野山獄と岩倉獄の囚人達と福川犀之助!!

吉田松陰と金子重助がペリーの黒船に乗込むことに失敗し、投獄された野山獄と岩倉獄。

 

花燃ゆの中に何度も登場しますが、劣悪な環境だった岩倉獄に比べ、野山獄の囚人は比較的自由が認められた環境にあります。

 

これはいったい何故なのでしょう?

 

今回はこの野山獄と岩倉獄について詳しく説明していきたいと思います。

 

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 野山獄とは

元々、野山獄、岩倉獄と呼ばれる場所は野山六右衛門と岩倉孫兵衛という人の屋敷でした。

 

しかし、ある時酒に酔った岩倉孫兵衛が野山邸に押し入り、一家を殺害してしまいます。

 

長州藩はそのまま岩倉孫兵衛を野山邸に幽閉して処刑します。

 

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切り込んだ岩倉側にどういった理由があったのかは分かりませんが、この流れを見ると野山六右衛門側からしたら、一方的にご近所トラブルに巻き込まれた形になります。

 

しかし当時は喧嘩両成敗という決まりがあり、野山家も岩倉家も取り潰しにされます。

 

本当に岩倉孫兵衛が酔っぱらって一方的に切り込んでいったのなら、野山家はいい迷惑ですね。

 

この事件の後、長州藩はこの屋敷跡を牢獄として利用します。

 

この時の経緯もあって、切り込んで一家を殺害した岩倉家の岩倉獄を武士以下の身分の者を入れる下牢とし、野山家はを武士の身分の者を入れる上牢としたそうです。

 

誇りを重んじる武士にとっては、自分の家名がこういった形で残るのは本当に不名誉なことですね。

 

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福川犀之助

吉田松陰は生涯で2度、野山獄に収監されることになりますが、実は小田村伊之助や高杉晋作も野山獄に収監されています。

 

ちなみに金子重助の他、松下村塾の塾生では入江九一、野村靖兄弟が岩倉獄に入れられています。

 

この事を考えると、時代の転換期には、どの勢力(世論)が権力を握るかで、英雄と罪人の立場が変わってしまうということが良く分かりますね。

 

劣悪な環境の岩倉獄とは違い、野山獄では家族からの差し入れや、獄内を歩くことは比較的自由にできていました。

 

それは、野山獄は罪人を捕えておく牢というよりは、家族が手に負えなくなった厄介者を収容しておく場所だったからです。

 

そのため、松陰は囚人を相手に講義をしたり、他の囚人の得意とすることを学ぶこともあったようです。

 

暗く歪んだ獄内の空気が、松陰の入獄によって、すっかり変わってしまったと言われています。

 

それほど、松陰に人の心を動かし、変える力があったようです。

 

何と言っても司獄長(野山獄の看守)であった、福川犀之助も松陰の講義を聴いていたというから驚きです。

 

福川犀之助は松陰に対して門人の礼を取り、後に江戸に送られる事が決まった松陰を、独断で牢から出し、家族の元に帰らせています。

 

この事からも分かるように、福川犀之助も他の松下村塾性と同様に松陰に心酔していた1人だったようです。

 

その他の囚人

その他に松陰と時を同じくして野山獄にいた囚人には、

 

・在獄47年の長老 大深虎之允

・明倫館でもその名を知られていた 富永弥兵衛有隣

・女囚 高須久子

 

らがいます。

 

この中で高須久子に関しては、個別に記事を書いていますので、よかったら関連記事をご覧ください。

 

関連記事⇒吉田松陰の恋人?高須久子との野山獄での関係!!

 

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