天下統一を果たした豊臣秀吉亡き後に豊臣家が迎えた大きな戦がそれが大坂冬の陣と夏の陣。

そしてこの大坂の陣で豊臣家のために東奔西走したのが秀吉の下で七本槍として活躍した片桐且元です。

 

徳川家康は「天下泰平のため」という大義名分を掲げ大坂城を攻めますが、そのやり方はかなり強引。

この強引な家康に片桐且元はどのようなに対処したのでしょうか?

 

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片桐且元とは?

片桐且元は元々浅井長政の配下として織田信長と戦い敗れています。

おそらく大野治長や茶々、大蔵卿局などと共に戦火のなかを城から落ち延びたのではないでしょうか?

 

その後、近江を支配する豊臣秀吉の配下となり、賤ヶ岳の戦いで武功を認められて福島正則や加藤清正と並び「七本槍」としてその名を轟かせます。

 

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しかし立派な武功があった且元ですが、その後の活躍を見る限りでは、武将としてではなく行政官として腕を振るっています。

検地奉行としての活躍が目立ちますし、街道の整備や軍船の調達など裏方として奔走します。

 

その働きが認められて1595年に摂津1万石の大名となり、1598年には豊臣秀頼の傅役の5人のうちのひとりに抜擢されます。

 

この事から豊臣秀吉の信頼が厚かったことが分かります。

 

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徳川家康との関係

一方で且元は、徳川家康とも交流があり、関ケ原の戦いが起こる前年には自宅に家康を2泊させています。

もちろん、家康の方が先輩なので且元はもてなす立場だったわけですが、おそらくは豊臣秀吉亡き後の治世についてなどの話をしたのではないかと思います。

 

そして1600年関ケ原の戦い。

片桐且元は西軍の石田三成側に付き敗北。

 

即、長女を人質に出すことを条件に徳川家康に許しをもらいます。

その後の片桐且元は、徳川家康の意向を大坂に伝えて実現させるパイプ役として活動していく事になります。

 

これは徳川家と豊臣家の橋渡しのようにも見えますし、徳川家の無理難題から、血気にはやる豊臣家を守る吸収材のようにも見えます。

 

大坂冬の陣

豊臣家存続に危機感を感じた徳川家は、1614年に方広寺鍾銘事件を起こします。

この時も且元は、徳川家のいちゃもんに対しても早急に手を打つべく駿府に赴きます。

 

しかし、徳川家康には会わせてもらえず、徳川家重臣の以心崇伝と相談し打開策を模索。

この時に出た案が下記の3つです。

 

  1. 豊臣秀頼を江戸に参勤交代に出す
  2. 茶々(淀殿)を人質として江戸に差し出す
  3. 大坂を出て他国に移る

 

このどれかを満たせば徳川家との関係は改善され、豊臣家の存続は可能だと考えたのです。

しかし、ここに徳川家康の周到な策略があり、茶々が片桐且元とは別に大蔵卿局を和議の使者として駿府に向かわせたことから話がこじれます。

 

徳川家康は大蔵卿局には直接会い、今回の一件に関して何ら咎めなかったのです。

2人から異なる報告を聞いた茶々や豊臣家の重臣たちは、片桐且元の発案が豊臣家を弱体化させる策略であり、且元は徳川家と内通しているのではないかという疑念を持ちます。

 

そのため大坂城での片桐且元の居場所はなくなり、発言力も低下していってしまいます。

 

大坂城を出てもなんとか豊臣家存続に力を尽くしたいと考え、大坂冬の陣に豊臣家を裏切る形で徳川家側として参戦。

何かが吹っ切れたのか、且元は徳川家康に協力的に戦い、大坂冬の陣を終わらせるきっかけとなる天守閣への砲撃試みています。

 

この砲撃に驚いた茶々は徳川との和議に向けて動きだします。

 

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続く大坂夏の陣では大坂城が落城する前に豊臣秀頼の隠れ場所をいち早く探り、家康に助命を願い出ます。

しかし家康はこれを許されず豊臣秀頼は自害。

21歳という若さで秀頼が最期を迎えたことで豊臣家は滅亡します。

 

豊臣家の滅亡から20日後、片桐且元は突如京都の屋敷で帰らぬ人となります。

 

且元は肺病を患っていて公式的に死因は病死とされています。

しかし、大坂夏の陣から程なくのことで突然の最期だったため、豊臣家存続を果たせなかった無念さから自ら命を絶ったのではないかと言われています。

 

一見すると徳川家のために働いているように見える片桐且元ですが、その理由は、天下の流れが徳川家に向く中で、何とかして豊臣家を存続さえたいと苦心した末の行動であり、忠義の士に私には思えます。

 

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