呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)秀吉に便器の壺を売った男!!

 

信長・秀吉・家康の三英傑の物語には、大名や英傑ばかりでなく公家や商人、はたまた渡来人など様々な人間が登場します。

 

天下人ともなると非常に多くの人間と関わることとなるので、彼らの人生はそのままノンフィクションドラマのようになります。

 

天下人となった秀吉が力を入れたこととして、海外との貿易があります。

 

主君である信長の影響を受けて南蛮グッズのマニアだった秀吉は、貿易によって日本を富める国として発展させようとしていたのです。

 

今回取り上げるのは、秀吉の庇護を受けて急成長したものの彼の不興を買って没落してしまった伝説の商人・呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)です。

 

彼もまた秀吉の天下の下で栄華を誇った時の人でした。

 

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呂宋助左衛門とはどんな人物?

呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)という名前は、彼がフィリピンのルソンに渡海していたことからつけられた通称です。

 

本名は納屋助左衛門(なやすけざえもん)と言い、堺の豪商である納屋才助(さいすけ)の子として生まれました。

 

当時の堺は日本随一の貿易都市で、幕府や大名の庇護を受けていたことから外国の品物があちこちで取引されて商人達や茶人に巨万の富を生ませていました。

 

堺は「東洋のベニス」と言われ、現代で言えば中国の香港・マカオのようなもので朝廷がある程度の自由を認めていた間接統治の都市でした。

 

助左衛門が生まれたのはまさに堺がこの世の春を謳歌していた時です。

 

彼は遅くとも安土桃山時代に入った時には海外を視野に入れた貿易に着手し、フィリピンのルソン島に渡航しました。

 

当時のフィリピンは大航海時代の覇権を握らんとしていたスペインの属領となっており、ルソン島は中国・東南アジア・インド・アラブの国々との中継貿易で一大貿易地となっていました。

 

助左衛門はそこで安く仕入れた海外産のものを日本に向けて高値で売りつけ、結果凄まじいまでの大金持ちとなりました。

 

流行をかぎつけて最も早く行動したその胆力が彼の資本であり、彼はフィリピンと日本を行き来しながら海外産の安い商品をガンガン高値で売りつけました。

 

これに目を付けたのが、天下人・秀吉です。

 

大の南蛮マニアだった秀吉は海外の珍しい品々を全て自分の物とするために財産を惜しまずにガンガン品物を買い込みました。

 

こうなると、天下人・秀吉でさえも助左衛門のいいカモであり助左衛門の懐がどんどん膨らんでいきました。

 

現代でもいち早くビジネスチャンスをつかんだ人があっという間に巨万の富を築き、成功体験を売り物にした商材やセミナーでさらに懐を膨らませるというのはお約束の展開ですが、彼もそうした人達と同じく金が金を生む無限の富の中にいた人だったのでしょう。

 

大河ドラマで2回目の呂宋を演じる松本幸四郎

さて、『真田丸』で呂宋助左衛門を演じるのは重鎮・松本幸四郎さんです。

 

実は松本さんが助左衛門を演じるのは今回が2回目です。

 

では、1回目はいつなのかというと、1978年の大河ドラマ『黄金の日日(おうごんのひび)』で主役として呂宋助左衛門を演じていました。

 

つまり、過去に呂宋助左衛門を主役とした大河ドラマがあったという事ですね。

 

『黄金の日日』は助左衛門を中心に堺の街の栄枯盛衰や証人の人間模様を描いた作品でしたが、『真田丸』は信繁ら真田家の熱い魂を描いた作品です。

 

武家の動きを中心に描く、ある意味オーソドックスな作品の『真田丸』に時の商人である助左衛門がどのように絡むのかはまだ読めませんが、何らかの意図があってのことでしょう。

 

大河ドラマの歴史を通じて、一度演じた役を同じ俳優がまたも別の作品で演じるということが何度かありました。

 

例えば、『利家とまつ』で前田利家を演じた唐沢寿明さんは『功名が辻』で再演し、『秀吉』で豊臣秀吉を演じた竹中直人さんは『軍師官兵衛』で再演しました。

 

昔懐かしいキャストを復活させることで玄人のファンを再び呼び込もうとしている。

一度板についた役者さんを再び起用することで違った味わいを出そうとするファンサービス。

 

など、様々な憶測が伝えられていますが、三谷幸喜監督はかねてから松本さんとも深い交流があり、今回再演が果たされたのはその縁によるものではないかと思います。

 

監督が描こうとしている『真田丸』には、松本さんの雰囲気が必要なのでしょうか?

