大河ドラマ『花燃える』で大沢たかおさんが演じる小田村伊之助(後の楫取素彦)。

松下村塾の塾生ではないこともあり、歴史的にはあまりその名前を知られていません。

 

ただ、高杉晋作や文の最初の夫となる久坂玄瑞、伊藤博文の人気の陰に隠れて、あまり目立たない小田村伊之助ですが、実際は吉田松陰がとても頼りにしていた人物でした。

 

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松陰の妹との結婚

小田村伊之助は松陰よりも1歳年上で、松陰の妹である寿と結婚します。

この結婚を松陰は非常に喜んでいて、この結婚によって2人は義理の兄弟となります。

 

伊之助は、萩の藩校である明倫館に勤めていたので、寿と結婚した時には松陰のことも知っていたようですね。

 

2人がどのくらいの関係だったのかは分かりませんが、結婚を喜んだという事は、松陰は伊之助の見識の高さや人柄をこの時点で評価していたのかも知れません。

 

しかし、寿は若くして亡くなり、寿が亡くなった後、伊之助は寿の妹・文と結婚します。

 

久坂玄瑞の手紙をまとめた涙袖帳

小田村伊之助、久坂玄瑞、吉田松陰は義理の兄弟という関係になります。

伊之助は結果的に義理の弟である玄瑞の妻であった文と結婚するわけですが、この時に文の手元には大切に取っておいた久坂玄瑞からの手紙がありました。

 

その手紙を見た伊之助は、亡き義理の弟の無念を思って、その手紙を1つの巻物に収めます。

その巻物は『涙袖帳(るいしゅうちょう)』と呼ばれ現代に伝わっていす。

 

その手紙を見た時に流れた涙を、袖で拭ったことから『涙袖帳(るいしゅうちょう)』と名付けられたといいますが、伊之助の優しさが分かる逸話だと思います。

 

松陰と伊之助の関係

松陰は過激すぎる思想の持ち主であり、何度も獄に入れられていました。

そのため手紙を出したり、受け取ったりするにも難儀していましたが、その取次ぎをしていたのが伊之助でした。

 

Katori_Motohiko

 

その他にも、松陰を陰ながらサポートし、相談相手としてもよく議論を交わしたようです。

松陰が囚われの身となった後の松下村塾を伊之助に託したことを考えると、その信頼の厚さが良く分かります。

 

そして、松陰が処刑される前に記した『留魂録』という遺書には、獄中で知り合った志のある志士達に、友人や松下村塾の塾生の事を紹介しておいたので、連絡を取り合って行動してほしいと記しています。

 

その一番最初に名前が出てくる名前は久坂玄瑞や入江九一、高杉晋作ではなく、小田村伊之助

 

数多くの友人や門下生の名前を書き連ねる中で、一番最初に名前が出てくることでも松陰の中で小田村伊之助に対する思いが強かった事が窺えます。

 

伊之助も、松陰と同じく野山獄に投獄されるなどの受難の時期がありますが、高杉晋作や桂小五郎らと共にその危機を乗り越えています。

 

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坂本龍馬と関わり薩長同盟にも貢献

伊之助は坂本龍馬とも関わり、薩長同盟の成立にも大きく貢献しました。

一時、椋梨藤太の保守派によって野山獄に投獄されていた伊之助。

 

高杉晋作が回天義挙で椋梨を藩政から追放した後、伊之助も野山獄から釈放されます。

釈放された伊之助は毛利敬親の命により大宰府に向かい、そこで坂本龍馬と出会います。

 

そこで龍馬の口から、薩長同盟と言う考えを聞いた伊之助は龍馬を桂小五郎に引き合わせ、ここから薩長同盟の話が前進し始めます。

 

西郷隆盛が約束を反故にしたことにより、薩長同盟の成立自体が危ぶまれた際も、小田村伊之助は坂本龍馬を通じて、薩摩藩との交渉を続けています。

 

 明治維新後の伊之助

そして、明治維新が成った後は第一線を退き、山口に帰りますが、すぐに新政府から呼び出され、群馬県令にまでなっています。

群馬県令時代には養蚕を産業として発展させ、世界遺産になった富岡製糸場が廃業の危機に陥った時には、政府に意見書を提出して存続を認めさせています。

 

まさに、富岡製糸場という新たな世界遺産ができたのは小田村伊之助(この時は楫取素彦)の功績が大きかったという事です。

 

松下村塾を託され、残された生徒をまとめたこともそうですが、伊之助はとても人望があり、人々を引き付ける魅力があった人物のように思います。

小田村伊之助はあまり有名ではない人物なので、今回花燃ゆで取り上げられる事によって、多くの人の中で基準となるイメージが出来上がります。

 

今回の大河ドラマで小田村伊之助を演じるのは大沢たかおさんなので、いっきに人気が出そうですね。

 



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