日本の歴史上で幕府を開いた源頼朝・足利尊氏・徳川家康というのはある意味で特別な存在として位置づけられています。

しかし、頼朝・家康と比べて尊氏の存在というのは初代将軍にも関わらずいまいちパッとしないような気もします。

知名度としては金閣寺を建立した3代義満、銀閣寺を建立した8代義政の方がずっと有名です。

 

なぜ尊氏は初代将軍でありながら地味な存在なのか?

その原因は、尊氏が実際に行った行動とその立ち位置が大きく関係していると思います。

 

今回は室町幕府初代将軍・足利尊氏の功績と室町幕府の実態、そして尊氏の建てた室町幕府の実像について見ていきましょう。

 

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足利尊氏の概略

 

【名前】:足利尊氏(あしかがたかうじ)

【生没年】:1305年~1358年 享年53歳

【役職】:室町幕府初代将軍

【性格】:勇敢、気分屋、やや鬱の傾向あり、風流、太っ腹

【趣味】:和歌、連歌、絵画、切腹の真似

【尊敬する人物】:後醍醐天皇

 

足利尊氏は1305年、鎌倉幕府の御家人である足利貞氏の次男として生まれました。

足利氏は元々源頼朝と同じく河内源氏の出身で、頼朝時代からずっと鎌倉幕府に従い、執権北条氏の血縁者を代々妻としていました。

 

そのため、北条氏が源氏の将軍家を政権から降ろしてしまった後も足利氏は高位を維持したまま御家人として政治に参与。

足利氏は御家人の中でもエリート中のエリートだった訳です。

 

尊氏は次男であったため、本来なら家を継ぐ立場にありませんでしたが、兄が早世し父も間もなく死去したため、尊氏は晴れて足利氏の当主となります。

 

鎌倉幕府の滅亡に一役買う

この頃の鎌倉幕府には権力がなく、それを操るはずの執権も既に形だけのものになっていました。

そこへ後醍醐天皇が幕府を倒そうと倒幕軍を率いて攻め寄せてきます。

 

権威がガタ落ちした鎌倉幕府と、政権を取り戻した後醍醐天皇(朝廷)の戦い。

この時、尊氏は幕府側として戦い朝廷軍を打ち破ります。

 

これを元弘(げんこう)の乱というのですが、結局、倒幕は失敗して後醍醐天皇は島根県の隠岐島(おきのしま)に流されてしまいます。

 

しかし、後醍醐天皇は密かに隠岐島を脱出。

再び倒幕の兵を挙げると、尊氏は幕府の命令で再び後醍醐天皇を討伐するために出陣させられます。

 

幕府の命令とはいえ、再び後醍醐天皇を倒さなければいけなくなった足利尊氏。

後醍醐天皇に弓をひくことに迷いがあったのか、それとも幕府のやり方に不満を募らせていたのか?

 

何と出陣した尊氏は幕府を裏切って後醍醐天皇側に味方し、六波羅探題という役所を瞬く間に制圧してしまいます。

そして、時を同じくして新田義貞らの反乱軍が鎌倉府を陥落させたため、鎌倉幕府はあっけなく滅亡します。

 

 

後醍醐天皇と不仲に

尊氏の功績を第一と見た後醍醐天皇は官位と多くの所領を与えます。

しかし尊氏は後醍醐天皇の建武政権に参加することはありませんでした。

 

この時、なぜ尊氏が建武政権から距離を置いたのかははっきりと分かっていません。

「尊氏は勇敢な武士ではあるが、政治に参加できるほどの知恵はない。」

もしかするとこんな感じで、後醍醐天皇側が遠ざけたのかもしれません。

 

原因はハッキリしませんが、この時すでに尊氏と後醍醐天皇の間には溝ができていました。

 

その後、北条氏の残党が鎌倉を占拠すると尊氏はこれを鎮圧。

そのまま鎌倉に腰を下ろして、功績のあった家臣たちに恩賞を与え始めます。

 

これを警戒したのが後醍醐天皇。

尊氏討伐のために新田義貞らを派遣します。

 

最初は戦うことに消極的な尊氏でしたが、一族や家臣たちが攻撃されている事を知って反逆することを決意。

挙兵して新田義貞を打ち破ると、京都に入ります。

しかし、態勢を立て直した新田義貞、楠木正成の軍勢に敗北して九州まで落ち延びます。

 

九州に下った尊氏は地元の武将の支援を受けながら勢力を拡大。

再び京都に向けて進軍し、現在の兵庫県神戸市で行われた湊川(みなとがわ)の合戦で新田義貞と楠木正成を打ち破り、再び京都を手中に収めます。

湊川の戦いは後世においても非常に有名で、楠木正成の最期の地として今でも語り継がれています。

 

ちなみに楠木正成は、現在の皇居の前に超かっこいい銅像が建てられている武将です。

 

後醍醐天皇のために最後まで戦った忠臣ということで人気があります。

 

一度は大敗北を喫した新田義貞と楠木正成にリベンジを果たした足利尊氏は、その後、征夷大将軍に任じられると室町幕府を開きます。

一方、戦に敗れた後醍醐天皇は歴代天皇が継承する三種の神器を光明天皇に譲って吉野(奈良県)に逃れますが、吉野に移った後も自分が正当な天皇であるとして吉野朝廷(南朝)を樹立します。

 

このように、足利尊氏の時代に朝廷は光明天皇の北朝と後醍醐天皇の南朝に分かれたたため、南北朝時代と呼ばれます。

 

 

室町幕府はどこに開いたの?

