吉田松陰には千代という妹がいます。
その千代が晩年に松陰について語ったインタビューが残っています。
このインタビューでは2歳年上の兄松陰に対する思いや、逸話が語られています。
今回はその手紙の内容を松浦光修さんの『新訳 留魂録』を参考にしながらご紹介したいと思います。
叔父・玉木文之進と兄・梅太郎の存在
そのインタビューによると松陰は、幼い頃から勉強一筋で、近所の子供達と遊ぶようなこともなく、父である百合之助や叔父の玉木文之進の下でひたすら勉強に励み、食事の時以外は、ほとんど文之進の家にいたようです。
この玉木文之進は超スパルタで知られる、鬼軍曹のような人物。
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講義といえども命がけで臨ませるというのが信条で、授業中にほっぺたに止まった蚊を叩いた松陰を叱ったと言う逸話も残っています。
文之進の教育方針は、「子供に対してそこまでしなくても・・・」というようなもので、母はこれだけ酷い目に合わせられるのに、どうして松陰は講義の場から逃げ出さないのかと、やきもきしていたようです。
現代ではスパルタ教育というのはあまり良く思われませんが、同じく玉木文之進に学んだ乃木希典も歴史に名を残す偉大な人物になっている事を考えると、玉木文之進の教育がいかに優れていたものだったかが分かります。
おそらく感情のままに怒鳴り散らすのではなく、理性を保った厳しさだったのだとと思いますが、この教育方法を現代え行なってしまうと大問題になります。
そんな文之進のスパルタ教育に松陰が耐えられたのは兄である梅太郎の存在がありました。
松陰は2歳年上の梅太郎と常に一緒で、文之進の講義が終わった後は、わざわざ同じ膳で食事をし、同じ布団で眠るなど本当に仲が良かったようです。
松陰が梅太郎に逆らう事は一度もなかったのではないかと千代は語っています。
松陰は生涯女性と関係を持つことはなかった?
千代は松陰の事を「酒も呑まずタバコも吸わない真面目な人だった」と語っています。
特に好きな食べ物があるわけでもなく、常に食べ過ぎないように意識していたという事なので、かなり自分を律する事のできる人物だったようです。
囚われていた期間が長かったというのもありますが、それは女性に対しても同じで、生涯女性と関係を持つこともなかったとも千代は語っています。
いくら時代が違うとはいえ、女性に目もくれず勉強に励むというのは、普通の成年男子では考えにくい事なので、松陰は常人とは違って、若くしてどこか達観した部分があったのかもしれません。
松陰の真面目で誠実な性格を表す逸話
千代のインタビューの中で私が一番印象に残っているのは火事の時の松陰の逸話です。
松陰がある人の家に泊まり込みで勉強をしに行っていたとき、その家が火事になりました。
その時に松陰は自分のものは一切家から持ち出さず、家主の荷物を運び出す事だけに専念していたそうです。
その理由は、「一家の主であれば大切なものは多いはず。それに比べれば、私の持ち物はいずれもたいしたものはない。」という理由でした。
この逸話には、本当に松陰の誠実な性格が表れていると思います。
どこまでも純粋で、有事の際でも他人のことを一番に考える事のできる人。
それが吉田松陰という人物でした。
それを物語るように、千代の中には、「貧しいのに豊かに見せようとしなくても、破れているものを破れていないように見せたりしなくても、心さえ清ければそれでいい。」という、いつも松陰が言っていた言葉が印象に残っていたようです。