織田有楽斎は裏切り者?真田丸で異彩を放つ信長の弟の正体!

真田丸で豊臣秀頼の側近(相談役?)として登場する織田有楽斎。

 

真田幸村たち大阪五人衆のことを持ち上げておきながら、本心では全く信頼を置いていない腹黒い人物として描かれています。

 

実はこの有楽斎は戦国時代の英雄・織田信長の弟。

つまり、淀殿にとっては叔父さんにあたります。

 

さて、この有楽斎。

かなり胡散臭い雰囲気がありますが、真田丸ではどのようなキャラとして描かれるのでしょうか?

ネタバレがあるので先の展開が分かってもいいという人は読み進めてみて下さい。

 

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織田有楽斎ってどんな人?

織田有楽斎は織田長益という名前でも知られる、信長と13歳年の離れた弟です。

信長の下では特に目立った武功を挙げているわけではありませんが、戦には参戦し、それなりに戦場での経験も積んでいます。

 

どちらかと言えば戦場で槍を振るうよりも調停役などの参謀役としての役割が多かったのではないかと思いますが、有楽斎の資料は少なく、信長時代のことはあまり良く分かっていません。

 

信長が本能寺で明智光秀に討たれた後は、豊臣秀吉に御伽衆(おとぎしゅう)として仕えています。

御伽衆というのは秀吉の話し相手をする役なので、頭が悪かったり気が利かなければおそらくは無理。

 

なので、やはり戦場に出るよりは知恵袋としての役割が強かったのではないでしょうか?

僕の中ではワイドショーのコメンテーターみたいなイメージです。

 

関が原の戦いでの活躍

しかし、そんな有楽斎も戦場で大活躍する機会が訪れます。

それが天下を二分した関ヶ原の戦い。

 

関が原の戦いでは450という僅かな兵を率いて本戦に参加。

大谷吉継の指揮下で活躍した戸田勝成、石田三成に仕えた猛将・蒲生頼郷を打ち取るという大手柄を立てています。

 

戸田勝成と蒲生頼郷といえば世に名の知れた名将です。

この2人を打ち取るということは、もしかすると武勇に関しても織田信長に通じるものがあったのかもしれません。

 

ただ、有楽斎は千利休を茶道の師として、利休十哲に数えられる人物です。

その印象もあってか、やはり『戦場で勇猛に戦う』という姿はイメージしづらいですね(笑)

 

ちなみに、現在の東京にある有楽町は、江戸時代に織田有楽斎が屋敷を構えていた名残で有楽町となっています。

 

関連記事⇒織田信長の性格と本能寺の変の真実!!

 

大坂の陣での裏切り?

豊臣と徳川が対立した大坂の冬の陣と夏の陣。

この時、有楽斎は淀殿の叔父ということもあり、豊臣方として大坂城にいました。

 

有楽斎は大野治長と一緒に牢人衆をまとめる立場にありましたが、実は徳川家康と通じていたのではないかとされています。

真田丸ではこの説を採用して完全に裏切り者として描かれていますね(笑)。

 

ただ、個人的には真田丸のように豊臣を裏切り、徳川の間者として入り込んでいたのではなく、豊臣の為を思って徳川につくことを考えていたのではないかと思います。

 

つまり、徳川の下で豊臣秀頼が一大名として存続していくために思案を巡らせたのが有楽斎ではないかということです。

有楽斎は大阪夏の陣が始まる前に『誰も自分の言うことをきかず、大阪城内にいても無意味』と言って、大坂城を退去しています。

 

有楽斎はこの時点で徳川に勝てないことを確信していて、何とか豊臣家の存続を願って家康に近づいたのではないでしょうか?

織田信長の弟で世代的にも家康と近かったので、決して仲は悪くなかったはずです。

 

なので、徳川の下に付くしか豊臣が生き残る道はないと思って必死に説得したものの、淀殿や大野治長らが聞く耳を持たなかったため、『誰も自分の言うことを聞かない』という言葉に繋がたのだと思います。

 

なので、真田丸で描かれているように、最初から豊臣を裏切る気満々だった訳ではないと感じています。

 

信長、秀吉、家康の時代を生き抜いてきたことからも分かるように、有楽斎が時代の流れを読む才能に長けていた事は間違いありません。

そんな時流を読むことに長けた年長者の意見を聞かなかった秀頼や淀殿の判断が豊臣家の滅亡に繋がったのかもしれません。

 

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有楽斎の評判が悪い理由

『豊臣のことを思っていただけで、決して裏切り者ではない。』

先程は有楽斎の本当の姿をこのように想像しましたが、実は有楽斎の武将としての評判はあまり良くありません。

 

それは本能寺の変の際の有楽斎の行動に原因があります。

 

有楽斎は本能寺の変が起きた際に、信長の長男である信忠と一緒に二条城にいました。

しかし、二条城が明智の兵に囲まれた際、有楽斎は信忠に自害をすすめ、自分はそのスキに岐阜へ逃げ延びています。

 

この行動が何とも武士らしくないということで、有楽斎の武将としての評判はイマイチです。

 

  1. 利休十哲に名を連ねる茶人として優秀な人
  2. 兄を見捨てて逃亡した卑怯者
  3. 大坂城内で徳川に内通していた裏切り者
  4. 豊臣家存続のために最後まで家康との橋渡しをした功労者

 

角度を変えてみるといろいろな見方ができますが、あなたは有楽斎の本当の姿はどれだと思いますか?

 

関連記事⇒大坂の陣で真田幸村と共に戦った大坂城五人衆の逸話!!

 

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