豊臣秀吉亡き後に天下人となった徳川家康。
その家康には東国一の武勇を誇ると評された本多忠勝や、赤備えを率いた指揮官の井伊直政などの優秀な家臣がいました。
今回は徳川家康と家臣団の逸話の紹介です。
徳川家康
徳川家康が天下を取り、徳川幕府の力を盤石に出来たのは75歳という長寿を全うしたからだと言われています。
家康は自ら薬草を栽培し、それらを調合して薬を作るほどの健康オタク。
この家康の性格は信長や秀吉の下で忍耐の生活を強いられてきたことにあるのではないでしょうか?
井伊直政
徳川譜代の家臣ではないにも関わらず、飛躍的な出世を遂げた井伊直政。
武田家が滅亡した後は遺臣達を自分の軍団に組み込み、井伊の赤備えを完成させます。
赤備えを率いた直政の活躍は他国の脅威となり、『赤鬼』と呼ばれ恐れられていました。
本多忠勝
本多忠勝は徳川家康の家臣にしておくにはもったいないと言われるほどの武将。
生涯で57度の合戦に参加しながら、傷を負う事は1度もなかったというほど用兵が巧みだった。
常に先頭に立って敵と戦い、生傷が絶えなかったという井伊直政とは対照的な指揮官。
詳細記事⇒徳川四天王_本多忠勝と蜻蛉切!!
服部半蔵
服部半蔵(正成)は徳川家康を支えた忠臣。
服部半蔵と言えば、忍者や忍びというイメージが強いかもしれませんが、実際は忍者ではなかったとされています。
伊賀衆を束ねていたので=『忍びの頭領』と認識されるようになったようです。
詳細記事⇒忍者として有名な服部半蔵(正成)の逸話とその最期!!
本多正信
1度、徳川家から出奔しながらも、再び友として迎え入れられた家康の参謀。
家康の謀略の影には常にこの本多正信がいたとされています。
そんな正信の逸話と同じ『本多』の姓を持つ、本多忠勝の関係について。
詳細記事⇒本多正信と本多忠勝の関係は?家康が友と呼んだ参謀の逸話!!