【知ってる!?】上杉謙信が女性だったという説!!

武田信玄が『日本無双の名大将』と評価した上杉謙信。

 

信玄はライバルであった謙信にどこか信頼も置いていたようで、自分が亡き後は上杉謙信を頼るようにと、跡を継ぐ武田勝頼に言い残しています。

 

白馬に乗って颯爽と戦場を駆け巡る、THE 戦国武将というイメージのある上杉謙信ですが、実は上杉謙信には女性ではなかったのか?という説があります。

 

完全に男というイメージが出来上がっている私達からすると、『そんな訳はないだろ~』と思ってしまいますが、調べてみると意外と面白そうな話が出てきたので、説の1つとして今回は上杉謙信女性説をご紹介します。

 

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女性説

そもそもこの上杉謙信女性説は歴史小説家の八切止夫さんの唱えた説。

 

八切さんがスペインの修道院で見つけた、日本の佐渡金山の報告書に『会津の上杉(景勝)は、叔母が佐渡を開発して得た黄金をたくさん持っている』と記載されていました。

 

この報告書に、佐渡を開発した上杉謙信が景勝の叔母というふうに記載されているため、上杉謙信は女性だったと解釈したのが上杉謙信女性説の始まりです。

 

(謙信の姉の子供が景勝でその他の姉妹はいない。)

 

これだけだと記載ミスの可能緒性もありますが、実は上杉謙信には他にも女性であったことをうかがわせる逸話があります。

 

それは、毎月10日前後に腹痛に悩まされていたという事。

 

毎月同じ時期に起こす腹痛、これが生理だったのではないかと言われていて、北条軍との戦いの際にも腹痛のために出陣を見合わせたことがあるほどです。

 

また、上杉謙信の死因は一般的には脳卒中と言われていますが、『当代記』という歴史資料には『上杉謙信は大虫で49歳で亡くなる』と記されています。

 

大虫とは婦人病を指す言葉だそうで、歴史資料に間違っても上杉謙信の死因が婦人病と書くはずもなく、謙信が女性であるというのは、公に知られた事実だったのかもしれません。

 

上杉謙信は1578年に亡くなり、当代記は1624年~1644年に完成しています。

 

謙信が無くなってから66年後の事なので、そんなに時間が経って書かれているとは言えません。

 

上杉謙信の肖像画

実は今回、上杉謙信女性説を取り上げたのは謙信の肖像画に1つ疑問を持っていたからです。

 

下記が有名な上杉謙信の肖像画。

 

Uesugi_Kenshin

 

これは江戸時代に書かれたものだそうですが、何故こんなにも無精ヒゲ?を強調して描いているのか?

 

他の戦国武将の肖像画はヒゲがないか、あってもある程度、手入れされたように描かれています。

 

それなのに上杉謙信の肖像画はヒゲがあえて目立つように描かれているような印象を受けます。

 

そう、まるで男(おじさん)である事を強調しているかのように・・・。

 

何で上杉謙信の肖像画だけ、あんな熊みたいなひげ面なのかという疑問があったのですが、もしかしたら江戸時代になって、上杉謙信を男として認識させたいという意図があったのかもしれませんね?

 

織田信長の贈り物

織田信長も謙信の武功を恐れた人物の1人で、謙信に対しては南蛮のマントや洛中洛外図屏風などの様々な贈り物をして友好関係を深めていました。

 

そんな信長が謙信に送ったとされるものの中に源氏物語屏風がありました。

 

上杉謙信は源氏物語や伊勢物語を好んでいたとされますが、源氏物語や伊勢物語は恋愛を題材にした物語。

 

そして当時、源氏物語屏風は女性に対して贈られる贈り物だったようです。

 

それを織田信長が上杉謙信に送った・・・・。

 

今で言えば、男性に対して少女マンガのポスターをプレゼントするくらい違和感を感じることですよね?

 

また謙信は、上洛した時の歌会などで、詠む歌も恋歌が多かったと言われています。

 

関連記事⇒上杉謙信の織田信長に対しての超辛口評価!!

 

民謡

越後には民謡のような、ごぜ唄というものがあるそうです。

 

これは上杉謙信が出陣する時を歌った歌だそうですが、その中にこんな歌詞があります。

 

『寅年寅月寅の日に、生まれたまんとら様(政虎=謙信)は、城山さまのおんために、赤槍たててご出陣。男もおよばぬ大力無双』

 

上杉謙信は寅年寅月寅の日生まれで、上杉政虎と名乗っていた時期がありました。

 

その政虎が出陣する時に、『男もおよばぬ大力無双』と歌われるという事は、上杉謙信が女性だったからという理由以外には考えられませんよね?

 

まとめ

上杉謙信は生涯妻を娶らず、子供もいなかったという事はご存知の方も多いと思います。

 

しかし、一方で若い男が好きだったという記録もあります。

 

これを織田信長や徳川家康など、戦国時代には普通だった男色(衆道関係)という見かたもできますが、上杉謙信が女性だったらと考えても理屈は通ります。

 

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そして、実は戦国時代には女性が城主を務めるというのはそんなに珍しい事ではありませんでした。

 

こうして考えてみると、上杉謙信が女性だったという説は絶対にありえないとは言い切れないかもしれません。

 

おまけ

現在も上杉謙信が使用したとされる甲冑が残っています。

 

流石に女性用の甲冑の作りにはなっていないようですが、その大きさから謙信の身長は165cmと推測され、当時の男性の平均身長より少し低かったことが分かっています。

 

そして、実際に上杉謙信が着用していたとされる服が残っています。

 

これが鮮やかな赤色で、どう見ても女性用に見えます。

 

kenshin

山形の宝 検索navi から引用

 

おそらく、何も知らない人に男性用か女性用かと尋ねたらほとんどの人が女性用と答えてしまうくらいの色柄ですよね。

 

これを見ていたら、『上杉謙信が女性だったなんて絶対にありえない』とは自信を持って言えなくなってきました・・・。

 

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