真田丸で吉田羊演じる稲姫(小松姫)と真田信幸の結婚と髷の逸話!!

大河ドラマでは家族は1つの大きなテーマなのでしょうが、大河ドラマ『真田丸』でも武将達の個人的な活躍と同時にあまり注目されない家族について描かれています。

 

正室と側室の深い関わり等はなかなか知られない人物像に迫れる見どころでしょう。

 

今回取り上げるのは真田信幸の妻・稲姫(小松姫)です。

 

以前は小松姫という名前が有名でしたが、最近はゲーム「戦国無双」等で幼名の稲姫のとして登場しているので、この名前で知っている若い人も増えているようです。

 

そんな話題の稲姫ですが『真田丸』ではどのように描かれるのか?

 

これからその実像について少し迫ってみましょう。

 

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吉田羊さんの経歴

今回、小松姫を演じるのは女優の吉田羊(よしだよう)さんです。

 

彼女の名前をテレビで聞くようになったのはここ数年の話でしょう。

 

彼女はどちらかというと劇場や舞台で活躍してきた女優で映画やテレビは近年になって出始めたようです。

 

吉田羊さんは、福岡県久留米市出身。

 

幼い頃から納豆とアイドルの真似が大好きな女の子でした(全国納豆共同組合連合会から「2015年度納豆クイーン」に選出されています)。

 

高校卒業と同時に上京し、初めは普通の大学生として就職活動をしていましたが、その中で幼い頃から演技が好きだったことに気づき女優を募集する三行広告を見てそれに応募し、女優としての道を歩み始めます。

 

養成学校やレッスンを受けたりは一切せず、小劇場で演じ続けました。

 

2001年に女優仲間と一緒に演劇プロデュース集団「東京スウィカ」を立ち上げ、彼女はそこでただ一人の女優として活躍を続けます。

 

この「東京スウィカ」は声優・森田成一さんやお笑いタレント・長州小力さんも出演経験があり、演劇好きには人気がある実力派の事務所だそうです。

 

2007年に「東京スウィカ」を卒業後は、現在の事務所であるORANKU(おらんく)に所属し、そこで昼ドラ「愛の迷宮」の準レギュラーとして本格映像デビューを果たします。

 

三谷幸喜監督と出会ったのはこの時で、「愛の迷宮」の演技を見た中井貴一さんが絶賛して三谷幸喜監督に紹介したところ、わざわざ吉田さんのために新たに配役を作るという配慮をみせたといいます。

 

その後は、現在までテレビや映画、CMにも多数出演し、数々の賞を受賞していきます。最近では月9の「HERO」が記憶に新しいでしょうか?

 

現在、「真田丸」の他に映画出演を4本控えているなど、まさに今が一番旬の女優さん、それが吉田羊さんなのです。

 

信幸の髷を引っ張る

吉田羊さんが演じる稲姫(小松姫)は、あの本多忠勝の娘ということもありこの時代の女性としてはそれなりに知っている人も多いのではないでしょうか?

 

稲姫といえば、父譲りの豪胆な性格の気の強い女性だというイメージが強いでしょう。

 

関連記事⇒真田信幸の妻・稲姫(小松姫)の性格と父本多忠勝!!

 

有名なのが、真田信幸と結婚する際に大名達の髷を引っ張ったというエピソードです。

 

小松姫と信幸の主君である徳川家康と真田昌幸は信長死後の領土の領有権を巡って長く対立した仲でした。

 

真田と徳川がともに豊臣秀吉の政権下に加わると、両家の間を取り持とうとした秀吉によって家康の実の娘と信幸の縁談の話が持ち上がります。

 

しかし、家康は自分の娘ではなく忠勝の娘である稲姫を信幸に嫁がせようとします。

 

昌幸はこれを聞いてとても機嫌を悪くしたといいます。

 

そこで、家康は稲姫を一旦自分の養女とした上で改めて信幸に嫁がせることを決めました。

 

