文の姉で小田村伊之助の最初の妻となる杉寿の性格!!

文より4才年上で、吉田寅次郎(松陰)より9才年下の妹・寿。

 

後に楫取素彦と名乗る、小田村伊之助の最初の妻となる人物です。

 

文とはとても仲が良かったと言われていますが、その性格は真反対でかなり勝気な女性だったようです。

 

今回はその寿の性格について迫ってみたいと思います。

 

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寿の性格

松陰と兄の梅太郎も正反対の性格で、激情家の松陰と温厚な梅太郎という図式が成り立ちます。

 

寿と文にもこれと全く同じで、気が強く好奇心旺盛な寿と、温和な文という図式になります。

 

言ってみれば、松陰と似たタイプの性格で、女版吉田松陰と言ってもいいのかもしれません。

 

松陰が寿に向かって「子供に悪影響を与えるから、その性格は直した方がいいよ。」と言ったそうなので、かなり男勝りな性格の女性だったようですね。

 

意志が固く、胆の座ったその性格から『烈婦』と呼ばれていたというのは有名な話です。

 

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吉田家の女性

この烈婦という表現は、寿と文の姉である千代(花燃ゆには未登場?)にも当てはまると思うので、杉家の女性は本当にたくましかったんだと思われます。

 

千代に関しての記事⇒玉木文之進の壮絶な最期!!介錯を務めた意外な人物!!

千代のインタビュー⇒明治になって文の姉・千代が語った兄・吉田松陰の逸話!!

 

もしかすると、この時代の女性というか、武士の妻というのは半端な覚悟では務まらなかったのかもしれませんが、現代の感覚からすると、やはり凄いです。

 

私達からすると、刀を持って自分の親族を・・・って、想像を絶する世界ですが、当時は決して珍しい事ではなかったのかもしれません。

 

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萩の松陰神社内に残る杉家

 

そんな勝気な性格の寿は、夫である小田村伊之助が、禁門の変の後に、野山獄に幽閉された際は、文を連れて野山獄に訪ねて行っています。

 

この時の小田村伊之助は獄中にあって意気消沈していたかも知れませんが、妻が会いにきてくれるというのは心の支えになったでしょうね。

 

ただ、同行していた文が将来の妻になるとは夢にも思っていなかったはずですが・・(笑)。

 

寿の最期

寿は明治維新後、群馬県令となった伊之助(この時は楫取素彦と名乗る)について群馬県に移住しています。

 

群馬県では自身が深く信仰していた浄土真宗の布教に取り組んでいたそうです。

 

しかし、体調を崩すことが多くなり、43才でこの世を去っています。

 

墓所は楫取家のお墓がある、東京の青山霊園にあります。

 

そこには楫取素彦の妻と書かれた大きなお墓が建てられています。

 

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