野村望東尼_高杉晋作の『おもしろき事もなき世』の辞世を彩る女流歌人!!

花燃ゆを見ていると、勤王の志士というのは男性で、それも青雲の志を抱く二十台の若者というイメージがあります。

 

しかし、当たり前の話ですが、幕末は血気に逸る若者だけでなく、おじさまやおばさまも達も活躍していました。

久留米藩神官、真木和泉は禁門変の当時52歳でしたし、今回のテーマである野村望東尼は女性で、58歳で勤皇家として幕末の時代に登場します。

 

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野村望東尼と高杉晋作

野村望東尼は「もとに」と読むとする説と「ぼうとうに」と読ませるとする説と二つあります。

幕末の女流歌人であり、福岡藩士の夫が亡くなると尼になり、自分が住んでいた平尾山荘に勤皇家をかくまったり、各地の志士と語らったり作戦の成功を祈願し、断食行などしていました。

そういった行動から信頼を得て、やがてひとかどの勤王家として世の中に知られるようになっていきます。

 

野村望東尼が有名になったのは、長州で俗論党が藩政を席巻していた頃に高杉晋作をその居にかくまっていたことからでしょう。

高杉の滞在は10日ほどでしたが、それらの事実から望東尼は、乙丑の変という福岡藩の攘夷派弾圧政策の為、高齢の身で玄界灘の端の孤島、姫島に流刑にされてしまいます。

 

可愛い名に反して当時の姫島は、福岡藩の罪人たちの島流しの地でした。

 

そこに一年近く望東尼は滞在させられます。

流刑地の罪人は「火と刃物はご法度」だったそうで、冬に暖を取る火も無く、望東尼はそこで死を覚悟します。

 

しかし、以前危険を賭して自分をかくまってくれた恩義から、高杉晋作が腹心の奇兵隊兵六名に命令し姫島に上陸させ、望東尼を救出しました。

そのまま望東尼は長州へ向かえられ、尊王攘夷の豪商、白石正一郎の家にかくまわれます。

 

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おもしろき事もなき世におもしろく

『冬ふかき雪のうちなる梅の花 埋もれながらも香やは隠るる』

望東尼が詠んだ句です。

 

雪の中にうもれていて姿は見えなくても、梅の香り高さは決して消えない。

高杉の不世出の才能を読んだと言われています。

 

短いふれあいで親子ほどに年の差がありながら、二人は大変意気投合したのだろうと思います。

 

高杉の最期を看取った野村望東尼は「おもしろきこともなき世におもしろく」という有名な高杉晋作辞世の句の、下の句を詠んだと言われています。

 

詠んだタイミングは臨終の際であったとも、すでに詠んでいた(晋作が亡くなる前日説)とも言われています。

高杉が亡くなった一年後、そのあとを追うように62歳で望東尼も亡くなります。そのわずか二か月後に、王政復古の大号令を受け入れ、日本は明治となるのです。

 

高杉晋作の辞世と言われる「おもしろきこともなき世におもしろく」の下の句に関しては下記の記事をご覧ください。

関連記事⇒高杉晋作の名言・辞世の句と言われる歌の続きと意味!!

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