「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」を執筆した小説家といえば夏目漱石。
あなたは夏目漱石がどんな人物だったか知っていますか?
今回は夏目漱石の逸話や生涯を分りやすく解説します。
有名な「I love you=月が綺麗ですね」の逸話も解説するので参考にしてみてください。
夏目漱石の生涯を分りやすく簡単に解説
夏目漱石は明治時代から大正時代の初期にかけて活躍した小説家。
本名は夏目金之助。近代日本を代表する作家の一人です。
東京牛込の名主の家の末っ子として生まれ、すぐに里子として養子に出されます。
養父母が離婚したことで実家に戻されましたが、この時の経験が漱石に人間の内面について考えるきっかけを与えたかもしれません。
東京帝国大学在学中に正岡子規と出会い俳句を学んでいます。
英文学科を卒業後、旧制松山中学校・第五高等学校で英語の教師として勤務しました。
明治33年(1900年)にイギリスに留学しますが、この時に悩みを抱えて神経衰弱に陥っています。
帰国後、東京帝国大学で英文学を教えながら、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「草枕」などを発表。
40歳の時に作家に専念することを決めて大学を退職し、朝日新聞社に入りました。
そして、胃病に苦しみながらも名作を発表し続け、「三四郎」「それから」「門」「こころ」などの作品を書き上げています。
そして1916年。
49歳でこの世を去りました。
[cc id=4417]
夏目漱石の年表
【1867年】 東京牛込で生まれる
【1884年】 大学予備門(のちの第一高等学校)に入学
【1890年】 東京帝国大学の英文学科に入学
【1893年】 大学卒業後、英語の教師となる
【1900年】 イギリスに留学する
【1905年】 雑誌『ホトトギス』に「吾輩は猫である」を発表する
【1907年】 教職をやめ、朝日新聞社に入社する
【1910年】 胃の病気で生死をさまよう
【1916年】 死去
ちょっと付き合いにくい?夏目漱石の性格
夏目漱石は神経が細やかで感受性の豊かな人だったようです。
そのためか、ストレスがかかると精神に負荷がかかりすぎ、「神経衰弱」の状態に陥ることもしばしばでした。
癇癪持ちだったことも知られていて奥さんや子供、弟子たちにあたることもあったようです。
ただ、周囲の人たちはそれも含めて漱石の性格を受け入れていたようです。
現代でいえば、なかなか面倒な先生ですね・・・(笑)。
[cc id=4417]
漱石がたどり着いた「則天去私」という境地
漱石が晩年にたどり着いたのが「則天去私(そくてんきょし)」です。
これは文学や人生の理想を表した言葉で、「自分のこだわりを捨てて天の意に従う」という意味です。
昔からある四文字熟語のような感じもしますが、これは漱石の造語です。
「I love you は月が綺麗ですね」と訳しなさい?
漱石が英語教師として勤めていた時の話。
生徒が「I love you」を「我、汝を愛す」と訳しました。
すると漱石が、「日本人はそんな図々しいことは言わない。月がとっても綺麗ですねとでも訳しておきなさい」。といったとされます。
出典は定かではなく、本当かどうかは何とも言えませんが、昔の日本語(特に文語)が直接的過ぎる表現を避けていたことはあるので、似たような会話があったかもしれません。
ペンネームの“漱石”は正岡子規からもらったもの?
1889年に正岡子規と出会った漱石は文学的・人間的影響を大きく受けたといわれます。
漱石の名は故事の“漱石枕流”に由来します。
負け惜しみが強い変わり者を指す言葉ではじめは正岡が使っていたのですが、これを譲り受けて使うようになりました。
夏目漱石の作品
坊ちゃん
坊ちゃんは漱石自身が旧制松山中学で教えていた時の体験をベースにして書いた小説だといわれます。
イギリス留学で精神を病み、東京帝国大学で前任の小泉八雲と比較され生徒が八雲呼び戻しの運動を起こしたり、失跡した生徒が自殺したり多くのことで漱石は追い詰められます。
その時、正岡の弟子だった高浜虚子が漱石に小説を書くことを進められました。
坊ちゃんはわずか10日で書き上げられ高浜が手を加えて発表され好評を博しました。
冒頭が印象的な作品「草枕」
山路を登りながら、こう考えた。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」これは草枕の冒頭分です。
人生経験を経てくるといろいろと考えさせられる一句です。
つかみとしてはとても最高ですよね?
個人的にこの一文は、伊達政宗の名言「五常訓」と似ているなぁ~と感じます。
関連記事→伊達政宗ってどんな人?名言「五常訓」からみる政宗の性格!!
朝日新聞入社後の渾身の一作「虞美人草」
教職を捨て専業作家になってから初めての作品です。
朝日新聞で全127回連載されました。
秀才だが貧しい主人公が美しく洗練された女と恩師の娘との間で揺れ動く様子を描いた作品です。
三越百貨店がタイアップ商品として「虞美人草浴衣」を発売するなどの話題作でした。
[cc id=4417]
漱石の二つの三部作
夏目漱石の三部作は前期と後期で二つあります。
前期は「三四郎」「それから」「門」、後期は「彼岸過迄」「行人」「こころ」です。
特に後期の「こころ」は教科書に載ることもあり現代でも一般的によく知られた作品です。
先生の遺書という体裁で書かれた小説です。
新潮文庫版は2016年時点で718万部を記録しました。
漱石を悩ませた病気と死因がコレ
漱石は年を重ねるごとに多くの病気に侵されます。
代表的なものは神経衰弱と胃潰瘍です。
イギリス留学時代にノイローゼとなり被害妄想的状態も続いたようです。
胃潰瘍は最終的に彼の命を奪う病気となります。
(夏目漱石の死因は胃潰瘍と言われています。)
特に1910年の胃潰瘍は大量の血を吐くものだったので、生死の境をさまよいました。
死後、病理解剖された漱石の遺体のうち脳と胃は現在も東京大学医学部に保管されています。
夏目漱石は1000円札になったことがある
1984年、夏目漱石は1000円札の肖像に選ばれました。
肖像の条件は、日本国民が世界に誇れる人物で教科書に載っているなど、よく知られていることなどが条件とされます。
現在は明治以降に活躍した文化人の中から選ばれています。
夏目漱石もその一人です。
今は野口英世ですが、1代前の1000円札が夏目漱石でした。
