松下村塾の「双璧」・「龍虎」といえば、高杉晋作と久坂玄瑞です。

この二人は松下村塾より前の幼少期に「吉松塾」という寺子屋で出会ってからの仲。

 

年齢は晋作が一つ年上で、晋作は長州藩の上位の武士でした。

一方の玄瑞は14歳の時に母を亡くしてから、兄・父と立て続けに家族を失い15歳の時に藩医の家督を継いでいました。

 

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晋作と玄瑞を競わせた松陰

若くして家督を継ぎ苦労人の印象が強い玄瑞と、裕福な武家の生まれで自分の思うように生きてきた晋作。

このまったく異なる二人が、生涯の親友でありライバルになっていきました。

 

そもそも晋作が松下村塾に入塾したのは、玄瑞に誘われたからでした。

入塾時、身分の高さへの自負や根っからの自信家であった晋作は、得意の詩を松陰に見せて認めてもらおうとします。

 

しかし、松陰は晋作に向かって「才能は見られるが、玄瑞には劣っている」と言い放ちます。

それを受けて負けず嫌いの晋作は、必死に勉学に励むようになります。

 

逆に、玄瑞に対しては、議論をする際に晋作の話ばかりを評価し、「晋作の識にはかなわない」と玄瑞に意識させるのでした。

「識の晋作・才の玄瑞」と評されるように、晋作と玄瑞は松陰の思惑通りメキメキと才能を開花させていきました。

 

二人を松陰の後継者とするなら、松陰の行動力を継いだのが晋作で思想を継いだのが玄瑞でした。

 

 

高杉晋作が嫉妬した?

後年、晋作は江戸遊学中に松陰と絶縁状態になってしまうことがありました。

同じく江戸にいた仲間も多く萩へ帰国し、心細い日々を送っていたのかもしれません。

 

そんな時、晋作は萩にいる玄瑞に手紙を贈ります。

内容は松下村塾や仲間のこと、天下の情勢についてで、これでもかという数の質問をしています。

 

また、玄瑞からなかなか手紙がこないことへの不満。

 

そして、「心の中でいつも玄瑞を頼りにしていた。兄弟の契りを結びたいと思っていたが今日まで口に出せなかった。国事のことを考えていると玄瑞の顔が浮かぶ。」と、まるで恋文のような内容もありました。

 

kesiki

 

別の手紙では、「自分以外の人と親しくしないで欲しい」というような内容も送っています。

怖いもの知らずで豪快なイメージの晋作ですが、案外繊細で、玄瑞を心から頼りにしていた様子が伝わってきます。

 

高杉晋作は久坂玄瑞亡きあとも度々、玄瑞を夢に見たと言います。

それほど、晋作にとって玄瑞の存在は大きかったようです。

 

ライバル関係と言われる2人ですが、晋作が玄瑞に対していて抱いていた、尊敬や憧れの念がよく分かる逸話ですね。

 

高杉晋作にとって久坂玄瑞は志を同じくする同志でありながら、最も頼りにした人物であったようです。

松下村塾に通っている間はライバル関係だったのかもしれませんが、後年はライバル関係というのとは少し異なった存在になっていたように思います。

 

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