小田原征伐で北条氏政、氏直親子が降伏したことによって、豊臣秀吉の天下統一が完成しました。
すべてが順調に進んでいるかのように見えた秀吉でしたが、待望の息子・鶴松(捨)が重い病気に冒されていまいた。
千利休と鶴松の病気
淀城で鶴松の見舞いに訪れた人々の対応をする信繁と平野長泰。
そこで三成から鶴松の容態が良くなく、今夜が山場であると聞かされます。
その話を聞いた長泰は千利休の祟りではないかと言う噂さが広がっていると口にします。
※既に千利休は切腹してこの世にはおらず、今回は信繁たちが過去を振り返る形で話が進展していきます。
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信繁が小田原城で見付けた鉛には利休の刻印が入っており、利休が敵である北条氏に武器や弾薬を売っていた事が問題となります。
しかし、いくら信繁が小田原城で利休の刻印が入った鉛を見たといっても、秀吉からの信頼は利休のほうが上。
これでは秀吉が取り合わない可能性もあると予想した大谷吉継は豊臣秀長を介して利休の行いを秀吉に密告します。
しばらくして秀長は亡くなり、この若き武将達の手助けをしたのが最後の仕事となりました。
そして、まだ鶴松が存命中であるにも関わらず、吉継は葬儀の手配等を進めて行きます。
この行動に戸惑いを隠せない三成。
そんな中で、三成も千利休を追放するために吉継と共に糾弾したことを思い出していました。
秀吉が鶴松の病気が治るようにと大徳寺を訪れた際、山門の上に飾らせた利休の木造の下を秀吉が歩くという出来事がありました。
三成と吉継はこれは利休のたくらみだと秀吉に伝え、秀吉は利休に蟄居を命じ、やがて切腹を申し渡します。
鶴松の病気が本当に利休の祟りではないかと考える三成。
そこで吉継が『祟りなどはあるはずがないから利休の事は忘れろ。祟りがあるとすれば自分が最初に祟られるはずだ』と言います。
蟄居する利休の見張り役になった信繁は、利休から『戦が大きくなればなるほど儲かる』、『人の心と命を金で操るのは業の深いことだ』と利休の気持ちを打明けられます。
鶴松の見舞いのために京を訪れていた昌幸は鶴松が亡くなれば真田家の出方も変るとして、佐助に鶴松の病状を探らせます。
一方、沼田城の城主となった信幸は稲が心を開いてくれないことや、勝手に沼田城の軍備を拡張する矢沢頼綱に困り果てていました。
唯一、信幸が気が休まるのが元妻のおこうといる時だけでした。
そして、上田城では体調を崩しているおとりを小山田茂誠と松たちが見舞っています。
鶴松が亡くなる
淀城内で寧に会った信繁は鶴松が助からなかった場合には医師達の身に危険が及ぶのではないかと心配しますが、寧は既に秀吉に釘をさしていました。
そして、大蔵卿局から鶴松の病気は利休の祟りではないかと尋ねられる信繁。
この時信繁は大徳寺に飾ってあった利休の木像は、元々は茶々が作らせたものだったことを知ります。
本人にその気はなくても周りの人をどんどん不幸にしていく茶々にきりは恐怖を感じます。
その頃、鶴松が危篤だという知らせを受けて三成たちの元を訪れた加藤清正と福島正則は、三成を誘い願掛けの水ごりを行ないます。
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その後、宇喜多秀家や豊臣秀俊といった豊臣一門に結束を呼びかける三成。
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一方、家康や昌幸も淀城に訪れていましたが、頭の中では鶴松が亡くなった後の事を冷静に考えていました。
そして、看病の甲斐もなく鶴松は病死。
わが子を失った茶々は、寧の胸で声を上げて泣き崩れます。
そんな中、次の関白の座に着くことになっていた豊臣秀次はきりに側室になってほしいと告白していました。
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(参照:真田丸 続完全読本)