中国地方を制覇した毛利元就の次男 吉川元春。
生涯の戦績は86戦64勝12引分けで無敗の戦国武将として、毛利家の中国地方の統一に貢献しました。
北広島町にある吉川元春館跡は備中高松城の戦いが終わり、長男の元長に家督を譲た元春が隠居所として建てた館の跡です。
館跡は発掘調査が行われ、庭園やトイレ、建物の跡が判明しています。
館の前面は石垣、側面は土塁を築き大規模な戦国時代の館であったことを感じることができ、館の裏には吉川元春・元長の墓所があります。
吉川元春館跡を写真で紹介
吉川元春館跡の隣には資料館があり、出土品や発掘調査の結果を分かりやすく展示してあります。
今回は復元模型も照らし合わせながら吉川元春館跡を紹介していきたいと思います。
下の写真が吉川元春館跡の復元模型です。
現在の吉川元春館跡の全景写真。
吉川元春館正面の石垣と門。
現在の状況。
写真では分かりづらいですが高さは約3メートルとかなりの迫力です。
館跡の景色。
広すぎて一枚の写真には収まりません。奥に見えるのは庭園跡。
館の南側に残る堀と土塁。
土塁はかなりの急角度と高さで登るのは容易ではありません。
当時はこのように室内から眺めるようになっていたていた庭園。
現在はこのように石敷きの池と築山が復元されています。
別の角度からの庭園。
こちらの方向からからも眺めれるように、後に庭を拡張した部分だそうです。
トイレの跡。
現在埋まっている桶は復元したものですが実物は隣の資料館に展示されています。
館跡の裏にある吉川元春・元長の墓所。
館跡の北側。
かなりの高低さがあり、簡単には攻め込めません。
その他の関連史跡
吉川元春館跡と場所は違うのですが、枝ノ宮八幡宮にある吉川元春像。
戦国武将の館跡は越前の朝倉義景の館跡が有名ですが、この吉川元春館跡も巨大な石を使った石垣や土塁、庭園跡など見ごたえがあります。
この館は元春の存命中には完成せず、三男の吉川広家が完成させました。
しかしその後に広家も月山富田城に移ったためわずかな期間しか使用されることはありませんでした。
その後は荒廃していき、20年くらい前までは館跡は田畑となり石垣の間を道路が通っていたようです。
今回写真は載せませんでしたが、館の向かいにある吉川元長の菩提寺である万徳院も発掘調査が行われ、こちらでも見事な石垣や庭園跡を見る事が出来ます。
こうなると吉川元春の居城であった日野山城(火の山城)の発掘調査も待たれるのですが、高所にある山城で、費用がかかりすぎるため調査は難しいとの事でした。
城域には石垣や庭園跡があり、吉川氏が数十年本拠地としただけで、他の時代の遺構と被っていないので、当時の事を知るための貴重な遺跡らしいのですが、調査が出来ないのは残念ですね。