寺島忠三郎_禁門の変で最期を迎えた松下村塾の塾生!!

松下村塾で吉田松陰に学んだ寺島忠三郎。

今回は久坂玄瑞や入江九一と共に禁門の変に散った、この寺島忠三郎について調べてみました。

 

大河ドラマ『花燃ゆ』で寺島忠三郎を演じているのは劇団EXILEの鈴木伸之さん。

気付いている人は気付いていると思いますが、鈴木伸之さんは、ドラマ『ルーズヴェルトゲーム』で、イツワ電気のにくったらしいエース・如月一磨を演じた俳優さんです。

 

実直一途な寺島忠三郎

松下村塾の門下生、寺島忠三郎は16歳という多感な時期に松陰の教えに触れ、彼もまた、深く尊王攘夷に傾倒していきました。

松陰は寺島忠三郎自身を「些の頑骨あり、愛すべし」と評価しています。

 

寺島忠三郎の方でも師を尊敬する心厚く、安政の大獄で、松陰が江戸に護送される日、他の村塾生が涙松で別離を告げた後も、寺島の実家のある熊毛群高水付近まで一人、密かに護送籠を追従したそうです。

 

密かな行動がのちの人生を決定?

文久2年、寺島忠三郎は久坂玄瑞らと共に藩を脱藩し、京都に上ります。

さらにこの時、松下村塾のメンバーと御楯組を結成。

同年江戸に行き、英国公使館焼き討ち事件に火つけ役として参画、過激な政治的活動に参加しています。

 

しかし、翌年勃発する馬関戦争には参加せず、桂小五郎と共に京都に潜伏して政治工作、諜報活動などに従事していたようです。

 

京都時代にその名が見えるのは、平野屋寿三郎、煎餅屋半兵衛ら、収賄や横領などでいい噂の無かった商人をこらしめた、(当初は暗殺しようという言う計画だったが、町人なので生き晒しの刑にした)という事件。

 

これは土佐、長州藩士合同の計画で、この時、土佐からは『人斬り』として有名な岡田以蔵も参加していました。

意外なところで、歴史上の人物の競演があったのには驚きですね。

 

禁門の変での最期

やがて薩摩藩と京都守護職の会津藩主導の元、攘夷派公卿が失脚する事件が起こりました。

世にいう八月十八日の政変です。

 

八月十八日の政変で、長州をはじめ、攘夷派の京都での勢いは著しく衰え、政情を一気にばん回する為、長州藩は京都へ派兵。

児島百之助・中島三郎などの偽名を使って京都に潜伏していた寺島忠三郎もこの挙兵に従軍し、久坂と行動を共にします。

 

しかし、会津・桑名・薩摩藩の軍隊と衝突した長州軍は惨敗。

この戦いは京都御所の蛤御門周辺の衝突であったことから「蛤御門の変」「禁門の変」と呼ばれているのでご存知の方も多いと思います。

 

hagijounai

 

蛤御門周辺は幕末期、長州の協力者であった鷹司親子の邸宅があった場所でした。

敗北が決定的になると久坂玄瑞は、久鷹司親子に朝廷にとりなしを頼みますが、これを断られたため、最後の覚悟を決めることになります。

 

戦いで負傷していたため、寺島忠三郎、入江九一に自分を残して逃げるよう伝えた久坂でしたが、寺島、入江は久坂を残して逃げるまねなどできません。

 

藩主毛利敬親にこのことを伝えて欲しいと説得すると入江は承諾し脱出しますが、久坂と寺島はぎりぎりまで敵と応戦。

 

やがて「これまで」と、その地で共に切腹して果てました。

一説によると、お互いの身体を刀で刺し違えて自害したと伝わっています。

 

関連記事⇒入江九一 久坂玄瑞と共に禁門の変で最期を迎えた松下村塾四天王!!

関連記事⇒花燃ゆで文の夫となる東出昌大さん演じる久坂玄瑞とは?

Sponsored Link


★この記事がお役に立ちましたら応援・シェアをお願いします。

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ  


【~スマホ表示でご覧の方は画面一番下に人気記事ランキングが表示されます~】





コメントを残す

このページの先頭へ