小田村伊之助と寿の子供・篤太郎と久米次郎の運命!!

小田村伊之助(後の楫取素彦)と寿の間には2人の子供がいました。

 

関連記事⇒吉田松陰の理解者良き理解者_小田村伊之助とは?

 

長男の篤太郎と次男の久米次郎です。

 

大河ドラマ『花燃ゆ』の中でもかわいらしい姿を見せてくれていますが、この伊之助の子供たちも幕末の動乱をたくましく生き抜いていきます。

 

特に次男の久米次郎(後の楫取道明)は文とも深い関わりを持つことになり、波乱の生涯を歩んでいます。

 

スポンサードリンク

長男 篤太郎

まずは長男の篤太郎。

 

今回の花燃ゆのテーマの中に家族愛が含まれている事から、ドラマの中にも度々登場しています。

 

篤太郎は小田村伊之助の長男だったので、通常であれば伊之助が藩の命令によって楫取素彦と名乗ることになった時、楫取家の2代目を継ぐ人物でした。

 

しかし、伊之助は『小田村』という家名が絶えてしまう事を惜しんで、篤太郎に小田村希家と名乗らせ、そのまま小田村家を継がせます。

 

小田村希家は歴史に名を残すような活躍をしたという人物ではありません。

 

しかし、希家やその子孫たちも実業界や官僚の世界で活躍しています。

 

次男 久米次郎

次男の久米次郎は子供がいなかった伊之助の妻・寿の妹夫婦である久坂玄瑞と文の元へ養子として出されています。

 

久坂玄瑞が禁門の変で亡くなった後は久坂家を継ぎますが、玄瑞に隠し子がいる事が発覚してからは楫取家に戻り、楫取道明と名乗ります。

 

関連記事⇒久坂玄瑞の隠し子騒動!!芸妓・辰路との子供・秀次郎!!

 

そのため、養子に出た久坂家では文に養育され、楫取家に戻ってからも、文が父である楫取素彦と再婚したため、再び文の子供となるという不思議な関係になっています。

 

時が過ぎ、日清戦争が起こると、勝利した日本は台湾を統治することになります。。

 

当時の台湾は情勢も不安定でしたが、まずは何よりも教育が重要だという考えから、日本政府は芝山巌学堂(しざんがんがくどう)という小学校を作り、そこに7人の日本人教師を派遣します。

 

そして、台湾に渡った教師の1人が小田村伊之助の子供・楫取道明でした。

 

道明は成人してからも官職を転々としていたようですが、この頃には教育者としての道を歩み始めていたようです。

 

芝山巌学堂(しざんがんがくどう)では日本語を教え、生徒数も増えていっていましたが、治安が悪化していた台湾では日本の統治に対する反乱が起き、その動乱の中で道明達6人の教師は殺害されてしまいます。

 

スポンサードリンク

 

当時、台湾領内の不穏な空気に気づいて非難を促す人もいましたが、自分たちは命を懸けて教育にあたっている事を示すため、あえて逃げることはしなかったと言われています。

 

道明は享年38歳。

 

この台湾での我が子の早すぎる死を、小田村伊之助と文夫妻はどのように受け止めたのでしょうか?

 

関連記事⇒小田村伊之助の最初の妻となる杉寿の性格!!

 

Sponsored Link


★この記事がお役に立ちましたら応援・シェアをお願いします。

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ  


【~スマホ表示でご覧の方は画面一番下に人気記事ランキングが表示されます~】





コメントを残す

このページの先頭へ