今回は吉田松陰・勝海舟・坂本龍馬に多大な影響を与えた幕末の天才学者・佐久間象山についてです。
松陰たちには先見の明があり、大きな功績を残したという共通点がありますが、その3人に影響を与えた佐久間象山とはどういった性格だったのでしょうか?
そしてその最期とは?
勝海舟や坂本龍馬への影響
吉田松陰の思想に多大なる影響を及ぼしたのが、佐久間象山です。
象山は松陰に負けず劣らずの個性的で大変インパクトある人物でした。
象山は、幕末随一の学者であり思想家で、砲術、科学、数学、兵学と様々な分野に秀でていました。
容姿については、地元松代の言葉でフクロウを表す「テテツポウ」とあだ名がつくほど、目が大きいのが特徴で、かなりの長身であったようです。
見た目もなかなか迫力がありそうですね。
松陰の他にも、勝海舟や坂本龍馬など幕末期に活躍した著名な人物が象山の元で学んでいました。
この時象山の思想を表すのなら、「尊王開国論」であり、外国を知ることこそ日本のためになるという考えでした。
松陰の密航事件は象山からの影響が伺え、実際に松陰に密航をそそのかしたとして入獄。
のちに国元で蟄居することとなってしまいました。
目まぐるしく時代が進む中、9年もの長期に渡り、象山は表舞台から姿を消すことになります。
勝海舟の名前の由来
象山は自らを「国の財産」と言い切るほど、絶対的な自信を持っていました。
また、自身の優秀な遺伝子を残すため、「子供をたくさん産める、尻の大きい女を紹介してほしい」と龍馬に頼んだとされています。
そして、象山は弟子であった勝海舟の妹を娶ることになります。
その縁で、勝は象山の部屋に飾られていた「海舟書屋」という額を受け取ることとなり、海舟と名乗るようになったのでした。
よほど象山に認められていたことが伺えますね。
象山の最期
蟄居が解かれると、象山は京に出てきます。
その時京都は尊王攘夷が主流となっており、西洋かぶれの象山は目に余る存在でした。
また、過剰な自信による言動から、敵も多かったようです。
そして象山は周囲からの警告も聞かず西洋の装飾を身につけて外出をし、暗殺されてしまうのでした。
自信家が故の傲慢が招いた最期でした。
ところが、象山を暗殺したとされる川上彦斎は、のちに象山の功績の高さを知ると愕然とし、以後暗殺業から足を洗ったとされています。
幕末の日本において象山が与えた影響力は計り知れないものであり、象山という存在にいかにインパクトがあったかが見てとれますね。