天正壬午の乱で発動された真田昌幸の裏切り生き残り術!!

天正壬午の乱とは織田信長が本能寺の変で亡くなった後に旧武田氏の領地を巡って徳川家康と上杉景勝、北条氏直が争った戦いの総称。

 

この巨大勢力の争いの中に真田昌幸も加わり、真田家の生き残りをかけて戦っています。

 

この天正壬午の乱は様々な戦いが含またとても複雑なものなのですが、今回は歴史初心者の方にも分かるように簡単にまとめて見ました。

 

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天正壬午の乱の流れ

武田勝頼を天目山で滅ぼした織田信長は武田氏の領地を滝川一益などの家臣に与えます。

 

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真田昌幸もこの滝川一益の指揮下に入り勢力を保っていましたが、信長家臣団の配置が終わってすぐに歴史を動かす重大事件が起こります。

 

それが本能寺の変。

 

本能寺で信長が亡くなったため、織田家の家臣達は主君を失った孤軍になってしまいます。

 

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しかも滝川一益達は新たな土地に赴任してきたばかり。

 

織田信長という強力な後ろ盾を無くした織田家臣の領地が他の勢力に狙われるのは目に見えたことでした。

 

これを好機と領土拡大に乗り出してきたのが信長の同盟者だった徳川家康

 

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そして上杉景勝と北条氏政でした。

 

もうこの時の織田信長の勢力下だった甲斐や上野、信濃は大混乱。

 

撤退しようとする織田軍とこれを機に勢力を回復しようとする旧武田氏の家臣、そして徳川、北条、上杉がそれぞれの思惑で合戦を展開していきます。

 

この中で真田昌幸が新たな主君に選んだのが北条氏政(一時上杉についたとも)。

 

昌幸は北条氏の下で働く事で領土の拡大と安堵を画策します。

 

その後、北条氏政と上杉景勝が講和を結び徳川家康に照準をしぼった氏政ですが、圧倒的な兵力差を誇った氏政が徳川家康に敗北。

 

すると昌幸は徳川に鞍替えして北条に奪われていた沼田城を奪還しています。

 

その後も北条との戦いが続きますが真田信幸や矢沢頼綱の活躍もあり、真田勢は北条氏の侵攻に最後まで持ちこたえます。

 

徳川と北条が講和

大混乱の中行なわれた領土切り取り合戦(天正壬午の乱)は約5ヶ月続き、徳川家康と北条氏政が講和をしたことで一応の終戦。

 

北条との和睦がなった事で、徳川家康は次に上杉景勝に対する備えをしく事になります。

 

ここで上手く家康を利用したのが真田昌幸でした。

 

昌幸は上杉に対抗するためと言って上田城の築城し、その資金を家康に援助してもらいます。

 

家康にとっても上杉に対抗するために真田昌幸の力は必要なので、もちろん資金を出した訳ですが、上田城が完成すると昌幸はあっさりと上杉に寝返ってしまいます。

 

上杉を抑えるために家康がお金を出して昌幸に造らせた上田城。

 

それが完成と同時に上杉の手に渡ってしまった家康の怒りは尋常ではなかったと思います。

 

ただ、この昌幸の裏切りには理由があって、家康が北条と和睦した際に昌幸が自分で奪還した沼田城を北条に譲り渡すように命令されていました。

 

昌幸からしたら、自分で勝ち取った領土を家康の命令で北条に差し出す理由は無く、これを機に徳川から上杉に鞍替えする事を決めたと言います。

 

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それにしても、家康にお金を出させるだけ出させて裏切るという昌幸の図太さも中々のものです(笑)。

 

そしてこの昌幸の裏切りが第一次上田合戦へと繋がり、家康は自分がお金出して作らせた上田城攻めで、家臣団が完膚なきまでに叩き潰される事になってしまいます。

 

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