入江九一 久坂玄瑞と共に禁門の変で最期を迎えた松下村塾四天王!!

高杉晋作や久坂玄瑞が師である吉田松陰と決裂した際も、松陰から離れることがなかった入江九一と野村靖兄弟。

 

松陰の死後、弟の野村靖は、松陰が伝馬町の同じ獄舎の囚人に託した留魂録(2冊目)を受り、それが現代に伝わっています。

 

野村靖は明治の時代を生きた人物なので名前を聞いたことがある人もいるかもしれません。

 

では靖の兄である入江九一は松下村塾の四天王に名前を連ねていますが、いったいどういった人物だったのでしょぅか?

 

ちなみに、花燃ゆでは要潤さんが演じていらっしゃいます。

 

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足軽出身

松陰の投獄された野山獄は、その後、小田村伊之助、高杉晋作など名だたる志士が収監されることになります。

 

そして入江九一と弟の野村靖も松陰の無謀な作戦を実行した為に投獄されることになるのですが、投獄されたのは野山獄の向かいにある岩倉獄でした。

 

野山獄は武士が収監される獄。

 

つまり、九一と靖は身分の低い足軽だった為、野山獄よりも劣悪な環境の岩倉獄に収監されたのでした。

 

そんな身分の低かった二人ですが、その二年後に釈放され、身分に関係なく活躍できる後の奇兵隊創立に尽力することになります。

 

入江九一の性格

野山獄は上牢ですから、牢獄と言えおおらかな雰囲気だったようで、囚人の身でありながら吉田松陰は獄中からさまざまな意見や作戦を指示出来ていました。

 

先程書いた無謀な作戦もそのひとつ。

 

内容は参勤交代中、藩主を拉致して朝廷に誘導し、攘夷を宣言させようという「伏見要駕策」というものでした。

 

が、それって今で言う拉致監禁…営利誘拐じゃないの?って思いますよね。

 

当時だって「え!先生それ無理だから!」と言うわけで挙に賛同する村塾生はいませんでした。

 

しかし、誰もが反対し、阻止しようとする中、入江九一だけがその計画を実行しようとします。

 

入江九一は1837年に足軽の長男として生まれ、若くして父を亡くし家系を支えるようになります。

 

その為、弟の野村靖に遅れること一年、ようやく松下村塾に入門することが出来ました。

 

しかしそのわずか1ヶ月後、吉田松陰は再び投獄されることになります。

 

このため入江九一が松陰から学んだ期間は1か月とかなり短い期間でした。

 

後発の不利故か、弟からその教えを見聞きしていたせいか、短いながらも入江九一は松陰の教えに心酔・心服しきっていたようです。

 

そんな入江九一ですから松陰の方でも、「度胸がある」とその人となりを髙く買っていたと言われています。

 

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高杉晋作も一目置いていた?

松下村塾の中で人気の高い高杉晋作。

 

晋作は当時から、一旦キレたら誰も手が付けられないと言われ、恐れられていました。

 

ただ、唯一入江九一だけは正面切って「高杉さんはひどい」と言えたとされています。

 

そして高杉の方もなんとなく入江九一になだめられたら言うことを聞いていたのだそうです。

 

入江九一には高杉晋作も一目置く、威厳のようなものがあったのかもしれません。

 

九一は禁門の変に久坂玄瑞と共に出陣し、28歳という若さで散っています。

 

長州藩の負けが決定的となり、久坂が自刃した後に敵の槍で打ち取られたと言われています。

 

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