いざ、稲姫と信幸が対面するとき。

 

小松姫の前には正室を持たない大名達が居並んでいました。

 

小松姫はひれ伏す彼らの髷を引っ張りその顔を見上げさせました。

 

もちろんとても無礼な行動なのですが、彼らは稲姫に反抗することはできませんでした。

 

稲姫のバック=『最強の猛将・本多忠勝(実父)』+『強大な権力者・徳川家康(義父)』という最恐の図式があるからです(笑)

 

しかし、この稲姫の無礼な振る舞いに、毅然と反論したのが信幸でした。

 

「無礼であろう!」信幸は小松姫の手を払いのけると、扇子でその顔をはたきました。

 

小松姫はその様子に「このお方こそ、私が嫁ぐべき人です。」といって、信幸との婚姻を決めました。

 

このエピソードが完全に史実であるかどうかは定かではありませんが、これは稲姫よりも信幸の性格を表した話と言えるでしょう。

 

稲姫の父である忠勝は勇武英略たる信幸を気に入っており、2人の縁談は彼が望んだことだとも言われています。

 

信幸の男気だけは史実がどうあれ揺るがないものでしょう。

 

関連記事⇒徳川四天王_本多忠勝と蜻蛉切!!

 

稲姫と信幸の夫婦仲は良かったのか?

経緯はどうあれ、大名間の婚姻は政略結婚であることが世の常。

 

稲姫と信幸も不仲の真田と徳川をくっつけるための政略結婚というのが真実です。

 

ドラマ「大奥」等でも描かれている夫婦の不仲はこうした背景をテーマにしたものですが、稲姫と信幸の仲はとてもよかったと伝わります。

 

信幸が沼田城主になると、稲姫も縁もゆかりもない沼田に向かうこととなります。

 

沼田の民は稲姫をとても親切に出迎え、稲姫はこれにとても感じ入りました。

 

後に稲姫は沼田の民に土地を与えたと伝わります。

 

そこには、先述のような豪胆な性格よりも普通の女性としての彼女の姿が浮かびます。

 

大名には側室が当たり前のこの時代にしては珍しく、信幸は稲姫の他には叔父である信綱の娘を除けば側室はいませんでした。

 

嫁いでからしばらくの間、2人の間にはなかなか子宝に恵まれませんでした。

 

稲姫は信幸にしばしば「側室を娶られるのがよろしいでしょう」と勧めていましたが、彼は固辞しました。

 

その後、2人の間には4人の子供が生まれることを考えると、とても仲睦まじい姿が想像できます。

 

大坂の陣が終わって数年後、稲姫は病に倒れます。

 

その時も「そろそろ京の人を娶ってもよろしいのでは?」と勧めていました。

 

それからすぐに稲姫が亡くなると、信幸は大変嘆き悲しみ「我が家は光を失った」と大変嘆き悲しんだと伝わります。

 

しかしもう一説に、信幸には小野お通という浄瑠璃や筆に長けたと伝わる女性ととても仲睦まじかったともいわれています。

 

彼女の墓は真田家の菩提寺である広徳寺にあります。

 

もしこれが本当なら「そろそろ京の人を娶ってもよろしいのでは?」という言葉は、信幸に対する皮肉にも聞こえてきますね。

 

信幸はとても一途な男だったのでしょう。果たして2人の仲はどこまでよかったのでしょうか?こうした方面から歴史を眺めてみると、大名も武将も1人の人間ですね。

 

関連記事⇒真田信幸は信繁(幸村)より優れた武将だった!?

 

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まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

『真田丸』では稲姫と信幸の出会いはまだ先の話になりそうですが、これから信繁と信幸が袂を分かつまでのヒューマンドラマからは目を離せそうにありません。

 

果たして、2人の出会いのエピソードはどのように描かれ、吉田羊さんは、稲姫をどのように演じるのでしょうか?

 

これからの2人の活躍が楽しみになりますね!

 

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