北条氏政の説得のため小田原城に乗込んだ真田信繁は義理の兄の小山田茂誠と再会。
松が死んだと思い込んでいた茂誠は小山田一族と縁のある北条氏の家臣となっていました。
簡易あらすじ
- 北条の家臣となっていた小山田茂誠と再会。
- 信繁の説得に氏政が降伏を決意。
- 信繁、小田原城の蔵で千利休の刻印が入った鉛を見つける。
- 忍城攻めに苦戦する三成。
- 昌幸が他の策を考えるべきだと助言するも三成に聞き入れられず、はぶてる。
- 秀吉は約束を破り氏政に切腹を命じる。
- 忍城も昌幸の策によって降伏開城。
- 小田原征伐の功績で家康は関東に国替え。
- 真田は沼田を手に入れ家康の与力から外れる。
- 真田信繁と伊達政宗という、戦国の2大スターが競演。
氏政との対面
信繁が江雪斎に通された香が焚かれた薄暗い部屋は氏政の部屋で、そこには疲労を隠すために顔を白く塗った氏政が。
小田原城の守りの堅さなどの対話をする信繁と氏政。
その時、控えの間から侍が飛び出し、信繁を討ち取ろうと周囲を囲んでしまいます。
これは江雪斎も知らされていなかった様で驚きを隠せない。
氏政は真田への恨みを晴らすために信繁を切る覚悟でした。
しかし、信繁は自分は豊臣秀吉の使いで小田原に来ていると主張し、徳川家康から預かった書状だけでも見てほしいと懇願します。
江雪斎を含めた家臣たちを下がらせ信繁と語り合う氏政。
信繁から最上義光などの東北の大名が秀吉に恭順した事や、川越城、箕輪城といった北条方の支城がほとんど落城したという事実を聞かされた氏政は自分の負けを悟ります。
『どうせ秀吉と一戦交えるなら徳川や伊達と組んで日の本を分ける大戦をしてみたかった・・・。』
氏政は心の内を信繁にさらけ出します。
氏政が頭を下げれば命までは取らないという秀吉の意向を伝える信繁。
さらに、徳川も上杉も真田もみんな己の道に折り合いをつけて生きていると語り、氏政も城を開城して豊臣政権の中で生きるようにと説得します。
結局、明確な返答は得られなかったものの、氏政に心境の変化があったことに江雪斎も手ごたえを感じていました。
会談が終わると信繁は茂誠に松が生きている事を伝え、上田城に来るように促して小田原城を後にします。
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氏政の最期
上杉景勝の軍と共に行動をしていた昌幸の元へ、石田三成が攻める忍城へ加勢に行くようにと手紙が届きます。
水攻めに時間を費やしている三成に、他の策も考えるべきだと進言する昌幸と信幸。
しかし、三成が耳を傾けないため、昌幸はへそを曲げてふてくされてしまいます。
一方、秀吉は北条氏政と氏直親子の命は助けると言う約束を反故にし、氏政に切腹を命じます。
これに納得のいかない家康は上杉景勝や真田昌幸を連れて氏政の元へ出向き、秀吉に命乞いをするように進言。
しかし、氏政の心は既に決まっていてその決心は揺るぐことはありません。
翌日、氏政は切腹し、首は聚楽第に晒されます。
氏直は出家の後、高野山へ追放。
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江雪斎は前日に屋敷に向かって頭を下げると、北条氏の元を立ち去っていました。
信繁は小田原城の蔵にあった鉛に千利休の刻印が付けられていたことを確認します。
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忍城攻め
忍城の攻略に手間取っている三成を見かねた昌幸は、忠義が邪魔になるならそこに付け込めばいいと策を提案します。
昌幸は小田原から持ってきた氏政の兜を忍城に持ち込み、主君である氏政は命乞いをして生き延びる道を選んだという噂を流します。
最初は卑怯な手を使いたくないと拒否していた三成でしたが、結局この昌幸の策で忍城が開城すると、戦の何たるかを教えてほしいと昌幸に申し出ます。
一方、秀吉に降参した伊達政宗は所領を全て秀吉に差出し、宇都宮城で酒宴を開きます。
そこで秀吉のご機嫌をとる政宗の姿を見た昌幸と家康は、武将としての気骨はなくなったのかと落胆。
しかし、家康も政宗と変わらず、自分の生まれ故郷である三河や駿河といった領地を秀吉に差し出し、関東に移封することを受け入れます。
それとは反対に、昌幸は小県の安堵に加えて沼田領を正式に与えられます。
そして徳川の与力という立場も解消され、家康とは対称的に笑顔がこぼれます。
これには真田家を上田に落ち着かせて家康を監視させようという、秀吉の狙いがありました。
そして同じ時、宇都宮城の庭で真田信繁と伊達政宗が出くわします。
東北に生まれたことや生まれるのが遅かったことで天下を取り損ねたという政宗。
後に大阪の陣で戦火を交える二人が同じ場所で同じ時を過ごします。
(参考:真田丸 続完全読本)
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