ところで、室町幕府の室町とはどこを指すのでしょうか?

 

鎌倉幕府は鎌倉。

江戸幕府は江戸(東京)ということで分かりやすいですが、室町幕府の場所を答えられる人は意外と少ないです。

 

室町幕府はどこに開かれたのか?

ズバリ言うと天皇のいる京都です。

 

尊氏は後醍醐天皇の吉野朝廷を見張る目的もあってか、京都に幕府を開いています。

この辺りは3代将軍の足利義満や8代将軍の義政が京都に金閣寺や銀閣寺を建立していると考えると覚えやすいと思います。

 

室町幕府は現在の京都御所のすぐ近くに建てられていましたが、今は建物の遺構などは何も残っていません。

 

足利尊氏の性格と功績

足利尊氏の功績、それは一度は新田義貞や楠木正成達に大敗北を喫しながらも、再び京都を奪い返して室町幕府を開いたことです。

そして、尊氏が最も凄いのはエリート軍人の生まれにふさわしく、戦の達人であったことです。

確かに負け戦もありますが、ここぞという時の戦では必ず勝利をおさめています。

 

さらに部下や味方に恩賞を与えるとなると一片もケチることなく自分の蓄えが空になるまで施しを与えるなど、大将としての器も兼ね備えていました。

そんな尊氏だからこそ、部下は命がけで戦ったんだと思います。

 

さらに後醍醐天皇が崩御すると、天龍寺を造営するなど、本心では後醍醐天皇を尊敬していたのではないかと思う部分もあります。

 

部下思いで心が優しい豪快な武将(根っからの親分肌)。

足利尊氏はそんな性格だったのではないでしょうか?

 

優柔不断な部分も?

家臣から多大な信頼を得ていたたと思われる尊氏も、正直、将軍としてはあまり目立った功績はありません。

ここが頼朝、家康との差になって、いまいち影が薄いのかもいるのかもしれません。

 

尊氏には名実共にナンバー2の弟・直義と、執事の高師直がいました。

2人とも非常に優秀な人材だったので、尊氏は趣味である和歌や連歌を楽しみ、政治に関しては2人に任せっぱなしでした。。

京に入り将軍となった後は基本的に軍事は師直、政治は直義に一任して自身はほぼ隠居の形をとって象徴的な存在になっています。

 

しかし幕府成立から間もなく、直義と師直は方針の違いから対立。

配下の武士達までもがそれぞれに分かれてしまいます(観応の擾乱と呼ばれる内乱)。

 

これには尊氏も渋々仲裁せざるを得なくなりますが、両者にいい顔をして終始立場が判然としませんでした。

結果、師直は殺され直義も隠居を余儀なくされます。

 

 

足利尊氏の評判

こうしてみると、尊氏が戦好きで勇敢だった事は間違いありません。

ただその反面、自分が不利になるとすぐ「切腹だ切腹だ」と騒いで部下を慌てさせたり、直義や師直に対しても、いざ邪魔になると今までの厚遇ぶりが嘘のように冷淡に切り捨てたりと、情緒不安定な行動も目立ちます。

 

イケイケの時は良いけど、ツキがなくなると一気に老け込んでしまうタイプなのかもしれませんね?

戦の時にはカリスマ性を発揮して無類の強さを誇る尊氏ですが、政治的なリーダーシップは残念ながらなかったような気がします(政治に興味がなかったのかな?)。

室町幕府は成り行きで作らざるを得なかった政権で、全国に強力な政治を敷こうという目的があったわけではありません。

そのせいで室町幕府はず~~っと地方の守護らに振り回される脆い政権となってしまいました。

 

室町時代の最後の100年は戦国時代に分類されますが、実際はその数十年前からずっとそれらしい下克上の傾向が続いていたのである意味室町幕府通じて戦国時代のようなものです。

尊氏の功績は政治的なものよりも芸術面に多く見られます。

彼がもし平和な時代に生まれていたら、歴史上でよくみられる芸術家肌が才能ありと見込まれて地位についたはいいが不本意なために消極的でダメ扱いされるという結末をたどることになっていたかもしれません。

 

あれ、それって子孫の義政にそっくりじゃないですか・・・?

 

足利尊氏の肖像画

おそらく僕と同年代の方は教科書に下記の画像が登場し、これが足利尊氏の肖像画だと習ったと思います。

 

 

しかし、最近ではこの人物は足利尊氏ではないのではないとされています。

源頼朝や武田信玄の肖像画が「伝 源頼朝」「伝 武田信玄」と表記される様になったことを考えると、これからどんどん肖像画に関する解明が進んでいき、数十年前とは教科書の写真が一変してしまうということがあるかもしれませんね。

 



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