吉田松陰を背負って地雷火実験に連れ出した小野為八!!

松下村塾の塾生の中に小野為八という人物がいます。

 

小野為八は藩医の家に生まれ、藩医の教育を受けながらも医者になる道を選ばず、砲術家として奇兵隊に関わっていく人物です。

 

実は、この為八の人生にも吉田松陰の存在が大きく関わっています。

 

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花燃ゆの予告を見ていて、『お笑い芸人のほっしゃんが出てる(゜o゜)!?』と、あっけにとられていたのですが、ほっしゃんはこの小野為八として出演されるようです。

 

登場人物としてHPで紹介されていなかったので、私の中では小っちゃいサプライズみたいになっていました(笑)

 

松陰に学ぶ

小野為八は17歳の頃に吉田松陰から山鹿流兵法を学んでいます。

 

藩医の家に生まれ、藩医としての教育を受けていた為八でしたが、その後、長崎に出向いて砲術を学ぶなど、久坂玄瑞と同じように藩医として生きていく気は全くなかったようです(笑)。

 

もしかすると松陰の兵学の講義というのが為八をに与えた影響が大きかったのかもしれません。

 

それを証明するかのように、30歳の時に松陰が開いた松下村塾に入門し、再び松陰の下で学ぶことになります。

 

地雷火

小野為八が松下村塾に入塾した頃の松陰は過激な思想を持つようになっていました。

 

その代表的な考えが、幕府の老中である間部詮勝を暗殺するというもの。

 

為八は松陰のこの考えに賛同し、地雷火という離れた場所から爆発させることのできる爆弾を作り、松陰に披露します。

 

この時、松下村塾から少し離れた土原扇という場所で実験を行ったようなのですが、松陰は幽閉中の身であり、外出することができなかったので、小野為八が松陰をおぶって実験場まで連れて行ったと言われています。

 

何だか、すごくいいやつですよね(笑)。

 

このように、砲術家としてだけではなく発明家?としての顔も持ち合わせていた為八は、下関での四国連合艦隊の戦いに出陣したり、奇兵隊に砲術を教えるなど、マルチな才能を発揮していきます。

 

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萩城の写真

さらに為八は、兵法家、発明家、砲術家という戦いに関する顔だけでなく、バターの製造や写真家、絵師としても顔も持ち合わせていました。

 

本当に研究熱心で、一人でコツコツと物事に取り組むのが好きな、研究家や職人といったタイプの人物だったようです。

 

現代に残る、在りし日の萩城を写した写真は小野為八が撮ったものです。

 

hagijou

http://www.city.hagi.lg.jp/から引用 萩市博物館蔵

 

 

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