井伊直盛の武将としての資質と桶狭間での最期!

井伊直盛は父親の直宗が戦で亡くなったため、若くして井伊家の22代当主になった人物。

直盛が当主となった当時、井伊家は今川家の支配下にあり、苦しい立場に立たされていました。

 

そんな不遇な時代の井伊家を支えた井伊直盛とはどういった人物だったのでしょうか?

 

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井伊直盛は優柔不断?

直盛が当主だった時代、井伊家は今川義元に翻弄されていました。

直盛の叔父の直満は小野政直の讒言によって義元に成敗され、それによって、娘の直虎の許婚に決まっていた亀之丞も逃亡生活を余儀なくされます。

 

この時の詳細な記録が残っている訳ではないので詳しいことは分かりませんが、亀之丞の逃亡を手助けしたのが直盛の叔父の南渓和尚だったので、おそらく直盛が亀之丞を逃がすように指示していたのではないかと思います。

 

「井伊家の跡継ぎとなる亀之丞(後の井伊直親)を今川に引き渡すわけにはいかない。」

 

おんな城主直虎では杉本哲太さんが優柔不断で、どこか頼りない直盛を演じていますが、実際の直盛は武将としての智略と度胸を持ち合わせていた人物だはないかと思います。

 

亀之丞を匿えば今川家に逆らったということで、井伊家を潰される可能性もあります。

そんな中で亀之丞を逃したのだとすれば、直盛の中には『今は仕方なく従ってはいるが、絶対に今川の思うようにはさせない』という意地があったのではないかと感じます。

 

そして、直盛は度胸や智略だけでなく、武勇に優れていたことも確か。

その証拠に今川義元が大軍を率いて上洛を始めると、先鋒隊の大将に抜擢されています。

 

先鋒隊というのは、新しく傘下に入るなどした立場の弱い家が任されることが多かったようですが、それでも大将を任されるということは、直盛に相応の器量があったからに違いありません。

 

しかし、これが運命の転換点となり、直盛が先鋒隊の大将を務めた今川の大軍は、桶狭間で織田信長の猛攻にあい、大敗を喫してしまうことになります。

 

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桶狭間での最期

桶狭間で休息していた今川軍を織田信長率いる精鋭部隊が急襲したのは正午頃の話。

今川軍2万に対して織田軍は2000程度でしたが、今川軍は隊列が伸びきっていて、実際に義元の周りにいて織田軍と戦ったのは5000程度だったとされています。

 

なので、直盛は義元の側にいた訳ではないのかもしれませんが、桶狭間の一連の戦いの中で壮絶な最期を遂げたとも、自害したとも伝わっています。

 

この桶狭間の合戦時の逸話としては、家臣の奥山孫一郎に介錯をさせて首を井伊谷まで持ち帰らせたというものがあります。

さらに、小野政次の動向に信頼がおけない部分があるので、すぐに直親を当主にするのではなく、しばらくは中野直由に井伊家の舵取りを任せるようにという遺言も残しています。

 

小野政直・政次親子の野心を見抜き、死を間際にしても井伊家の今後のことを案じていた直盛。

 

不遇の時代の井伊家に生まれたばかりに歴史的に知られている人物とは言えませんが、生まれる時代や場所が少しでも違えば、歴史に名を残す武将になっていたのではないかと思います。

 

この時代の逆境に巻き込まれた井伊の意志が、直虎を経て井伊直政に受け継がれていくと考えると、歴史は本当に面白いですね。

 

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