井伊直虎の経歴と2017年の大河ドラマの脚本家に思う事!!

来年の大河ドラマの主演には徳川の家臣井伊家から井伊直虎が選ばれました。

 

漫画やゲームの影響で近年は女性にも注目が集まる中で、彼女は確かにただ誰それの妻だったとか、芸術に優れていた、とか一般的な歴史の女性のイメージとは少し離れて名実共に家の当主だったのですから、そこに着目したエンターテイナーや脚本家の方々の見識には感服するばかりです。

 

残念ながら『真田丸』の時代で活躍した人ではないので今年の登場は無理でしょうが、来年に向けて早くも予習をしたいという人もいるのではないでしょうか?

 

実は著者も、井伊直虎については最近になるまで殆ど知りませんでした。

 

元からあまり女性武将に興味がなかったのですが、最近は少しマイナーな人物から歴史の有名事件を振り返ろうという試みが多いかと感じます。

 

そこで、今回は井伊直虎がどんな人物だったのかを、知っている人はおさらいで、初めての人には簡潔にわかりやすく解説しちゃいましょう。

 

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井伊直虎とは?

井伊直虎がいつ生まれたのかは、実は正確にはわかっていません。

 

幼名も不明です。

 

父は遠江(とおとうみ)の国人・井伊直盛です。

 

直盛は当時の井伊家の当主でこの頃の井伊家は東海道随一の大名だった今川義元に仕えていましたが、謀反の疑いをかけられたことによって当主となるはずだった井伊直親が出奔してしまいます。

 

直盛は男子がなかったため、直虎を直親に嫁がせることで次期当主にしようと考えていましたが、直親が逃亡したことによって直虎は婚期を逃してしまいました。

 

直親は井伊家にとっては最後の希望、その所在も生死も絶対に門外不出だったので、直虎も直親の正確な所在を知ることはなく、失意のまま出家をしました。

 

この時の法名が「次郎法師(じろうほうし)」です。

 

その後、直親は桶狭間の戦いを前にして今川に戻ってきましたが、逃亡先で既に新しい妻を迎えていました。

 

1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いで直虎の父・直盛が戦死してしまいます。

 

それによって直親が井伊家の当主となりますが、1562年(永禄5年)には今度は直親が今川氏真によって謀反の疑いをかけられ、弁明に向かおうとした矢先に滅ぼされてしまいました。

 

直親には正室との間に虎松という男児を儲けておりましたが、当時虎松は満2歳。

 

当然のことながら家督を継ぐには不足でした。

 

虎松は今川から執拗に追手をつけられましたが、何とか逃れることができ鳳来寺に身を寄せることとなりました。

 

そこで前当主・直盛の遺児である次郎法師が後を継ぐこととなるのです。

 

次郎法師の正確な年齢はわかりませんが、夫となるはずだった直親が享年28歳なので、おそらく直虎は当時20代後半~30歳前後でしょう。時に1565年(永禄8年)の事でした。

 

次郎法師が「井伊直虎」と名乗るようになるのはこの時からです。

 

直虎の活躍

当主となった直虎の元に今川氏真が井伊谷一帯に対し徳政令を出していますが、直虎はこれを突っぱねました。

 

直虎は地主達と結託して井伊家による支配を強めようと考え、氏真は民意を反映して井伊家に介入しようと考えていました。

 

この一見小さな政治的対立が、井伊家に波乱を呼び込むこととなりました。

 

直親が殺されたきっかけは、今川から派遣されていた与力の小野道好の讒言によるものです。

 

道好は直虎が当主になってからも引き続き井伊家に残って権力を握っていました。

 

1568年(永禄11年)、直虎は居城・井伊谷城を奪われてしまい力を失ってしまいます。

 

そこで直虎が頼ったのが、今川氏からの脱却を図っていた徳川家康です。

 

1570年(元亀元年)、家康は直虎の嘆願を受け入れて道好の処断と井伊谷城の奪還を許可しました。

 

