真田丸で秀吉がぞっこんの吉野太夫を演じている女優(キャスト)は誰?

真田丸に登場して一際存在感を放っている吉野太夫。

 

吉野太夫って誰?と思うかもしれませんが、信繁が初めて秀吉と会って大坂の町に連れ出された時に、舞を舞っていた芸妓さんですね。

 

真田丸の中では、大の女好きである豊臣秀吉(小日向文世)が夢中になっているお気に入りの芸妓さんとして登場しています。

 

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吉野太夫とは

そもそも太夫というのは最上位の芸妓につけられるもので、吉野太夫というのは京都に伝わる名跡の1つです。

 

簡単に言うと、当時の京都で人気No,1の遊女といったところですね。

 

落語家さんや歌舞伎俳優さんが名跡を継ぐことが良くありますが、芸妓の世界にも同じような慣わしがあり、吉野太夫という名前も芸妓の名前として受継がれていきました。

 

当時は京都の島原や江戸の吉原、大坂の新町などに遊郭があったので、それぞれの場所に太夫がいたという事になりますね。

 

10代続いた吉野太夫ですが、その中で最も有名なのが2代目。

 

もとてつもない美貌の持ち主と言われているだけでなく、和歌や琴、茶道や華道のたしなみも半端なものではなかったとされる、才色兼備のスーパーウーマンでした。

 

真田丸に登場している吉野太夫は特に何代目の吉野太夫を描いているという訳ではないようですが、世に聞こえた吉野太夫に秀吉が入れ込んでしまうという設定で描かれていますね。

 

この設定は史実ではないと思いますが、大の女好きとして知られる秀吉なので、実際に吉野太夫の元まで足を運んだという事があったのかもしれません。

 

なにせ、太夫に相手をしてもらうにはかなり高額な費用がかかり、当時の関白や豪商、大名などが主なお客さんだったようですからね。

 

一般庶民には程遠い存在だったんですね。

 

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演じている女優さんは誰?

この吉野太夫、はじめて見た時に凄く妖艶な女優さんが演じているなぁ~と思いました。

 

演じているのは誰なのかなと思ってキャスト表を調べた所、演じているのは中島亜里沙さんという女優さん。

 

中島亜里沙さんは宝塚出身の女優さんで、最近はテレビで見かけることも増えてきています。

 

吉野太夫の芸妓メイクがとても似合っていますよね~。

 

妖艶すぎます(笑)。

 

さらに、自分は売れっ子なんだという自信をまとった雰囲気なども合わせて、本当にハマり役だと思います。

 

監督が三谷幸喜さんというだけあって、今回の真田丸には劇団出身の方や舞台で活躍されている俳優さんが多く出演されています。

 

真田信尹を演じる栗原英雄さんや豊臣秀次を演じる新納慎也さん、そして吉野太夫を演じる中島亜里沙さんもみんな雰囲気がある役者さんで、真田丸をキッカケに露出が増えそうですよね。

 

舞台で活躍されている方々には独特の雰囲気があるなぁ~と思います。

 

しかも、中島亜里沙さんが宝塚を受けたのは思い出作りくらいの軽い感覚だったそうで、まさか合格するとも思っていなかったそうです。

 

それが大河ドラマに出演するまでになるというのは、よっぽどの強運の持ち主か、才気溢れる人だという事でしょうね。

 

ドラマの中で、真田信繁は秀吉を動かすために上手く吉野太夫を使います。

 

歴史は影で女が動かしてきたと言われることがありますが、もしかすると当時の芸妓たちも大名や公家と関わることで、その判断に大きな影響を与えていたのかもしれません。

 

賢い女性は味方につけると本当に頼もしいですね(笑)。

 

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One Response to “真田丸で秀吉がぞっこんの吉野太夫を演じている女優(キャスト)は誰?”

  1. 吉栄 より:

    吉野太夫として有名なのは二代目。
    生まれは1606年4月10日。1613年に嶋原の全身である六条三筋町で禿にでます。
    1620年14歳で太夫となり、灰屋詔益に身請けされ太夫を辞めますが、1643年、37歳の若さで亡くなります。
    ですので、有名な2代目は秀吉と重なりません。
    また六条三筋町は秀吉死後徳川家康がここに移転をさせたので(慶長7年1602)、もしご贔屓にしてたとするなら、六条三筋町の二代目吉野ではなく、日本最古の公許花街、柳町にいたのか?それとも六条三筋町ができた当時いたのか?初代だと思われます。
    また、何代も吉野は出ておりますので、私が調べた限り一番近々で明治末期にも何代目かの吉野太夫はいました。
    TVの吉野太夫は三谷マジックでしょうか(笑)

    尚、輪違屋は創業約330年*はっきりした年が当主もわからないとのこと。六条三筋町が今の西新屋敷に移って(1641)375年。二代目吉野太夫とは重なっておりません。
    もし本物の二代目吉野太夫直筆ものがあるとすれば、「角屋もてなしの美術館」は三筋町の頃からの創業ですし、1851年の大火も逃れられていますので在る可能性はあります。
    *輪違屋は嘉永4年1851年8月の、嶋原が4分の3が焼けた大火により全て消失しています(155年前)。その後が今の形です。

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