戦国時代の広島県で、小さな国人領主から中国地方を支配するまでに成長した毛利元就。
この偉業は元就の智略が優れていたことに併せて、優秀な3人の息子がいたから可能だったことだと言われています。
薩摩の島津家や信州の真田家もそうですが、歴史に名を残す家の兄弟は優秀な人物が多いように思います。
このページでは毛利元就と3人の息子の逸話を中心にご紹介していきます。
毛利元就
吉田郡山城
毛利元就が生涯の本拠地とした吉田郡山城は私の家から車で1時間くらいの場所にあります。
郡山城を一言で言うと、ごくごく普通の田舎の山城。
ただ、何の派手さもないこの城を拠点に中国地方を統一したと考えると、毛利元就って本当に凄いです。
詳細記事⇒吉田郡山城_広島の田舎から成り上がった毛利元就の本拠地!!
織田信長との関係
織田信長は毛利攻めに出陣する途中の本能寺で明智光秀に裏切られた事から、毛利家と織田家は中が悪いような印象があるかと思います。
ただそれは、毛利元就が亡くなってからの話。
元就の存命中は織田信長が毛利家に気を使うほどの友好関係にありました。
毛利隆元
毛利元就の長男・隆元は父親より早くに亡くなってしまったため、歴史的にはあまり有名な人物ではありません。
そして武将としての資質にも欠けると言われて評価も低いのですが、果たしてそれは正しいのでしょうか?
吉川元春
鳥取城の戦い
吉川元春は毛利元就の次男。
生涯戦績は86戦64勝12分けで無敗の武将として有名です。
毛利家を軍事面で支えたのは間違いなく元春で、鳥取城の戦いや備中高松城の戦いでは羽柴秀吉と対峙しています。
詳細記事⇒吉川晃司の先祖・吉川元春が名を上げた鳥取城の戦い!!
吉川元春館跡
広島県大朝町にある吉川元春の居館跡。
大規模な発掘調査が行なわれ、元春が造園を指示したとみられる庭園や池の跡が出土しました。
小早川隆景
毛利家の参謀でありながら豊臣秀吉の五大老としても活躍した小早川隆景。
隆景には秀吉の軍師として有名な黒田官兵衛も親近感を抱いていたようです。
詳細記事⇒黒田官兵衛が慕った小早川隆景の逸話!!
毛利輝元
毛利元就の跡を継ぎ、中国地方120万石の大大名になりながらも、関ヶ原の戦いで1度も戦うことなく領地没収の危機を迎えた輝元。
優柔不断で武将としての資質に欠けるといわれた輝元が再評価される日は来るのでしょうか?
詳細記事⇒毛利輝元は本当に無能なのか?再評価される日はいつ?