は短気?過激派としての活動

有馬新七の性格を一言で表すと「短気」。

すぐに激情するタイプで、思想も過激すぎるほど尊王攘夷に傾いていました。

 

尊王攘夷とは「皇室を尊び、外国人を追い出そう」という考え方。

外国の言いなりになる幕府の弱腰な姿勢は新七にとって許せないものだったようです。

 

そうなってくると付き合う人物も同じ思想を持った人が多くなります。

新七は梅田雲浜や久坂玄瑞、吉村寅太郎といった志士と関わり、さらに幕府を倒さないといけないという使命感を強めていきます。

 

久光の上洛と9人の鎮撫使(鎮撫士)

1862年、島津久光は薩摩藩兵を率いて京都へ向かいます。

この時、新七たち過激派は、久光の上洛は幕府勢力を京都から一掃するチャンスだと考えていました。

 

しかし、久光はこの時点で倒幕を考えてはおらず、それどころか、朝廷から京都にいる不逞浪士を取締まるようにと命令を受けます。

そして、新七たち過激派の薩摩藩士が「京都所司代を襲撃する」という計画を聞くと、これを説得するために、大山格之助らの精鋭を「鎮撫使(ちんぶし)」として寺田屋に派遣します。

 

久光は「丁寧に説得するように」と鎮撫使に伝えると同時に、「従わない時は粛清せよ」と命じています。

つまり、「従わない場合は斬っていいよ」という藩主からの命令。

 

この命によって、有馬新七は大山格之進や道島五郎兵衛といった精忠組の同士と剣を交えることになります。

 

 

寺田屋騒動(寺田屋事件)と有馬新七の最期

寺田屋事件というと坂本龍馬が幕府の役人に踏み込まれた事件を思い出す人が多いですが、実はそれよりも4年前に凄惨な事件が起こっています。

 

それが薩摩藩士同士が戦った寺田屋事件。

少しややこしいですが、一言で寺田屋事件といっても

 

  • 薩摩藩士による同士討ち騒動
  • 伏見奉行所による坂本龍馬襲撃事件

 

の2つの意味があります。

(もちろん今回は薩摩藩士による同士討ちが行われた寺田屋騒動についてです。)

 

説得のために寺田屋を訪れた鎮撫使。

しかし、新七たちの覚悟はすでに決まっていました。

 

もともと頑固な新七が覚悟を決めたとなるとテコでも動かない・・・。

新七の性格を知る大山たちは、説得は無理だと早い段階で気づいていたのかもしれません。

 

そして、説得は無理だとしびれを切らした道島が「上意(殿の命令)」と叫んで刀を抜いたことで、薩摩藩士同士による凄惨な戦いが始まります。

 

鎮撫使は腕の立つ精鋭ぞろい。

直心影流の使い手として知られる有馬新七でも簡単に倒せる相手ではありませんでした。

 

有馬は道島と激闘を繰り広げますが、その途中で刀が折れてしまします。

「刀が折れては勝ち目がない・・・。」そう考えた新七は道島に掴みかかって壁に押し付け、近くにいた橋口吉之丞に「おいごと刺せ!おいごと突け!」と叫んで、道島を道連れにして果てました。

 

これが有馬新七の寺田屋での最期。

西郷隆盛や大久保利通の兄貴分で、文武両道に優れた秀才でしたが、激しい性格のために明治を迎えることなく、仲間の手によって命を落としてしまいます。

 

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