 

私個人としては、三谷幸喜監督はどこか飄々とした演技ができる人を好んでいるようにも思えます。

 

『黄金の日日』を見たことはありませんが、監督の琴線に触れた演技が『真田丸』ではどのように表現されるのか、そこにも注目です!

 

秀吉に便器を売ったと言う逸話

さて、巨万の富を得たとはいえ所詮は卑賎の身である商人の助左衛門が名を知られたのは、彼が売った商品が何と便器であり、それが秀吉の不興を買って国外追放されてしまったとされる逸話からです。

 

前章に話が戻りますが、貿易によってもたらされる商品は日本では凄まじい高値で売れますが、現地の人からすればただのガラクタであったり何の変哲もない日用品だったりすることが殆どです。

 

勿論、貿易などズブの素人である武士達には商品の価値がいくらなのかなんてわかりっこありません。

 

そこで商人や茶人は武士達に言い値で品物を売りつけて浮かせた利益分で私服を肥やしていた、というのが当時の貿易の実情でした。

 

後世あまりにも有名な茶道の祖・千利休も堺出身の茶人でしたが、彼は信長・秀吉に取り入る中で茶器を政治の道具として利用し暴利を貪っていたとされています。

 

わび茶の発展の裏には政治のためという免罪符・大義名分があったのです。

 

しかし利休が私服を肥やしているとの報告を受けた秀吉の不興を買ってしまい、利休は1591年(天正19年)に切腹を命じられました。

 

関連記事⇒千利休が切腹となった原因!!秀吉が激怒した理由とは?

 

商人や茶人の利益独占は裏を返せば堺の貿易自立の証でもありましたが、秀吉は天下統一を機に堺の交易権を独占しようと目論みました。利休はそれに反抗したがゆえに死を賜ったのだともいわれています。

 

話は戻って、助左衛門が売っていたのはろうそく・ジャコウ、そしてルソン壺と呼ばれる海外製の壺でした。

 

秀吉も助左衛門から壺を購入していましたが、先述の通り秀吉には壺の正体が何なのかははっきり言って言われるまでわかりません。

 

そこで適当に買い占めた壺が本来は花瓶なのか何なのかとでも考えていたところ、実は便器であり「この太閤殿下をバカにしているのか!」と激怒して国外追放に至った、というのがこの逸話の全貌です。

 

しかし政治的に見てみると、商人や茶人の利益独占が日本に深刻な不景気をもたらしており、それを秀吉が厳戒態勢で取り締まったという側面もありました。

 

貧富の差は資本主義社会の世の常ですが、秀吉にとっては朝鮮出兵が思うようにいかないこと、貿易にかこつけてイエズス会が日本征服を企んでいること等が行き過ぎた貿易を抑制する方向に進ませたのでしょう。

 

国外追放された後の助左衛門は、東南アジアを巡って最終的にはカンボジアで国王の信認を受けてその地で豪商となり、日本には帰らずに生涯を終えたとされています。

 

現代でも、もっとビッグな商売を求めて海外に移住する起業家はいます。決して武士ではない助左衛門にとっては日本の地にこだわる気はさらさらなかったのでしょうか?

 

いずれにせよ、その逞しさはお坊ちゃま育ちの大名など足元にも及ばないのかもしれません。

 

まとめ

私は普段、貿易・経済の視点から歴史を見ることはあまりありませんが、今回助左衛門に注目することで当時のグローバルを目指した日本人の考え方に触れることができ大変面白かったです。

 

秀吉も世界を相手に日本という国を考えていたことから、助左衛門の存在を無視することはできなかったのでしょう。

 

江戸時代では公式には鎖国を命じていたので、表立って貿易を主張する人は少なくなります。

 

安土桃山時代の大胆な発想や世界構想は、どちらかというとグローバル化が進みより広い世界を視野に入れた考えが当たり前の現代に近いような気がします。

 

ここで呂宋助左衛門について知ることができたのは、いつ食われるかわからない時代に高度経済成長期のような安定を求めた縮こまった生活は時代に取り残されるという警鐘と、自分に対する戒めなのかもしれません。

 

皆さんも、たまには歴史を別の視点から眺めてみると普段とは違う発見があるかもしれませんよ?

 

関連記事⇒豊臣秀吉の死因とは?失禁したという逸話と最期の様子!!

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