これにより、何とか故郷に戻ることができた直虎でしたが、今度は間もなく甲斐の武田信玄が三河に侵攻してくると、直虎は武田軍の山県昌景に井伊谷城を明け渡すしかなく、家康と共に浜松城に逃亡しました。

 

1573年(元亀3年)、勝利を重ねた信玄が突如病によって撤退を余儀なくされた時になって直虎はようやく井伊谷城を取り戻すことができました。

 

直虎と直政

1574年(天正2年)、ようやく故地が落ち着いた直虎は跡取りの事を考えて出家していた虎松を井伊谷城へ迎えようとします。

 

しかし、まずは虎松が再び出家しないように母(直親の正室)が松下家に嫁ぎ、「松下虎松」と名乗るようになります。

 

そして明くる1575年(天正3年)、家康は虎松の井伊家復姓を許可し、虎松は「井伊万千代」と名乗るようになります。

 

万千代を迎えてからの直虎は、かつて婚約者だった直親の遺志である井伊家と徳川家の結束を強めることを実践しました。

 

万千代を家康に仕えさせ、そのお眼鏡にかなうように取り入らせたのです。

 

万千代は果たして家康の小姓として取り立てられ、長じては武田勝頼との戦いで活躍するようになります。

 

そう、彼こそが徳川四天王の急先鋒・井伊直政となるのです。

 

関連記事⇒井伊直政が武田家から受け継いだ赤備えの軍団!!

 

先述の通り直政にはちゃんと実母が生存しており、直虎はかつての父の婚約者とはいえ実の親子に連なる血縁があったわけではありません。

 

しかし、直虎は直政と「次期当主」としてできる限りの教育を施し、これから井伊家が徳川家を幕末まで支える強い基盤を築くことに貢献しました。

 

その意味では、直虎は大老・井伊家の開祖ともいうべきでしょう。

 

本能寺の変からおよそ2か月後の1582年(天正10年)8月、直虎は直政が元服したのを見届けてこの世を去りました。

 

一説に享年49歳と伝わります。直虎の墓は直親の隣に建てられました。直虎は直親との婚約が破談となって以来、生涯未婚でした。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

短期間とはいえ、直虎が育てた直政はもし歴史が変われば自分の子になったかもしれない男児です。

 

直政自身も父達の苦労を知ってか知らずか、凡庸などとはとても言い難い優秀な漢に育ちました。

 

直政はその後堂々と徳川家の主力を飾ったことからも、直親と直虎の井伊家復興の願いは達成されたといっていいでしょう。

 

直虎が活躍した期間はとても短く、彼女がいた地域もせいぜい静岡県、愛知県と地方史に留まるような人間です。

 

戦国時代の中には、女傑と呼べる人物は直虎だけでなく大勢います。

 

しかし、彼女がクローズアップされたのには、家族愛というテーマを持った「大河ドラマ」にはぴったりの人物だったからでしょう。

 

『真田丸』も勿論ですが、『おんな城主 直虎』も斬ったはったでは済まない戦国のドラマを描くという意味でとても楽しみです。早く来年がこないかなあ・・・(汗)

(文・いちたか風郎)

 

関連記事⇒真田信繁(幸村)と井伊直孝_真田丸で対峙する2つの赤備え!!

 

脚本・森下佳子で気になること

2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』の制作統括を務める チーフプロデューサーは岡本幸江さんで、NHKの連続テレビ小説『ごちそうさん』の制作を担当された方です。

 

一方の脚本は『天皇の料理番』の脚本家・森下佳子さん。

 

その他にも、

 

  • 世界の中心で愛をさけぶ
  • 白夜行
  • JIN-仁-
  • ごちそうさん

 

の脚本を書かれています。

 

森下さんが脚本を手がけたドラマはどれも評判が高かったものばかりですね。

 

ただ、1つどうしても気になる事が・・・。

 

