真田丸で真田昌幸の居室に掛けられている『白山大権現』という掛け軸。

上田城の戦いの際などには居室から軍議が行われる大広間に移され、常に昌幸の後ろに飾ってあります。

 

真田丸を見ていて、この『白山大権現』の意味は何なんだろうと気になっている人も多いと思います。

そこで今回は白山大権現が何を意味するのかを調べてみました。

 

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白山大権現の意味

この『白山大権現(はくさんだいごんげん)』という掛け軸は、『大権現』という文字からも分かるように神様の名前を書いたものです。

つまり『白山』という神様を信仰しているという事を表したものです。

 

では、白山とは何なのか?

白山とは、真田昌幸が上田城に移る前に居館を構えていた、真田の郷にある山家神社の事を表しています。

 

山家神社は後醍醐天皇の時代には存在が確認できる由緒ある神社。

この山家神社が当時の人々から白山様と呼ばれて親しまれていました。

 

もちろん、この地に居館を構えた真田家も例外ではなく、昌幸や昌幸の父親である真田幸隆もこの山家神社を信仰していました。

そのため、白山大権現のご加護があるようにという意味で『白山大権現』という掛け軸が昌幸の居室に飾られているという訳です。

 

戦国武将と神仏

戦国時代は神仏との結びつきが強く、多くの戦国武将が神仏の加護を得ようとしていました。

上杉謙信が自分は毘沙門天(軍神)の化身だと信じ、旗印に『毘』という文字を使ったことは有名ですよね。

 

一方、上杉謙信のライバルとされる武田信玄は『南無諏訪南宮法性上下大明神』という文字を軍旗に書いていました。

これは長野県の諏訪湖にある諏訪大社を信仰しているという事です。

 

また、自分をモデルにして不動明王像を彫らせるなど、武田信玄も深く神仏と関わっています。

 

直江兼続も『愛』の前立てをあしらった兜が有名ですが、この『愛』という文字も、現代の私達が連想する『愛』ではなく、愛染明王の頭文字をとった『愛』だと言われています。

 

関連記事⇒直江兼続の功績と愛の兜の意味!!

 

徳川家康の旗印

徳川家康の軍旗には『厭離穢土欣求浄土』という文字が書かれています。

何だかよく分からない難しい漢字が並んでいますが、これは『おんりえどごんぐじょうど』と読みます。

 

本来の意味とは多少変わってきますが、意訳すると『この穢(けが)れた現世を平和な世界にするために神仏の加護を願う』といった感じになります。

つまり戦をする大義名分を誇示し、民衆の支持を集めていったという事ですね。

 

このように戦国武将は、神仏のご加護があるから自分は絶対に負けないという事を示して、家臣たちの士気を鼓舞していました。

戦国大名ともなると自分の判断1つでお家が滅亡したりもする訳なので、神仏にすがりたいという気持ちもあったのかもしれません。

 

しかし、それ以上に民衆や家臣の支持を集めるためにも神仏の力というのは切っても切り離せないものであったようです。

加藤清正が熱心な日蓮宗の信者で、『南無阿弥陀仏』と書いた旗指物を使っていたことも有名ですしね。

 

武神として有名な神社

武神として有名な神社に茨城の鹿島神宮と、千葉の香取神宮があります。

剣術道場などに「鹿島大明神」「香取大明神」という掛け軸が掛けられてのを見たことがありませんか?

 

記憶が確かなら、るろうに剣心という漫画に登場する神谷道場にも鹿島大明神と香取大明神の掛け軸がかかっていたハズ・・・。

このように、武神を祭った神社は江戸時代になると多くの武士たちの信仰を集めたようです。

 

確かに、戦いの神様に守ってもらえていると思うと気が引き締まる思いがしますよね?

そしてこの神仏の教えを上手く旗印(家紋)に取り入れたのが真田家の六文銭です。

 

六文銭は仏教で言うところの三途の川の渡し賃とされるのですが、これを旗印にすることで、戦いに行く兵たちは、いつでもあの世に行けるという覚悟を決めることができます。

戦場ではまともな精神状態ではいられないと思うので、自己洗脳という意味でもこうした神仏の考えを取り入れることが大切だったんでしょうね。

 

真田家の六文銭はこの意味が知られるようになってから、かなり人気の家紋になったようです。

 

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