大泉洋が演じる真田信幸の評価と最期!!

評判が上々の大河ドラマ『真田丸』。

 

その中で真田昌幸を演じる草刈正雄さんに負けない存在感を放っているのが大泉洋さん演じる真田信幸(信之)。

 

真田家の跡取りだけあって真面目で実直、ここぞという時に頼りになる存在なのですが、考え方に面白みがないという事で何故か意見を軽視されてしまいます。

 

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真田丸どうでしょう

信幸を演じる大泉洋さんは『水曜どうでしょう』という北海道のローカル番組から全国区になったのですが、当時はドッキリにかけられて騙されてばかり。

 

その騙されっぷりが評判となりブレイクした俳優(タレント)さんです。

 

真田丸では息子でありながら昌幸の謀略に巻き込まれてしまうため、その騙されっぷりが水曜どうでしょうのようだと話題になり、『真田丸どうでしょう』と呼ぶ人もいます。

 

そんな大泉さんが演じる真田信幸はどういった人生を歩み、どういった最期を迎えた人物なのでしょうか?

 

日の本一の兵、真田信繁(幸村)は最期まで徳川に反抗した武士の中の武士として現在まで長く愛され続けています。

 

一方、兄である真田信幸は徳川家康につき、第二次上田合戦では父・昌幸や弟の信繁に負けた(直接は戦っていない)という地味でやや情けない印象を持たれている人も多いかもしれません。

 

しかし、大名というのは戦の勝敗だけでは評価をくだせるものではありません。

 

真田信幸の本当の評価とその功績は?

 

大泉洋さんが演じる事で再評価されることが確実な真田信幸に迫ってみましょう。

 

槍働きも抜群

信幸は信繁よりも1歳年上。

 

Sanada_Nobuyuki

 

幼少の頃、武田勝頼の人質となり、僅か10歳前後で真田家の跡取りとして従姉妹でと婚約していました。

 

この従姉妹が真田丸でいうおこうですね。

 

長野里美さんが演じる病弱な正室です。

 

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その後は織田領に人質としていましたが、本能寺の変が起こると友人だった前田慶次から知らせを聞いて上田に戻ったとされています。

 

そして旧武田領を巡って、真田・徳川・北条の間で争いが起こると、信幸は父昌幸と共に戦う道を選び、上田で徳川を迎え討ちます。

 

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第一次上田城の戦いでは混乱した徳川軍の背後を突くという役割を担い、大戦果を挙げる活躍をしています。

 

この時、弟の信繁は同盟相手の上杉景勝の人質となっていたというのが定説で、諸々の事情で元服すらしていなかったとさえ言われています。

 

このように、信幸は弟よりもかなり早い段階から表舞台に登場しています。

 

小松姫を娶り徳川方へ

第一次上田城の戦いでの活躍で、信幸は徳川にもその評判を知られるようになりました。

 

それがきっかけで、のちに信幸は本多忠勝の娘小松姫を妻として迎えます。

 

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天下人豊臣秀吉が亡くなると、真田家は難しい立場に立たされました。

 

豊臣と徳川の両方に恩義を売っていたため、どちらについても危機が迫っていたからです。

 

信幸は徳川嫌いだった父・昌幸や大谷吉継の娘を妻としていた信繁とは逆に徳川家康に付くことを決めます。

 

上田に籠る真田軍に対し、家康は嫡男の秀忠に譜代の臣を中心とする徳川本隊を任せて進軍。

 

この時に真田を攻めるよう命令されたのが信幸でした。

 

信幸は命令通り故郷の上田を攻めましたが、信繁の機転で親子兄弟が戦うことだけは避けられました。

 

信繁は砥石城という城を守っていたのですが、信幸が攻めてくると戦わずして城を明け渡しています。

 

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結局、関ケ原の戦いで徳川家康が勝利したことで東軍の勝利に終わり、信幸(信之)は上田藩10万石の大名になります。

 

そして、家康からの命令で上田城は壊されることとなり代わりに沼田城を本拠地とすることとなるのです。

 

信幸は紀州九度山に流罪となった昌幸・信繁に対し仕送りを続けました。

 

大坂の陣では病気のために息子を代理として出陣させ、弟の死の現場にいることは出来ませんでした。

 

もしかすると、弟と戦いたくないために病気を理由に出陣を拒んだのかもしれません。

 

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松代移封と信幸の最期

1622年(元和8年)、二代将軍秀忠によって上田藩から松代藩に移封された信幸はおよそ30年の間藩主として君臨し続けます。

 

この時、移封に怒った信幸は検知などの重要資料を焼き捨てて上田城の植木や灯篭を全て松代藩に持ち去ったともいわれています。

 

信幸が領地替えに納得していなかったことが、信幸が出浦昌相に出した手紙からも読み取ることができます。

 

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晩年、信幸は次男に家督を譲って隠居します。

 

しかし、間もなく次男が亡くなると早世した長男の血統と次男の血統が後継者争いを始めます。

 

結果、次男の血統である幸道が後継者となりますが、幸道は僅か2歳。

 

そこで、大隠居である信幸が止む無く復帰して政治を執りました。

 

最後の最後まで政務を執り続けた信幸は93歳という長寿を全うします。

 

93歳というのは平均寿命が短かった当時としてはびっくりするくらい長生きです。

 

信幸の最期は大往生と言ってもいいでしょう。

 

信幸の功績と評価

信之には寝ずの番をつけて守ってきた家宝がありました。

 

それはしばらくの間、徳川家康から拝領した刀だと思われていたのですが、実は石田三成が真田家に出した書状などでした。

 

出浦昌相に出した手紙もそうですが、危険を承知でこうった手紙を残しておくという事は、徳川政権に組み込まれること(松代移封)を快く思っていなかった信之の本心が良く分かります。

 

もしかすると信之にも昌幸譲りのしたたかさがあったのかもしれません。

 

そう考えると、やはり2人は親子ですね(笑)。

 

信之が家康の事をどう思っていたのかは分かりませんが、信幸が真田家の地盤を作り上げたことで真田の家は幕末まで生き抜き、現在までその名を繋いでいます。

 

戦国武将として華やかな活躍が語り継がれる父・昌幸と弟・信繁。

 

それに比べると地味なイメージの信幸ですが、真田の名が現在まで残っているのは信幸の大きな功績。

 

信幸がいなければ昌幸や信繁の活躍も現代に伝わることはなかったかもしれません。

 

信幸の最大の功績は戦働きではなく、その長い生涯で真田の名を現在まで残したことなのではないでしょうか?

 

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