大河ドラマの脚本を書くにあたって、森下さんがプロデューサーの岡本さんに投げかけた質問。

 

『大河ドラマってなんですか?』

 

これに対する岡本さんの答えが、

 

『スターにいっぱい出てもらって、大きな舞台で大暴れしてもらう、豪華絢爛なドラマのことです』

 

だったそうです・・・orz。

 

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これ、花燃ゆと同じで、あかんパターンじゃ・・・・・。

 

設定にしても、かつての婚約者・直親と別の女性の間に生まれた子供を養育したり、直親との死別があったりと、主人公を取り巻く逸話が花燃ゆと似ていること。

 

そして、あまり詳細な記録が残っていない分、自由にストーリーを作れるという点でも花燃ゆと同じです。

 

脚本家である森下佳子さんがどれだけ歴史も知識をお持ちなのか分かりませんが、プロデューサー(制作統括)がこの考え方では残念な方向に進んでしまいそうな気がしてなりません。

 

花燃ゆを見ている友達からの質問に多いのが、『これって史実なのか?』、『本当に〇〇が〇〇をしたの?』といった歴史の事実(定説とされていること)を知りたいというもの。

 

その人たちの中には、大河ドラマから歴史を学び、歴史の偉人たちの知恵や考え方を現代の生活に活かしたいという思いがあります。

 

なので、記録が残っていないから自由に脚本が書けるからと、史実無視の歴史を描くことはこういった視聴者の大河ドラマ離れを招くことになると思っています。

 

最近歴史に興味を持ち出した友達の中には、大河ドラマを見て、それが本当の歴史だと思い込む人もいるので余計な脚色はやめてほしいという人さえいるくらいです。

 

naotora

 

私は花燃ゆの低視聴率の原因がまさに、史実よりも現代的価値観で描かれ部る部分が多いからだと思っていますが、2017年の『おんな城主 直虎』でも同じ状況になりそうな気がしています。

 

きちんと歴史に詳しい人が脚本を書いてくれればいいのですが、歴史ファンからすると、朝ドラ仕立ての大河ドラマは本当に辛いものがあります。

 

脚本家かプロデューサー(制作統括)に就く人の歴史に対する思い入れが深くなければ、歴史をなぞっただけの薄っぺらい歴史ドラマになるので、大河ドラマの勢いが盛り返すという事はないでしょう。

 

大河ドラマには変化球なんて必要ありません。

 

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歴史上の有名な人物を史実に基づいて描き、その行動や思考を深く掘り下げていけば、そこから学べるものは必ずあるので、ドラマにハマるファンも増えてくるのではないかと思います。

 

大河ドラマは変に大衆受けを狙って迎合するのではなく、もっと真面目で武骨につくり、視聴者を引き付けていくようなものであってほしいと思います。

 

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4 Responses to “井伊直虎の経歴と2017年の大河ドラマの脚本家に思う事!!”

  1. 匿名 より:

    まったくその通りと思います。
    江で思いされました。
    なに?これ?って

  2. 匿名 より:

    歴史物って、強い思い入れのない人が作ると、ほんと薄っぺらくなりますよね。教科書を読んでるより、見てて苦痛になります。史実に沿うからこそ、そのとき活躍した偉人たちが、どう考え、思いを巡らせてきたかが、感動を呼ぶ。創作部分は、アニメワンピースの時間調整のために原作にない物語を見ているみたいで、ほんとうにつまらない。
    何故、つまらないかって?それは、原作や史実に沿うように遠慮して作っているからです。ちっともつまらん。
    女優のプライベートビデオにならない事を切に願う。

  3. 匿名 より:

    まったくもって同感です!

  4. 真田幸村 より:

    また「女大河」か・・・
    井伊直虎を取り上げるのは悪くない。
    でめ女プロデューサーに女脚本家の組み合わせに不安を感じる。
    また朝ドラ大河になっちまったら観ないよ。

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